鈴木藤助さんと当院の関係については、山報で以前何度か取り上げましたが、幕末から明治、江戸から東京への大きな転換期に、橘樹郡(たちばなぐん)長尾村(ながおむら)のこの地(現・宮前区神木本町、多摩区長尾)で生きた人々の暮らしが『鈴木藤助日記』に刻明に記されています。
日本の歴史の大きなうねりの中で、時の流れに揉まれながらも人々は懸命に生きていたのです。
そして、等覚院の今の本堂の再建や不動尊の御開帳についてもこの日記から当時の様子をつぶさに窺い知ることができるのです。(上記動画の3:20~)
(院内 記)