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いつかどこかの誰かに

時々、なぜnoteを書いているのかわからなくなる。
「人の日記は面白くない」
「自分語りはつまらない」
「他人の日常など興味ない」
そんな声を見聞きして、でも、自分の中にないことは書けないでしょう?とか、自分の経験や考えなら書けるけど、自分が知らないことは書けないでしょう?などと思っても、どうにも説得力がない。

私がnoteを始めたのは、夫が膵頭十二指腸切除術という、非常に恐ろしく高難度な手術を受けることになり、怖くてたまらず、とにかく情報が欲しかったからだ。幸いnoteには、この難手術を乗り越えて元気にしている方が複数いらして、とても励まされた。夫は、このオペに加えて、重篤な合併症である膵液漏れによる動脈損傷からのカテーテル手術、さらには胃内容排出遅延という厄介な合併症まで起こして再入院。それでも無事に退院して、再びお腹をポコポコふくらませながら元気にしている。そのことが、今度は、どこかの誰かの役に立つかも?と思い、夫の入院・手術について記録し始めた。

そして、それを終えても、なおnoteを続ける意味とは?

私の頭の中は、自分の日常でいっぱいいっぱい。
日常を生きない人はいないわけで、そんなふつうのことを書いてもつまらないからやめろと言われたら書くことがない。だが、しかし。
私は人様の何気ない生活をのぞかせてもらうことが好きだし、自分にはない経験を見せてもらえることも楽しみだ。もしnoteが全てノウハウ本や単なる宣伝本みたいなことになったら読む気にならないだろう。

つまるところ、人の日常を読みたくない人は読まなければいいのだ。
だから私は書く。テーマを絞らず、あれだのこれだの。主に自分のために。
なので、後から読み返して、「なんだっけ?これ」と思った記事はサクッと削除する。ちょっと違うなと思ったら消す。けっこう潔い。かつ、気まぐれ。

そうだ、一つ思い付いた。
『自分を取り戻すためのnote』というのはどうだろう。
結婚して36年。
何をしてもいい。自由に生きていいと言ってくれる夫と連れ添ったものの、その親は実に真反対の存在だった。令和天皇が皇太子時代に、「雅子の人格否定をするような動きがあった」などと雅子様を思いやる発言をして世間をざわつかせたが、正に私の全人格を頭から否定してかかってくる義両親の存在が、例えようもなく重たかった。夫でなければすぐに別れていたと思う。
女のくせに大学を出ていることが気に入らない。
嫁は毎日義母に連絡をしてお伺いを立てるものだ。
息子に何を食べさせたか夕飯の報告をしろ。
頭のいい女ほど扱いに困るものはない。
義両親の言うことに100%従え。
謝れ。頭を下げろ。それでいい。

こうやって、徐々に破壊されていった私の性格は、気が付いたら全く自信がなく、怖がりで、不安に怯え、人との接触を避ける、超絶ネガティブな人になっていた。そうじゃなかったはずなのに。少なくとも、夫と出会った頃の私は。
全方面から肯定されて、慕われて、さて、誰と結婚しようかな・・というほど余裕があり、確実に幸せになれるキーを握りしめていた。

まさかこの人に、こんな親がついてくるとは。というのは、私たち「嫁」三人の共通認識。夫たち三人兄弟はみな優秀で穏やかで優しい男たちなのだ。

義父母が亡くなった今となっては、それでもこの三人を育ててくれた人たちなのだからと素直に感謝している(毎日仏壇に手を合わせている)。義父母を懐かしく思い出すこともあるし、もっとうまくやれなかったかな・・と反省することもある。いつ連絡が来るか、いつ押しかけられるか、常時感じていた恐怖からは解放されたけれど、肝心の私の性格は、すぐに戦闘待機状態となる不安定なままだ。そのことに、今頃気付いた。

本来の自分に戻らなければ。
自信にあふれ、辛辣なことを平気で言う、ちょっと嫌な奴。
努めて人に好かれようとは思わない。別に一人でいい。夫という味方が一人いればいい。そのうえ、双子娘という二人の味方がいるのだから、もう十分。
好きなことを、好きなように、好きなときに、好きなだけして、あー今日も疲れた!とため息ついて無心で寝る。
そんな私に戻りたい。

自分の思考やこれからの生き方を整理するためにnoteという媒体を使わせてもらっているけれど、もしそれが、どこかの誰かにほんの少しでも何かをもたらすことができるなら、それは嬉しい副産物である。そんなことはあまり起きないのだろうとは思うけれど、うっすら希望を抱くことはやめない。

いやね、今までものすごく気を遣ってnoteを書いてきたことに、いまさらに気付いてしまったのだ。そんなできた奴じゃないのに。

【写真はティーツリーの花です】

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