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映画『ドロステのはてで僕ら』| 2分先の2分先の2分先のそのずっと先の未来には何が見えるのか

劇団『ヨーロッパ企画』初となるオリジナル長編映画『ドロステのはてで僕ら』(2020)をprime videoで見ました。


『リバー、流れないでよ』(2023)を我慢できずレンタルした時からこちらもずーっと気になっていたので、prime video見放題のラインナップに見つけた時はテンション上がりました。
うう、あの時レンタルしなくてよかった……(←せこい)


『リバー、流れないでよ』は老舗料理旅館を舞台に繰り返す2分間のループから抜け出せなくなってしまった人々の混乱を描いた群像劇ですが、『ドロステのはてでぼくら』もなんと「2分」がキーワードになっています。


ということで、『ドロステのはてで僕ら』あらすじはこちら。

とある雑居ビルの2階。カトウがギターを弾こうとしていると、テレビの中から声がする。見ると、画面には自分の顔。しかもこちらに向かって話しかけている。「オレは、未来のオレ。2 分後のオレ」。どうやらカトウのいる2階の部屋と1階のカフェが、2分の時差で繋がっているらしい。“タイムテレビ”の存在を知り、テレビとテレビを向かい合わせて、もっと先の未来を知ろうと躍起になるカフェの常連たち。さらに隣人の理容師メグミや5階に事務所を構えるヤミ金業者、カフェに訪れた謎の2人組も巻き込み、「時間的ハウリング」は加速度的に事態をややこしくしていく......。

prime videoより


いや、どんだけ「2分」好きなんですか!!!!


2分間のループ。
2分先が映るテレビ。


2分〜、2分〜、2分〜、2分〜!
2分!2分!2分!!!
2分!2分!2分!!!
(頭の中で「ウルトラセブンの歌」が流れてます)


2分のネタ、普通2回もやります?
2020年に『ドロステのはてでぼくら』
2023年に『リバー、流れないでよ』
3年で2本も2分をテーマにした映画作ります?
「2分」に対する上田誠のこだわりをありありと感じます。


上田誠がどっかのインタビューで「3分だとちょっと長い気がして〜」と仰ってたんですけど、

いや、2分って普通は短いですから!!!


「本当は1分半とかがいいのかもしれないけどそれだと計算がややこしくなってしまうので〜」とも仰っていて、もはやドン引き。天才すぎてドン引き。
2分なんて何もできないじゃん!とか思ってしまう私ってどんだけ凡人で、つまらない人間なんだろうと悲しくなります。


そう、2分って短いけど、2分って長いんです。
見る順番逆でしたけど、『リバー、流れないでよ』を見て私もそれは学びました。
今回も、たった2分先の未来と繋がるテレビを見つけたことで話はスタートし、2分刻みで様々なことが起こっていきます。


※ここから先はネタバレにもなりますので、映画をご覧になっていない方は『ドロステのはてで僕ら』を見てから戻ってきてください。
というか、どんな記事を見ても結局は映画を見ないとよくわからない仕組みなので是非ご覧になってください!


タイムテレビで未来と話をしては、2分後に自分たちが先ほど見た未来の通りに行動し、
再び未来と話をしては、2分後に自分たちが先ほど見た未来の通りに行動する。
しかも、2分先の未来で自分が言っていたことの中には嘘もあり、けれど嘘とわかったあとも過去を変えないために自分もまた嘘をつく、という謎の展開。
そして未来に引っ張られすぎてないか?という疑問は持ちつつも、仲間の1人が2分先より未来と繋がる方法を発見します。


これがね、難しいんです。


やってることは大して難しいことじゃありません。主人公の家のテレビが2分先の未来(主人公が住むマンションの1階カフェにあるテレビ)と繋がってるので、主人公の家のテレビをカフェのテレビの背景に置いたら、主人公の家にいる彼らからは、2分後の未来にいる自分たちと、その背景に更に2分後の未来(主人公の家にいる彼らから見たら4分後の未来)がモニターに映っている、というわけです。


……わかります?難しくないですか?


私は映画を見て納得しつつも色々疑問も残ってしまい、見終わった後にこの部分だけ繰り返し見て再確認しちゃいました。


だって、そもそもの主人公の家のテレビをカフェに持ってきちゃったら、カフェのテレビに向こう(主人公の部屋)が映らなくないですか?いや、2分前だからしばらくは映るとして、2分後はモニターも誰もいなくなっちゃうじゃん!


と思いませんでした?
(もちろん私はがっちり思いました)


じゃあ、起点となる過去から4分後どうなるだと思いますよね?だって主人公の家のモニターはもうカフェにあるわけですから、同じようにカフェが映ってるの?となりません?


はい、そうです。4分後、タイムテレビの向こうには、カフェで主人公の部屋にいる彼らと話している2分前の自分たちが映っています。


最大のポイントはここ。


2分前に主人公の部屋にいる彼らと話している自分たちと、4分前に主人公の部屋にいた自分たちの姿がひとつの画面としてテレビに映っているのです。
例えば起点となる時間から6分後は、2分前に、4分前の自分たちと、主人公の部屋にいる6分前の自分たちが会話している様子を見ることができる。
例えば起点となる時間から8分後は、画面の奥の奥で、6分前の自分たちと、主人公の部屋にいる8分前の自分たちが会話している様子を見ることができるのです。


つまり、先ほど頭の中でこんがらがった(のは私だけだったら申し訳ないんですけど)「主人公の部屋にあったテレビを1階のカフェに持ってきちゃったらもう主人公の部屋と繋がらなくない?」という疑問は、テレビを動かす前の時間をテレビの奥の奥で映すことで、2分よりずっと過去や未来と繋がれるということがわかります。

……わかります?
私は正直ギリギリです。今もギリギリ。


ちなみにタイトルの「ドロステ」とは「ドロステ効果」のこと。絵の中の人物が自分の描かれた絵を持ち、その絵の中の人物も自分が描かれた絵を持ち……という、無限に続く入れ子のような構図のことを指しています。
映画では、タイムテレビの中にタイムテレビを映し、そのタイムテレビにまたタイムテレビを映し……という形でドロステ効果を作り出してるわけです。

これが「ドロステ効果」↑


そう、『ドロステのはてで僕ら』はとても見事に話が作り込まれていて、難解度が高いです。
『リバー、流れないでよ』が、2分を繰り返すというエンタメの中に時間軸の歪みや面白さ、難解さがあるとしたら、『ドロステのはてで僕ら』は難解な時間軸とその歪さの中にエンタメがある感じ。


途中、未来を見てしまったが故に未来を変えないように動くという謎の図式ができあがりますが、最後は未来人の説得と静止をもろともせず自分たちの意思で記憶を消さなかった主人公たち。


そして主人公たちが今(未来人にとっての「過去」)を変えたことで、未来人は消えてしまいます。(ちょっと、いえ、だいぶかわいそう……!)
2分先の2分先の2分先のずっとずっと先の未来にいたはずのあの未来人たちはいなくなってしまったのです。


え。え。え。
じゃあこれなら未来はどうなっちゃうの?!




いいのだ。
未来は誰にもわからない。
2分先の2分先の2分先のそのずっと先をのぞいてもきっと見えない。いいものなんて絶対見えない。
未来人が突然やってきて、何やら色々言っていても、最後は自分で決めた未来へ行くしかない。
日々のその小さな決断が、未来を変えるのだ。


そんなことを思うような、
そこまでは思わないような、
でもやっぱりちょっと思った気もする、びっくりするほど長回しが多い映画『ドロステのはてで僕ら』でした。


おしまい。

永遠と『サマータイムマシン•ブルース』をお勧めしてます。しつこくお勧めしてます。是非!



それにしても「時の牢獄」という言葉を聞いてテンション上がりました!
あれですよね?『時をかけるな、恋人たち』で瑛太が入れられてたアレですよね?!ただただ真っ白な何もない空間で、こんなとこ長時間入れられたら絶対気狂うよね?みたいなアレですよね?!


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