最近のドラマに見る変化〜いるだけで目立つ人の苦悩にスポットが当たる〜
秋ドラマが始まった。
夏はVIVANTがあり、ハヤブサがあり、向井くんがあり、ナンウマもあり、楽しみなドラマが何本かあったので、季節の変わり目がほんの少し寂しかったけれど、秋は秋で楽しそう。
恋愛(友情)、結婚をメインテーマに据えたドラマの主人公は、たいていちょっと不器用、「クラスで何番目?」(いつかの石原さとみ)と聞かれたら三番目か四番目ぐらい。
そんなに目立たない存在ではないけれど、一番ではない、もうちょっと上手に生きたいのに・・ともがいているような存在が多い。
そして、「一番」な人は、いつも全てが軽やかにうまく回っていて、誰からも「いいよね、あの人は」と羨ましがられるような。言い方を変えれば、ちょっと浮いた存在。
そんな「一番さん」にスポットが当たるドラマが続いている。
嬉しい傾向だ。
例えば、「日曜の夜ぐらいは」の賢太くん。
イケメンなので、ただイケメンだというだけで、勝手なイメージを植え付けられる。
容姿とは全く関係ない地道な努力などには関心を向けてもらえない。
「やわ男とカタ子」の久美ちゃん。
性格がとってもいい子なのに、美人であるがゆえに、それを鼻にかけている、恋愛の苦労なんか何もないでしょ!と思われてしまう。
久美ちゃんにしてみれば、「男の人って勝手なのよ。私が少しでもイメージと違うことを言ったりしたりすると、そんな子じゃないはずだって怒るの」
見た目ではなく、中身を見ろ!と言いたくなるだろう。
そして、秋ドラマ、「いちばんすきな花」の夜々ちゃん。
はっきり「そのスペック活かしてどうにでもしなさいよ」的なことを友達(?)に言われていた。
そういうことじゃないんだよな。
「いるだけで目立つ人になってみたいと思います?」
そんなセリフを口にしていたけれど、そっか、あんなふうにストレートに、周りの人に訴えたことなかったな。
物心ついた時から、なぜか目立つ存在で、代表という代表に選ばれ、いつもステージの上にいた。
記憶の中で一番古いのは、幼稚園年少時、壇上で花束を渡すか、送辞を読むかの役だったと思う。
それからずーっと、望むと望まざると、何かあればいつも引っ張り出される。
卒園まで半年を残して引越しで転園した時は、さすがに何も役目は回ってこないだろうと思ったのに、卒園児の答辞を読んで欲しいと言われ、母は驚いて断った。うちの子は半年しかいないんですから、二年、三年在園しているお子さんに頼んでくださいと。
それでも園長はうんとは言わず、「akarikoちゃん以上に適役な子はいないんです」と押し切られた。
どれだけしっかりしてたんだ?
ただいるだけで目立つ存在。
それが嫌で嫌で、登校時には、毎朝、母に、「この服どう?目立たない?」と確認していたという。母は洋裁が得意で、可愛い生地を買ってきては、素敵な服を縫ってくれていたというのに。そういうのはだめ。
目立つことが本当に嫌だった。なぜ目立つのか当人にはわからないからだ。
高校の時、たまたま駅で一緒になった元クラスメートと学校まで一緒に歩いたら、
「クラスに帰ったら、俺は今日一日ヒーローになれる」と言われ、頭を抱えそうになった。
そういうとこだよ。
本当に嫌なんだよ。
ただのふつうの人だよ。
どうしてそうなるんだ。
弁解しようとすると、自慢、嫌味になる。
これは本当にそうで、自慢でも嫌味でもないのに、そうなってしまう。
どうしてなんだ。
どうしてくれるんだ。
そんな十代だったから、大学に入った時には、同期の男子に
「akarikoって、男子全体なめてかかってるでしょ」と言われた。
寄って来るなよ、ケガすんぞ!オーラがビシビシ出ていたのだと思う。
だからこそ、ひたすら自分から追いかけるあの片思いがめっちゃくちゃ楽しかったのだ。
ともあれ、私が人には言えず長年抱えていたモヤモヤを、生方さんは夜々ちゃんを使って描いてくれるのかな。
ちょっと期待している。