福岡城と天守をめぐる謎
関ヶ原合戦後に黒田長政が築城し、福岡藩黒田氏の居城となった福岡城。最近になって、福岡城をめぐるニュースが目立つようになりました。
福岡城には天守があった?
福岡城には立派な天守台がありますが、幕府への遠慮から天守は築かれなかったとされていました。天守の存在を示唆する細川家の古文書はありましたが、黒田家側の史料では見つかっていませんでした。
しかし昨年末、黒田家の家臣の書状に天守の存在を示す記述が見つかったことが報じられました。
「福岡城には天守があった」という説には、強力な後押しになりそうです。
こうした動向から、福岡城の天守の再建についても期待が高まっているようです。しかし、天守の外観について明確な史料がないため、文化庁の厳しい審査をクリアすることはできないと思われます。
実際に天守台を訪問
福岡城の天守台は、大天守台・中天守台・小天守台からなります。
大天守台と小天守台をつなぐ細長い石垣が中天守台です。
大天守台に登ってみると、内部は複雑に折れています。
上の写真で、石垣の空いている部分は「埋門」といいます。
大天守台の地階には礎石が並び、いかにも立派な建物があったように感じますが、実際はどうだったのでしょうか。
天守台の積み方は自然石をそのまま使った「野面積」で、荒々しく風格があります。
その他の福岡城の見所
天守の再建は難しいと書きましたが、現状でも福岡城は十分に魅力的な史跡です。
南二の丸にある多聞櫓は、福岡城では貴重な現存建築であり、重要文化財です。
伝潮見櫓は、福岡城の櫓が移築されて残っていたのを、現在の位置に再移築したものです。「潮見櫓」と伝えられていましたが、どうも別の櫓らしいと分かったため「伝」がついています。
東二の丸から二の丸への入口は「扇坂御門」と呼ばれます。かつては扇のように曲線を描いた石段があったといいます。全国的にも珍しい遺構です。
古代から大陸の窓口だった福岡。福岡城三の丸跡の地下からは、古代に外交使節の歓待を行った「鴻臚館(こうろかん)」の跡が発見されました。
福岡城跡と鴻臚館跡はともに国指定史跡です。福岡城は、同じ場所で2つの国史跡の「二重指定」を受けている非常に珍しい場所なのです。