散歩の風景①
夕方家に帰ると、玄関先に”はや”がいた。
もっともその時、私はその魚の名前を知らず、漬物が入っていた黄色い小さなバケツの中に、シュッとした小さな魚が入っているのを見たのだった。
”はや”というその魚の名前を教えてくれたのが、夫だったのか、魚を捕まえてちょっと興奮した子どもたちだったのかは忘れてしまった。放課後、近所の子どもたちと、近くの田んぼの堰で網ですくって捕まえたもののようだった。
夫の両親が、私たち夫婦と同居をするために購入した中古住宅は、市街化調整区域の中にあった。そのうちに大きな開発が入り、道路が広くなるのだと聞かされていた。結局、次男が中学生の頃までそこで過ごした。
家の前を通る、あぜ道を舗装した細い道路をいくと、一段低くなったところに田んぼが広がっていた。田んぼを取り囲む堰の中のあちこちから水が湧き出ていて、そこに魚がいたらしい。
そういえばバケツの中にドジョウがいたこともあった。
堰の土手に穴を掘って困るからと、農家の人が子どもたちの”ザリガニ取り”を喜んでくれるのだと、ザリガニを捕まえてくることもあった。
魚はすぐに死んでしまったが、ザリガニは結構長く飼っていた。何回か、脱皮もした。小さめで、薄い茶色で少し青みがかっていて、”今思えば、日本ザリガニだったのかも”と子どもたちと思い出す。
堰には、勿忘草も咲いていた。散歩に出た時に積んで、家に飾るのが好きだった。
田んぼをぐるっと一周する道には、”ハッカ”もあった。足を踏み入れるとすうっとした匂いが立ち上った。
田んぼが途切れる突き当りには、大きなドングリの木があった。遠くからでもよく目立っていた。風の強く吹いた日の翌日。その木の下にドングリがたくさん落ちていたことがあった。ピカピカのドングリが本当にたくさん。
”ああ、宮沢賢治の世界だ”と思った。
”どっどどどどう”
のあの世界。
その風景は、我が家の子どもたちが、小学校を卒業するあたりから少しずつ変化していく。