映画『蜜蜂と遠雷』|天才たちの孤独と果てない努力
直木賞と本屋大賞をダブル受賞した恩田陸原作の映画『蜜蜂と遠雷』を見ました。
大学時代は小説を年100冊以上は読んでいたにも関わらず、ある時期には直木賞受賞作は全て読もうと過去の受賞作を読み漁ったことがあるにも関わらず、恩田陸さん大好きにも関わらず、わたくし、なんとこの『蜜蜂と遠雷』読んでおりません。
もちろん、文庫になったら読もうと楽しみにしてました。ただ、文庫版が発売された当時は下の子が生まれたばかりで本を読む時間など全くなく、『蜜蜂と遠雷』含めて気になる本はとりあえず買うだけ買って読まない、という時期が続き、まさかの今もそのままです。
というのもですね、その頃購入した数冊が、大して広くもない我が家で行方不明なんです!!!
買った直後はテレビ横のガラス戸棚に入れてたんですよ。で、どっかのタイミングで片付けたんですよね。戸棚に上の子の勉強道具を置いておくスペース作りたいな、なんて思いまして、本も片付けたんですよね。
……どこに?
わかりません。本が見つかりません……。
夫は「また買ったらいいじゃん」と言ってくれてるんですけど、家の中に確実にあるはずなのに2冊目買うなんて勿体ないじゃないですか。
映画も見たことですし、改めて週末に探してみます……!(でも探すとこあんまりない)
ということで、読んでいない言い訳はこのくらいにして、映画『蜜蜂と遠雷』のあらすじはこちら。
「蜜蜂と遠雷」「映画」と検索すると、「ひどい」とか「ありえない」とか検索ワードに出てきましたけど、あれ何ですか?
ちょっとどきどきしながら映画観ましたが、映画『蜜蜂と遠雷』よかったと思います。
原作は文庫上下巻の長編。
直木賞の受賞理由に「独自の言葉を使い、多様な表現により音楽に迫った」という言葉もあったことから、目に見えない「音楽」を、きっと読者それぞれの頭にそれぞれの音楽が鳴り響くような素敵な作品なのだと思います。(読んでないですけど!)
それを今回2時間の映画でまとめたということで、原作を読んでいる人にとっては不満な箇所も多いのだろうというのは想像できますが、個人的には楽しく見れました。
※この先はネタバレを含みますので、映画か原作の小説をご覧になってから読んでいただけらと思います!
まず、登場する4人の天才たちが、タイプや立場、才能の種類が違っていて、わかりやすく、面白い。
おそらく、多くの人が最も感情移入しやすかったのが、松坂桃李演じる高島明石だと思います。明石は、楽器店に勤務する28歳で、妻や小さい子供との生活を大切にしながらも、日々ピアノの練習は欠かさない男です。
他のメイン出演者たちが、国内外の名だたる音楽学校に通っている中で(要は私たちとは住む世界が違う中で)、明石はごくごく普通の生活を送っています。楽器店で働き、子供の送り迎えをし、家族と一緒に夕食をとる。ここまでは私とも大して違いません。違うのは、どんなに忙しくても疲れていても、1日もピアノの練習を休まないということだけです。
仕事や子供との時間がある中で、ピアノを毎日欠かさず練習するということがどれほど大変か。
ピアノだけに向き合い、音楽の世界にいる学生たちとは違う。ピアノを最優先にすることはできない明石。
それでも、「生活者の音楽」の可能性を信じて、ずっと頑張り続けた明石には頭が下がるし、そんな明石だからこそ、二次予選であの演奏ができたのだと思います。
明石は二次予選で敗れてしまいますが、明石の音楽は、天才たちの心をも動かしました。
明石、あなたは敗れたけど、でもあなたの「生活者の音楽」が、天才たちを目覚めさせてたよ。
あなたの優しい音楽が、彼らを刺激したんだよ。
あなたは他の3人とは少し違うかもしれないけど、あなたはずっと音楽を続けてきたことで、「天才」の1人になれたんだよ、と明石に泣きつきたい気持ちになりました。
普通の生活をしながらピアノの練習を欠かさないこと、夢を追い続けること、音楽家として生きること、何度ダメでも挑戦し続けること。そんなすごいことをしている明石が「奨励賞」と「菱沼賞」を取ってくれたことは、何だか見ているこちらまで救われた気がしてとても嬉しかったです。
この映画の挑戦は、その人が弾く音楽の素晴らしさをナレーションや審査員の言葉で説明しなかったところです。
正直、彼らの音楽の素晴らしさはほとんどの人にはわかりづらいと思います。素晴らしいことはもちろんわかりますが、今回のようなコンクールで、誰が普通の演奏をして、誰が独創的な演奏をして、誰が自分の殻を破ったような演奏をして、誰の演奏のどんなところが素晴らしくて、どんなところが違うのか、ということは一般人にはわかりません。
その場合、手っ取り早く伝えられるのは、聞いている人間、弾いている人間のモノローグだと思います。
どんな音楽だ、というのを原作にあるような言葉を使って表現することもできたはずなのに、それをしなかったのは単純にすごい。音のない世界で音楽を表現しようとした小説に対して、この映画は本物の音楽と俳優の演技でその音楽の素晴らしさを観客に伝えようとしていることがわかりました。
弾いている役者の表情で、その指の動きで、体の動きで、本人がどれほど真っ直ぐに演奏しているのか、それが本人にとって会心の出来なのか。
また、その音楽を聴いている人たちの表情で、その音楽がどれほど心を打つものなのか。
第一次予選では音楽の違いがよくわからないまま二次予選に進んでしまったので内心焦りましたが、二次予選、本戦は丁寧に演奏シーンを描いていたと思います。
それにしても、「天才」って何なんでしょう。
もちろん、もともと持っているセンスや才能もありますけど、天才だから努力していないっていう話ではないんですよね。
音楽界から離れたとしても、周囲に自分と同じような人がいなくても、諦めず、毎日、毎日ピアノを弾く。
幼い頃の約束を胸に、憧れた音楽を追い求める。自由な演奏と完璧な演奏の狭間で葛藤する。
ピアノがなくても音の鳴らないキーボードで練習し、指の血を接着剤で止める。
昔はあれほど楽しかったピアノが楽しくなくなっても、かつての輝きが自分にはもうないとわかっていても、もがく。震えながらも、立つ。立ち上がる。
幼い頃からピアノに触れ、日々をピアノの練習に費やし、世界に認められ、ピアニストになるために人生を捧げるということ。
その孤独。苦悩。渇望。恐怖。
いい演奏をするため、
「天才」になるため、
「天才」でいつづけるための、果てない努力。
「才能がある人はいいよね」なんて簡単に言えないものが彼らの中にあるということをちゃんと見せてくれたし、中学生までちょろっとピアノを習っていただけの私には到底想像もつかないような世界でしたけど、コンクールを通して4人の天才の演奏と成長が見れたことは新鮮でした。
そして、日常では決して出てこないような素敵な台詞が、物語に自然に馴染んでいるところもよかったです。
風間塵「世界が鳴っている」
栄伝亜夜「こんな海みたいな音楽できるようになるなんてね」
栄伝亜夜「客席だけじゃないですよ。世界に祝福されてるんです」
物語と彼らの醸し出す雰囲気にそれらの台詞が馴染んでいて、違和感はないものの、とても印象的なシーンになっていました。
音楽に真摯に向き合う4人の天才たちの、世代を超えた、ある種の青春群像劇。
孤独が解き放たれた瞬間、努力が報われたように思える瞬間の輝きが胸に残る映画でした。
おしまい。
ちょいちょい差し込まれる片桐はいりは何だったのか、それだけ謎です。
やばいですよ。続編まで出てます涙
私の本はどこに行ったんだ……
鈴鹿くん、あれが初めてなんてすごいですよね。