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子は去るて ⦅私小説⦆
Ⅰ
俺たち兄弟を乗せた市バスが、停車場はやく下ろした。俺は末の弟を或る家から拾い、実家に帰る道だった。
「遠回りするまえに下りてしまうか。」
「家まではまだ遠いが、百円は得するぞ。」
成東駅から小松海岸の運賃は、二、三年もしない間にワンコインで利用することができなくなった。俺は同意を求めた。というよりも俺のなけなしの千円をお年玉としてくれてやったのだ。
バスの中、兄弟の会話はあまり弾まなかった。世間ならどんなものなのか俺には分からないが、だだひろくがらんとした車中の言葉は本統に響く。将棋の話のひとつにしろ、すべて仏に聞かれていたと思ってもよい。
俺たちは遠い停車場を選んだ。
田舎の道は渾然であり、街道さえも幅が足りず、歩行者の為の道はなく、兄弟は農道に外れてきた。
すすきの枝はなびき、田は枯れつ、陸風が吹き、小雨降りぬ。沿岸地域に向かう俺たちの歩みを風は押すが、雨脚が触れることでもある。俺はもう御神籤をひかないでも運勢が分かった。廃校寸前の校舎を見、この通学路を辿って実家に帰る意味とはなにか。だだひろくがらんとした荒地、それは田畑、農業用スプリンクラー、ネギ臭さ。幸いの小雨はあまり濡れずにきた。俺は小学校の頃から背が高かったが、一八〇糎ともなれば、ちんまりとして見えた。弟はまだこの町を出ていない、弟は俺の後を歩いた。俺は対照的に、幼少の夏を想った。新緑のトンネルは、こんなにも雑然としていたのか。木や草や緑は、雨やあめんぼやオレンジは、不法投棄や木立の禿げたところ、春は稚児百合や、夏の暮れにマムシがいたところ、俺は早く歩いた。
Ⅱ
父と次男がアメリカンドリームの話をしていた。親父は俺がその会話に入らないのを物足りなく思っていたかもしれないが、やがてその話も拗れていき、沿岸部に都市を計画するのだとなったとき、それは次男から言い出したことだったが、久しく帰らない間に九十九里浜のすぐ近くにできたというステーキ屋の〇〇だったり、観光資源やホテルの有象無象を語るのを聞いて、俺はこの二人は無謀だと思った。父も次男も互いに馬が合うからといってこうした会話を常々するのだが、それぞれ少しだけ違いがある。ちょうどカラマーゾフの兄弟の構成に少なからずの親和性を感じていて、父はフョードル、次男はイヴァンである。三男もまたアレクセイだと俺には思われる。だから俺は二人の底が分かる。俺自身の底も分かるが、末弟は分からない。
相も変わらずファンタジーを逐時にし、不動産の話や仮想通貨の話、どんな無鉄砲な話かと黙って聞いていた。親父は俺ともそんな話がしたかったのだろうが、酒を交わすぐらいが一番良いのではなかろうか。次男は次男で、俺がそういう人間だと知って、少しくらいの畏怖を覚えているようだから、べつだん話はしたくないようである。
Ⅲ
我が家は、数年前に離婚調停が為されて、一度は完全に雲散霧消したかと思われたが、どういうわけか解消傾向にある。離婚に至る少し前から、母は精神に不調をきたし始め、今寛解のほどなくしている。それが家族関係のほうが先か、後かというのは知る由もない。ただ安堵していれば良いのだと言ってしまえば、そんなのは元も子もないが、畢竟わだかまりのようなものを感じる。健康な家族観からすれば、歪んだ実体らしきものが沈殿しているのだと俺には思われる。その実体を完全に滅却しなければ、いつにでも再発してしまうような恐ろしさ、実際にこの頃家族が集合して正月を過ごしたわけだが、再婚はしておらず、惰性の危険を予感してしまう。なにも制度上のことだけを言っているのではない。男女の恋愛について根源があるだろうと思っている。恐らくの伝統的なゆえん、焼け野の雉夜の鶴の意を、俺は子の才覚なりに理解しているが、男女の不満を表現できるようになってしまったならば、土台から崩れ去るのだと直観してしまう。俺の母親は譜面がなくても、ピアノが弾ける。父は行動派であり、俺に競馬を教えてくれた。しかしながら男性と女性は嫌悪し合い、それぞれの通りで気持ちが伝わってくるが、子の機能からである。俺たち兄弟は、まるで右脳と左脳の電気が行き交う脳梁のごとく生きてきた。昔からの慈母敗子の結果として、或いは放任主義の家庭からによって生じた料理の腕や、なんでもかでも自分がするのだという個人主義の成長は、かならず親元を去る力になりますから。
Ⅳ
俺も俺でですが、次子が最も独立志向が強く、簡単に去ってゆくと思います。今年二十歳になるものだと思っていましたが、もう二十一歳だそうです。意外と早いかもしれません。
翌る日も父の言葉は説教じみてきた。親父と次男が話している席に俺は居、近況を尋ねられたからである。
「ちゃんと働かないのか?」
金を稼ぐことがすべてではないの旨、小説の進行等々、俺にも後ろ髪をひかれる思いがあり、またすべてのことに関して怠惰でないとは言えない。この厳しさは心に痛いものではあるが、確かさとして受け止めなければならないときはある。父という経歴は子には永遠に覆せないからである。それだからこそ、まだ持ちえぬ栄光や地位や名誉以外の、すべてを持ち寄って説得すべきことでもありえた。俺はもう判然としていた。
「コウスケのことはどうだ。」
奇しくも、誕生日の同じ三男に関して、両親は俺と重ねて見る節があった。顔も出立ちもよく似ている兄弟として、俺が放蕩しているばかりに非難の槍玉に挙げられることに対して切に申し訳なく思っている。とにかく奔放すぎるきらいはあるが、純朴な人間であることの価値は、復讐に惹かれないこと。俺自身もまた情が移る、なんらかの希望を見ていたかもしれなかった。くだらない塵事などは長男の仕事だと。口にするのも憚られるが、仮に一家心中が起きたのだとしても、俺は他の人間は殺せるが、三男を殺せないのだと思う。
「あいつは大学に行ってなにするんだ。」
「ぼうとしてなにも考えていないなら、働いたほうがいいんじゃないのか。」
「…………なにも考えてないことはない。」
「……考えてるように見えなくても人は考えてる、誰も自分の人生なんだから、なにも考えていないわけがない。」
夜の九時、寒さがあまり止まなかった。俺の背丈が高かったことが、この議論を伯仲せしめたのだろうか。畏怖をかけた争いだった。完全にとは言わないが、多少は頷いていた。追究は止んだ。
生活の守破離は人は上京するだけでは足りなかった。この生活を捨てなければならないのだと。電車の座席に腰掛けた。
Ⅴ
〈東京から〉小さな頃から無口な子どもでしたが、今は物が言えます。物も書けます。俺は作家になれます。俺が少しくらい物申したことは、下の兄弟にかならず良い影響を与えると思います。三男にとってもそうですが、次男にしてもそうです。恋愛も結婚も経済も文化も、新しい生活者です。生活ができます。その為に去ります。俺から去ります。