大人の読書感想文 凍りのくじら(著:辻村深月)
出会い
大学院生の頃。
昔から家族や友人との関係に悩むことが多くて、
鬱屈とした日々を過ごすのが常だった。
そこに就活が加わり、日々のストレスがさらに増していた頃。
なんとなくお金を浪費したくなって、
なんとなく本屋に行って、
なんとなく手にした本。
それが『凍りのくじら』との出会いだった。
あれから年月が経った今でも、自分を支えてくれる1冊である。
物語について
この作品の感想(面白さ)は、主人公に共感できるかどうかが大きく影響すると思う。
主人公の女子高生は、なかなか複雑な性格をしている。
友人は多く、コミュニティによってキャラクターを演じ分ける。
基本的にどんなタイプの人種とも、表面上は上手くやれる。悪く言えば八方美人。
しかし、心の中では相手の個性にレッテルを貼って、見下している。
心の奥底の気持ちや、ヘビーな境遇(家庭環境)は誰にも明かさない。
その一方で、孤独を怖れる。
自分の性格の悪さを自覚しながらも、誰かと一緒にいることを求めてしまう。
生き辛そうというか、面倒だ。
こんな主人公を軸としながら物語が進み、
周囲の人物達とで織りなされる出来事が描かれていく。
主人公に共感できなければ、
読み進めるのは辛いと思うし、
この物語の書評でも好意的でないコメントを見たことがある。
また、講談社文庫のあとがきでは
「理帆子は決してすぐさま読者の共感を得るタイプではない」
とも記されている。
実際にその通りだと思うのだが、
こうした書評やあとがきを見ると、私は少し落ち込んでしまう。
私の場合は、主人公にものすごく共感できるからだ。
少なくとも、大学院生の頃の私はそうだった。
だからこの本を手にしたときに、
物語の1つ1つのシーンにのめりこめたし、
主人公と同じように怯え、悲しみ、安堵した。
主人公の性格に共感できそうであれば、得られる読了感は清々しいので、強くお勧めしたい。
お薦めできる理由
2つ紹介したい。
1つ目は、心情描写が丁寧だと称されている(と思う)辻村深月作品であること。
正直、具体的にどこがどう丁寧なのか、私には上手く説明できない。
ただ、とりあえず読んでいると、
「著者はなんで自分の人生を知っているんだろう?」
「まさか自分の人生を傍から見てたりしてたの?」
と思わされることが何度もあった。
辻村深月作品の書評を見ていると心情描写が丁寧というコメントが多いように見えて、自分もその通りだと感じている。
心情描写とは少し違うかもしれないが、自分の胸を締め付けられる場面がある。
主人公が自分のことを独白するシーンだ。
私は、どこにいても、そこに執着できない。
誰のことも、好きじゃない。
誰とも繋がれない。
なのに、中途半端に人に触れたがって、だからいつも見苦しいし、息苦しい。
どこの場所でも、生きていけない。
人とつながるのは億劫。
だけど、独りでいるのは怖い。
これこそ、当時の私が抱えていた感情そのものだ。
矛盾していることは分かっている。
でも、その矛盾こそ、紛れもない現実なのだ。
現実なのだから、どうしようもないじゃないか。
この絶望感たるや。
今まではとても言語化できなかった鬱屈さを、
この本を通じて初めて整理できたように思う。
ここまで人を揺さぶるものを、物語を通じて、活字だけで表現できるのか。
ほとんど小説なんて読んでこなかった私にとっめ、
「小説って凄い」「作家って凄い」と初めて感じた作品になった。
これをきっかけに、私はしばらくの間、辻村深月が描く作品・世界観の魅力に深くはまっていくことになる。
2つ目は、『ドラえもん』が登場することだ。
各章のタイトルは全て、ドラえもんの秘密道具の名前になっている。
ドラえもんやのび太が存在する世界が舞台という意味ではなく、
『ドラえもん』という漫画作品が存在する世界。
それは、私たちが生きているこの現実世界そのものである。
何が面白いかというと、登場人物同士の会話の中で、ドラえもんやのび太君が登場するし、ドラえもんの秘密道具も登場する。
例えば、「あの人の性格は、まるでドラえもんの秘密道具の●●を使っているかのようだ」というような表現が出てきたりする。
ドラえもんを知らない日本人(読書)はほとんどいないだろうから、ほとんど説明がなくても共感しやすいし、面白い。
主人公を中心とした人間関係が物語の軸なのだが、
随所に『ドラえもん』の世界観が上手く織り交ざっているので、
読み手が飽きにくい構成になっているのだと思う。
何より、物語の最後に主人公は救済が与えられるのだが、
『ドラえもん』が登場する世界だからこそ描ける、とても素敵な演出だ。
ドラえもんを知っている方(おそらくこの記事を目にしている全ての方)、
そして、主人公のような生き辛さを抱えている方は、
すごくファンタジーなその救済を是非とも目にしてほしい。
最後に
最後に、この作品はファンタジーなのである。
ファンタジーであるが故、主人公に与えられる救済は、残念ながら私の身には訪れそうもない。
しかし、私にとっての救いは、作中の登場人物が教えてくれている。
本による救いの形を論じるのって、ホラー映画による青少年への悪影響を嘆く風潮と表裏一体だから、あんまり好きじゃないけど、それでも本当に面白い本っていうのは人の命を救うことができる。その本に流れる哲学やメッセージ性すら、そこでは関係ないね。ただただストーリー展開が面白かった、主人公がかっこよかった。そんなことでいいんだ。来月の新刊が楽しみだから、そんな簡単な原動力が子どもや僕らを生かす。
鬱屈していたあの頃の自分を救ってくれたその本は、
紛れもなく『凍りのくじら』だ。
この物語によって救われた記憶が、今でも自分を奮い立たせてくれる。
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