『赤と青のガウン』彬子女王殿下の才覚
「ベストエッセイ」に収録されている彬子女王殿下のエッセイを拝読したとき、なんてスムーズな文章を書かれるのだろうと、とても惹かれるものを感じた。
読む人の心にすとんと優しく響く。
知的で品があり、ユーモアもある。
優れた文才をお持ちなのだろう。
その彬子女王殿下のエッセイ集。
既にベストセラーとなっており、大変な売れ行きらしいので、文章について語ることは私はしない。
それよりも、ここに描かれた英国、オックスフォードの描写を目にして、三十年前を懐かしく思い出している。
サマータウン。カバードマーケット。ユニバーシティパーク。クライストチャーチ。ラドクリフ。セルフリッジ(ロンドン)等等。
懐かしい名称がたくさん出てきてワクワクする。
あの頃は、双子がまだ赤ちゃんで、慣れない異国の地での育児に精一杯。
何ひとつ書き記しておかなかったことが悔やまれる。
私たちが滞在した年は、ちょうど今の天皇皇后両陛下がご結婚された年で、私たちは雅子様が外務省勤務時代に滞在していたとされる家のわりとすぐそばのフラットを借りて住んでいた。
日本人仲間から「白亜の御殿」と呼ばれるような真っ白な壁と天井が美しく、英国らしい花柄のゴージャスなカーテンにソファ。
リビングだけでゆうに30畳はあったろうか。
それにキッチン、バス&トイレのついた広い寝室。
ゲストルーム、ゲスト用のバス&トイレ。
カーペットは浴槽の際まで敷き詰められていて、それがカビないのだからすごい。
日本とは湿度が全然違う。
オックスフォードの中心部から徒歩で15分ほど、バスで5分ぐらいだったか。
基本的には徒歩で生活でき、夫は自宅からユニバーシティパークを通って、勤務先のオックスフォード大学(研究所)まで通っていた。
オックスフォードのスーパーは朝早くから開いているので、出勤前の夫に二人を任せて、まず私が一人で買い出しに行き、買い物を済ませた私とバトンタッチして夫が出勤する、そんな毎日だった。
あてにならない交通機関
彬子様が書いていらっしゃるとおり、英国の交通機関の時刻表は、あってないようなもの。
予定どおりに来たら、何かあったのか?と驚いてしまうほど。
夫が休みの日にロンドンへ遊びに行こうとしたら、列車が途中で止まってしまったことがあった。
アナウンスもなく、再び動く気配もない。
それでも英国人は慣れたもの。
車内を陽気に動きまわって踊ったり歌ったりする人もいて、ハプニングすら楽しんでしまう。
「いつか動くだろう」
そんな空気が漂い、誰もがのんびり待つ。
ある時は、駅に向かったら、いきなり「今日は休みます」の貼り紙。
あれはドーバーに行った時だったか。
やっと見つけた駅員に問うても要領を得ない。
仕方なく、案内されるままバスに乗り、えらいガタガタ道をかなりの時間をかけて次の目的地へ移動した。
面倒だけれど、何とかなってしまうと、「ま、いいか」と思えてくるから不思議だ。
オックスフォードからバスで行ける街に遊びに行った時は、元々一時間に一本か二本かしかない帰りのバスが全然来なかった。
過ごしやすい気候の頃だったし、バス停のある歩道は芝生になっていて、座るにも寝転ぶのにも支障がない。
娘たちは飽きもせず、芝生の上を得意そうに行ったり来たりしている。
ピクニック気分で、いつ来るとも知れないバスを待つことにした。
結局、一時間以上遅れてきたそのバスに、乗り込む人も文句を言わないし、運転手も何も言わない。
ここは英国だから。
そういうものだと慣れてしまう。
あの時は、田舎だから・・と思っていたのだが、彬子女王殿下のエッセイを読んだら、大都会ロンドンを走るあのバスも同じだと知って驚いた。
地下鉄がしょっちゅう止まるのは知っていたが、バスもだとは。
日本に帰ってからしばらくは、「英国を思えばこれぐらい」と、ちょっとやそっとの遅れや運行休止には何も感じなかったが、気が付くと、1分来ない、2分も遅れてる!とイライラする日本人気質に戻ってしまった。
日本人は、何でもかんでもきっちりやり過ぎなのかもしれない。
荷物が来ない
私たちが住んでいたフラットには家具やキッチン用品など、生活に必要なものはひととおり揃っていて、特に用意しなければならないものはなかったのだが、一つだけ、テレビだけはなかった。
そこで、レンタルすることにして、配達の日時も指定して契約したのだが、その日、その時間になっても来ない。
一時間待っても二時間待っても来ない。
どうなってるんだ?と、夫が問い合わせると、返ってきた答えが、
「今日は寒いから」
・・・・・・・・。
寒いから何?
寒いから配達できないなんて、日本で通る?
英国ではこれが通ってしまう。
彬子様も書いていらっしゃる。
列車が運休する理由として、冬場に特に多いのが、「乗務員が風邪を引きました」というもの。
寒くて体調すぐれないというのが、仕事をキャンセルする理由になる。
いや、でも、それって当たり前のことだ。
体調が悪いなら休むべきだ。堂々と休んでいい。
ところが日本では、「穴をあける」ことは許されないから、誰かが休んだら、誰かが頑張らなければならない。
その窮屈さが、「休みたい」と気軽に言い出せない空気を生んでいるのではないだろうか。
子育てしながら働くことが大変なのも、自分が休んだら、誰かに負担がのしかかるという引け目を感じるからなのでは。
誰も代わらなくていい。
穴をあければいい。
電車が来なかったら、荷物が届かなかったら、待てばいい。
その寛容さが、日本人には足りないのかもしれない。
テレビは後日、無事に届いた。
コレッジのフォーマルディナー
私が新卒入社した会社の同期(といっても、先方は博士課程卒で五学年上)が、オックスフォード大学に社費留学していたので、彼が所属するコレッジのディナーに招待してもらったことがある。
英語がわからないので、隣の席の人と会話ができず、同期に助けてもらいながらの食事だったが、非常に貴重な経験をさせてもらった。
緊張のあまり、食堂の風景や食事内容の記憶がまるでないのが残念だ。
皇族とマスコミ
「赤と青のガウン」は彬子女王殿下のオックスフォード大学留学記なので、名門オックスフォード大学で博士号を取得するまでのご苦労、厳しい道のりが細かく書かれている。
彬子様のご専門、日本美術に関する英国でのご活躍ぶりは、どうしてこれが母国で華々しく報道されないのかと首を傾げたくなるほど素晴らしいものだ。
日本のマスコミといったら、取り上げるのは、某宮家についての醜聞ばかり。
日本の皇室の誇らしい面にもっとスポットを当て、広めればいいのに。
え?それじゃあ週刊誌が売れない?
だけど、彬子女王殿下の御著書はヒットしている。
誰が書くか、何を書くか、どう書くかの問題ではないの?
『赤と青のガウン』は、皇室という特殊な環境に生まれ育った彬子女王殿下も、我々庶民と同じ困難にぶつかり、もがき、苦悩する一人の人間であることを教えてくれる。同時に、プリンセスならではの品格、彬子様だからこその忍耐力、探究心、教養と知識の深さ等等を見せてくれる。
この御本が売れるということは、日本もまだ捨てたものじゃないのかな?