解剖実習と、谷川俊太郎展と、エジプト。
※「ハニカムブログ 」2018年3月20日記事より転載
骨は宿命。
内臓や筋肉は運命。
1月に訪れたアリゾナの解剖実習でそんなことを思った。
ツルツルと白く光ってとても美しい身体の中にある鉱物=骨は、かなり確固たる不動の「土台」としての存在感を持ってそこにあった。(実際は、骨も栄養の取り方などで変わっていくとは思うけど)
栄養の吸収や生殖を担う内臓たちはとても植物的であり。
感覚を集めつつ指令を出す神経系やそれに伴って動きを作る筋肉は、動物的。
それらはある程度流動的で、自己責任の部分のような気がした。
そんな身体の内側の旅をして、帰ってきてすぐの頃に行った「谷川俊太郎展」。
詩人ってさすがだなー!!!と感動。
解剖という究極的な肉体と魂に向き合う行為を経て自分の中に芽生えた、新しい「死生観」のようなもの。
それをどうやって言葉にしたら良いのかわからない...。
と、フワフワしていたものが、全て言葉にされていた。
どこからきたのか、どこに行くのか。
そんな疑問にも。
どうやって死んで行きたいのか。
漠然とした想いにも。
感情があるから、人間だけがそこに喜びや悲しさを感じる。
生まれて死ぬ、という極めて自然なサイクルについても。
繊細さと強靭さを併せ持つ、臓器たちに対しての労いも。
死という境界線をまたいだ後に、何を思うのかも。
ぜーんぶ、谷川俊太郎先輩はご存知だった(笑)
詩人、音楽家、画家...その他いわゆる「芸術家」「アーティスト」とカテゴライズされる人たちというのは、「向こう側」を見ているのだと思う。
芸術には、「向こう側」への扉を開く力がある。
芸術家は、その鍵を持っている人たち。
私はといえば。
解剖をしているときにその扉が開いていたのも感じるし、
ジャジューカ村の音楽で3日3晩踊っていたときもそうだった。
そして2月に訪れたエジプトのピラミッドの中で瞑想していたときも、同じ扉が開いていたと思う。
そう、エジプトに行って帰ってきました(笑)
色々すごかったんだけど、まだエネルギーは咀嚼中。
日常の中で「向こう側」に行く方法を模索していますが、ヴァイタル・タッチセラピーにも少しずつ反映されてきていると思います。
っていうか、多分セラピーを受けているときも「向こう側」への扉が開いてるんだと思う。
そういえば「解剖実習の記事を見て、興味が出たのでセラピーを受けにきました。」というお客様が最近いらっしゃった。
なんだかそういうの、うれしいです(笑)
■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com
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