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映画『ルックバック』|その人生も否定したくない
映画『ルックバック』の配信開始を知り「やった!早く見たい!」と思うと同時に、同じくらい見るのを躊躇う気持ちもありました。
漫画に詳しくない私でも知ってる『チェンソーマン』の作者、藤本タツキによる2021年に公開された長編読み切り作品『ルックバック』。
※一部内容に触れますので、万一、原作も未読、映画も未鑑賞の方はとりあえずどっちか見てきてください!!!!
めちゃくちゃ話題になっていたので漫画が公開された当時私も読みました。
そして号泣。
机に向かい続ける少女の背中と、2人の静かな友情、夢を追うひたむきさ、突然訪れる理不尽なできごとと、全てを失ったような悲しみ。それでもまた机に向かう彼女の背中に、どうしようもなく涙が止まりませんでした。
あの漫画で全部伝わりましたし、
悲しみで怒りに震えました。
だから、もしかしたら映画は見なくてもいいかもしれないとも思って少し悩みました。
あの悲しみをまた思い出すのはちょっと怖い気もしたからです。
そんな映画『ルックバック』のあらすじはこちら。
学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートからは絶賛を受けていたが、ある日、不登校の同級生・京本の 4コマを載せたいと先生から告げられる...。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思い。 しかしある日、すべてを打ち砕く出来事が...
映画の尺は58分。
短い!!!
と最初は思いましたけど、もちろん短くありません。
はじめにお伝えすると、本当に原作通りに映画化されている作品です。
だから58分。
漫画を映画にした尺が58分だった、というのが答えです。
もちろん、漫画のどこかを膨らませてもっと長くすることもできたと思いますし、それは絶対議論されたことだと思います。
その上で、「漫画通りに映画化する」ことを選んだのが映画『ルックバック』です。
そのままなら映画にする意味はあるかという感想もいくつか目にしましたが、素晴らしい漫画を声と音がある「映画」にしたい、漫画は読まないけど映画は好きという層にも届けたい、ということであれはどんどん映画にしたらいいと個人的には思います!
ということで映画『ルックバック』、想像通りとてもよかったです。58分の映画ですが、映画は長さじゃないと改めて思える作品。
主役の2人の少女は、見た目はキラキラしたかわいい感じの女の子じゃありません。
プライドが高い藤野と不登校の京本。
なんなら名前もでてきません。
2人は親しくなっても「今日から名前で呼ぶね」などと言い出すこともなく、最初から最後まで「藤野」と「京本」です。
これが例えば藤野凛、京本ひまり、みたいな名前があったとして(名付けランキングから引っ張ってきただけなので意味はありません)、2人が「りん!」「ひまり!」と呼び合ってたとしたら、それだけで2人の間にある空気は変わってくると思います。
なんというか、女子特有の多少べたっとした雰囲気が出るかもしれない。けれど2人はどれほど濃密な時間を2人で過ごしても、いくら藤野が京本の手を握って引っ張って歩いて行こうとも、どこまでも「藤野」と「京本」で、どこまでも2人は同志でした。
まだ小さい頃に、本気になれるもの、人生を賭けられ
るものを見つけてしまうということは、幸せなことなのかな、と少し考えます。
京本の美しい風景画に触発され、毎日、毎日、毎日、1人机に向かって絵を描いていた小学生の藤野。
絵を描いている藤野の表情は見えません。
ただ、毎日、毎日、毎日、机に向かう藤野の背中と、増えていく絵の本とスケッチブックだけ。
休み時間も放課後も友達とは遊ばず、毎日、毎日、毎日絵を描く。
毎日、毎日、毎日。
毎日、毎日、毎日。
周囲と少しずつ溝が開いていっても、「絵を描く」ことを馬鹿にされても、描く。
自分の全ての時間を捧げられるものに出会ってしまうこと。何よりもそれを優先したいこと。どうしてもやりたい何かが確かにあること。
そういうものに出会ったタイミングが少し早すぎたようにも見えましたが、でもこのタイミングで出会ったからこそ、藤野は漫画家の人生をスタートすることができたのかもしれません。
藤野の背中を見ていると、「頑張れ!」と祈りたくなるような気持ちと、「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」という切ないような気持ちが同時に湧き上がりました。
自分のことを思い返してみても、藤野ほどの情熱を持って何かにチャレンジし続けたことはなかった気がします。たとえ「何か」に夢中になったとしても、私はちゃんとテスト勉強をし、友達とも遊び、ドラマや映画を見て、決して「何か」だけに集中したことはなかった。
それが悪いわけではないですけど、それでもあんなにもまっすぐ「絵を描くこと」「漫画を描くこと」に対して向き合い続ける2人を見ると、その芯の強さと圧倒的な眩しさ、無敵さを感じました。
出会ったあの日から、いつも京本の手を引っ張ってきた藤野。
自分がいないとダメだと思っていた京本が美大に行くと言い出した時の、藤野の気持ちはよくわかります。
自分が京本を連れ出したのに、自分がいないと京本は何もできないと思っていたのに、実は自分の方が京本を必要としていたことに気づく。
圧倒的に絵がうまい京本が自分を尊敬してくれること、「すごい」と言ってくれること、それがどんなに藤野の励みになったか。
それでも、京本が美大へ進むことになっても、藤野は1人で漫画の連載をスタートさせます。
人気投票で上がったり下がったりしながらも、徐々に人気になっていく藤野の連載。アシスタントを雇い、毎日書き続けますが、やはり藤野の中には京本の絵を求めている藤野がいるように見えました。
「もっと絵が上手い人いないですか」
もっと絵が上手い人。
例えば。
例えば、京本みたいな。
京本だったらきっとこんな絵を描いてくれる。
京本だったらきっとこうしてくれる。
藤野はずっとそんな風に考えながら、それでもいつかまた、京本と一緒に仕事をできる可能性を夢見てたかもしれない。だから京本と一緒に描いてた時のペンネームを使い続けたし、もしも京本が「戻りたい」と言ったらすぐに戻れる場所を残しておいたようにも見えました。
そして、2人がそれぞれの場所で懸命に絵と向き合っていたある日突然にそれは起こります。何の関係もない男によって、京本の命が本当に突然奪われたのです。
ずっと学校へは行けなかった京本。
それでも、ずっとずっと絵を描き続けてきた京本。
あの、部屋の前の廊下に積み上げられたおびただしいスケッチブック。
描いて描いて描いて、藤野と出会って2人で漫画を描き、「もっと絵うまくなりたい」と美大へ進学することに決めた京本。自分の力で新しい世界に飛び込み、努力していた京本。夢や希望を持っていたはずの京本。
映画の中で無差別に殺されたのは12人。
私たちは12人のうちの京本のことしか知らないから、京本の死が悲しい。京本の死だけリアルで、京本の死だけ悲しい。
でも、その他の11人にも京本と同じようにその人が主役の人生が確かにあったのだと改めて気付かされました。
同じように、小さい頃から絵を描いて、努力して、毎日机に向かってきた日々があった。たぶん、絶対あったはずです。京本の存在を通して、ニュースで名前だけ報道される沢山の人にあった人生のことを考えました。これからも、本当はずっと続くはずだった人生。
京本の死後に流れたあの2人のもう一つの人生は、藤野の願いなのか、本当に枝分かれした場合の世界なのかわかりません。
もちろん京本が死なない世界の方がいいんですけど、でも、2人が卒業式の日に出会って、一緒に漫画を描いて、賞を取ってデビューして、クレープを食べて、スケッチをして、漫画を描き続けた世界も否定したくない。
扉の向こうに元気な京本がいる世界線にいけたら本当にいいけど、
京本とあの日出会わなくても藤野がまた絵を描き始めたなら漫画家になれなくてもよかったのかもしれないけど、
藤野とあの日出会わなくても京本は自分で美大に進む決意をできたのかもしれないけど、
それでも、2人があの日出会わなかったらよかったなんて思いたくない。
藤野の単行本を何冊も買い、人気投票をしてくれてた京本。
自分自身もとんでもなく絵がうまくても、ずっとずっと藤野の背中を追いかけてくれていた京本。
2人の時間は確かにあった。
周囲が何と言おうと、漫画を描くことをオタクだと言おうと、きらきらしていた。
あの時も、
あの時も、
あの時も、
確かに2人は一緒にいた。それは、京本が亡くなったとしても変わらない。
京本は藤野がいたから世界が広がり、自分の意思で大学へ進学したし、
藤野は京本がいたから絵を描き続けられた。
藤野も、京本と過ごした日々を認められたから、京本と過ごした日々があって今があるから、また机に向かうことができたのかなと思いました。
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小さい頃から変わらない、ひたすらに絵を描く背中。
その、表情がわからない背中は、私たちに無言で様々なことを想像させ、感じさせてくれます。
人生を賭けられる何かに出会った2人の少女たちの圧倒的な青春。そして、すべての人にある、その人が悩みながらも歩んできた人生。
藤野の背中に何度も泣かされた58分でした。
おしまい。
っていうか、アマプラに1つ言いたい。
エンドロールが始まると勝手にスキップしようとするのやめてほしい。エンドロール終わるまでが映画だよ!
今回なんて、藤野が机に向かってるんですよ?
なのにスキップして勝手に別の映画をスタートさせようとしたので慌てて止めました。
藤野がまだ描いてる途中でしょうがぁーーーー!!!!!
©️『北の国から』(五郎「子供がまだ食ってる途中でしょうが!!!」)