唐沢山城~城を謙信から死守した名将
栃木県佐野市にある唐沢山城は、室町~戦国時代に当地の領主であった佐野氏の居城です。戦国時代に当主となり、上杉謙信とたびたび戦った佐野昌綱が特に有名です。
唐沢山城の死闘
戦国時代、北関東の領主たちは、北条氏・武田氏・上杉氏という勢力の狭間で生き残りを図っていました。特に唐沢山城は、下野(栃木県)の南部、越後から関東方面に至るルートを抑える要地にあたります。関東地方にたびたび出兵した上杉謙信は、唐沢山城に拠る佐野昌綱を繰り返し攻撃することになりました。
謙信vs昌綱の攻防は、永禄4年(1561)から元亀元年(1570)まで約10年間も断続的に発生。昌綱が撃退するか、昌綱が一時降伏するも、機を見て離反するというのがパターンでした。結局、昌綱は城を守り抜き、佐野氏は命脈を保つことになります。
唐沢山城を歩く
現在の唐沢山城は歩きやすく整備されており、続日本100名城にも選定されています。
大手口(城の正門)から入ろうとすると、典型的な桝形虎口が出迎えます。
城内に入ると、「大炊の井」という井戸があります。今日に至るまで枯れたことがないといいます。
本丸を目指して登っていくと、「四ツ目堀」という空堀が目を引きます。主要な堀に番号をつけたうちの四つ目、というのが由来です。
先ほどの四ツ目堀の上には細長い腰曲輪があり、土塁も積まれています。
最大の見所・高石垣
唐沢山城は、関東の城には珍しい高石垣をふんだんに使った城です。
本丸下の高石垣は、ガイドブックにもよく載っている目玉スポットです。謙信と戦った時期よりは遅い織豊期の石垣と考えられています。
二の丸から本丸に入る虎口には、見事な巨石が使われています。
本丸から下ったところにある南城の下の石垣も迫力があります。見過ごしそうになりますが、城好きならぜひチェックしたいポイントです。
南城の下は、非常に大規模な堀切となっています。石垣と合わさって、大きな防御力を発揮しています。
なぜ廃城になった?
壮大で堅固な唐沢山城ですが、17世紀初頭に廃城となり、佐野氏は佐野城に移転しました。外様大名である佐野氏が堅固な山城にいることが幕府に警戒されたともいわれます。また、近世には不便な山城よりも交通の便の良い平城や平山城へのシフトも起きていました。
佐野駅に隣接する佐野城跡は、現在城山公園として整備されています。改変は大きいものの、曲輪を分断する堀跡など、かつての城の形をうかがうことができます。
【おまけ】
佐野市を訪問したら、佐野ラーメンは外せませんね。