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福島に芽生える2つの復興「Jヴィレッジ」と「廃炉資料館」

福島における復興を語るとき、廃炉や除染済み土壌の扱いなど難題ばかりが取り沙汰され、着実に元の姿を取り戻しつつあるもの、もしくは新たに形を変えて生み出されたものには、なかなか光が当たらない。

そこで私は、過去に福島第一原発に視察に行った経験をふまえて、交通インフラや施設が再開し地域が活性化していることや、新たな役割を担いつつあることを紹介しながら、未来への期待感を伝えたいと考えた。

訪問先として選んだのは、福島県双葉郡楢葉町と広野町に跨る「Jヴィレッジ」と、同じく双葉郡の富岡町にある「東京電力廃炉資料館」。両者はともに原発から20キロ圏内に位置し、3.11から8年間で興味深い変化を遂げた。

■ 8年ぶりに全面再開したJヴィレッジへ

6月下旬、いわき駅発富岡行きの常磐線に乗り、木戸駅~広野駅間にできた新駅で降車した。震災以来、原発事故の対応拠点となっていたナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」が2019年4月20日に全面再開することに合わせ、同日開業したJヴィレッジ駅だ。

1997年にオープンしたJヴィレッジは、FIFAワールドカップ2002ではアルゼンチン代表が、2006では日本男子代表が合宿をした、いわゆる「サッカーの聖地」である。また、プロサッカーだけでなく、アマチュアチームの合宿や企業の研修まで幅広く利用されており、震災以前の年間の来場者数は約50万人ほどだったという。

美しい天然芝のピッチで高校生らしき少年たちが試合をしているのを傍目に羨みながら、クラブハウスに向かう。

取材に応じてくれたのは、株式会社Jヴィレッジ 事業運営部 営業グループ チームリーダーの高名祐介さん。メインは広報の仕事で、全面再開後はメディアや行政、企業からの視察依頼が増え、日々対応に追われているとのことだ。

■ 新生Jヴィレッジは何が変わったのか

まずはじめに、全面再開後の新生Jヴィレッジの変わった点を聞いた。施設面では、全天候型サッカー練習場(コンサートや展示会など多目的に使えるよう改修予定)、新しい宿泊棟、ビジネスニーズに対応したコンベンションホールが整備されたという。

Jヴィレッジ空撮

新生Jヴィレッジの航空写真。敷地面積は東京ドーム約10個分、広大な施設だ(Jヴィレッジ提供)

また、次のように掲げられたJヴィレッジの使命にも注目したい。

1、福島県復興の姿を国内外に発信する
2、福島県双葉地方の復興・再生を牽引する
3、サッカー・スポーツ振興に貢献する
4、未来を担うトップアスリートを育成する
5、地域コミュニティの中核として地域の方々の健康づくりに貢献する

出典:Jヴィレッジパンフレットより

つまり、ラグビーのワールドカップ、オリンピックと一大スポーツイベントが控えているが、復興、地域活性化という観点でもJヴィレッジの存在は大きいのである。

「全面再開ということでメディアさんからの取材は多いですが、それ以外にも震災後の町の復興の状況を視察するという目的で、いろんな方たちが訪れます。Jヴィレッジが再開した様子を見たいというご要望が増えましたね。この間は老人クラブの方々をご案内しました」(高名さん)

その他、福島県のPR目的でJヴィレッジを紹介したいという要望も多いという。確かに、震災直後「前線拠点」だった姿と今の姿とのコントラストが強く、復興の象徴的な存在として用いられるのもうなずけるところだ。

■ 復興のシンボルとしての役割

「復興五輪」とも言われる2020年の東京オリンピックにおける聖火リレーのスタート地点に選ばれたことからもわかるように、Jヴィレッジはナショナルトレーニングセンターとして再開しただけではなく、復興のシンボルとしての役割を担っている。

インフラ面では、ようやく東京からの高速バスが広野、富岡インターまで通るようになり、今後Jヴィレッジも中継地点となるという。観光という観点でも、福島第一原発の視察をやっている地元の企業が、最近首都圏で旅行業をはじめたとのことで、パッケージツアーが整備されてくるのではないかと高名さんは語る。

「例えば、1日目は勉強といいますか、地域の復興状況を視察して、Jヴィレッジに泊まっていただき、2日目は観光要素を取り入れて、いわきのアクアマリン、四倉のワンダーファームなどを回ることができますよね。サッカーが好きな人だけでなく、みんなが行きたくなるようないろんなイベントをやっていきたい。ここが目的じゃなくても、浜通りに来たついで寄ってみようかなと気軽に来てもらえたら嬉しいです」

来場者数で見るとまだ震災以前のペースには届かないようだが、一通り取材を終え昼時になると、浜通り交通の観光バスが乗りつけ、レストランやカフェ、おみやげ屋は盛況を見せており、改めてそのポテンシャルの高さを肌で感じることができた。

■ 多彩なイベントが催される場として

この日、徒歩で15分ほど離れた場所にあるスタジアムでは、無料で観戦できるサッカーの国際親善試合とアーティストのライブ、東南アジアフードフェスが一体になったイベント「JapaFunCup」が行われていた。

5000人収容できるスタジアムは満員とまではいかないものの、出店には行列ができ、老若男女、国籍を問わず楽しめる空気が感じられ、イベント自体は大変に盛り上がっていた。

高名さんが言うように、地域を活性化させるようなイベントをフックに、地元や県内の人たちはもとより県外からも人がたくさん訪れる場所になっていくことを願う。

 
■ 富岡駅の再開と町の様子

もうひとつの目的地である東京電力廃炉資料館に向かうため、再び常磐線に乗り込み、最寄りの富岡駅を目指した。個人的には、その時点で感慨深いものがあった。なぜなら、富岡駅は津波の被害で駅舎が流失し、2年前には電車で行くことすらできない場所だったからだ。

当時は、早朝にいわき駅からバスで1時間強かけて行くしかなかったが、竜田~富岡間は2017年10月21日に運転を再開した。また、復旧作業中の常磐線の全面再開は2020年3月を予定しているという。車窓から海を眺めながら40分ほど電車に揺られ、富岡駅に着いた。

想像していたよりも人が行き来していて、インフラとしての役割を取り戻した印象だったが、駅から廃炉資料館に向かう道すがら中央商店街に寄ってみたところ、多くの建物が取り壊され、もしくは営業を停止したままになっており、人影はほとんど見られない。

それもそのはず、富岡町は2017年4月に避難指示が解除されたものの、2019年2月末時点の居住率は9.4%と、帰還者が少ないというのが現実だ。新しいアパートが散見されるものの、ベランダには作業着が干してあり、そのほとんどは作業員の方の住居であることがうかがい知れた。

■ 廃炉資料館の成り立ちと存在意義

東京電力廃炉資料館は、かつて原子力や発電所の仕組みについて学べる場であった福島第二原子力発電所「エネルギー館」を再活用して、2018年11月30日に開館した。

6月20日時点で来館者は約2万4700人で、その内訳は一般利用が約60%、原発の視察の一環が約30%、東京電力社員が約10%、属性としては浜通りエリアの市町村が15%、その他県内が約15%、東京電力社員を含む県外が70%とのことだ。

資料館の正面には、東京電力ホールディングス株式会社 代表執行役社長 小早川智明氏の挨拶文パネルが掲げられ、「私たちは、事故の反省と教訓を決して忘れることなく後世に残し、廃炉と復興をやり通す覚悟を持って「東京電力廃炉資料館」を運営してまいります」という言葉で、その存在意義を伝えている。

2階建ての資料館の展示は、大きく2つのゾーン「記憶と記録・反省と教訓」と「廃炉現場の姿」に分かれている。東京電力ホールディングス株式会社 福島復興本社 東京電力廃炉資料館 副館長 中里修一さんに順に案内してもらった。

廃炉資料館の構想自体は2013年12月からあったという。約5年かけて形になったわけだが、なぜ集客という観点では決して良い立地とは言えない富岡町を選んだのか。中里さんはその理由についてこう語る。

「企画当初から資料館は避難区域の中に設置することは決まっていました。なぜかというと、事故の記憶と記録を残して、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓をしっかり伝承すること、そして廃炉の進捗をお伝えすることがわれわれの責任だと考えたからです」 

施設自体は大きくはないが、展示物はどれも意匠を凝らしている。社員が登場する3月11日の事故対応の様子を振り返った再現映像、原子炉建屋内での作業状況など動画コンテンツも充実しているため、じっくり見て回ると2~3時間はかかるだろう。

また、廃炉の進捗を伝えるという意味で、月次、週次でデータを更新したり、発電所内の最新の写真をスクリーンに映し出したりと、リアルタイム性があることは特筆すべき点と言える。

発電所所員が思いを語る「あの日、3.11から今」というコーナーでは、興味深い話が聞けた。

「事故を起こし廃炉にする、こんなプロジェクトは無いに越したことはないのですが、社員は福島復興のためとマインドチェンジし、廃炉を安全に進めて完了させることにモチベーション高く臨んでいます。新しい技術開発という意味では、若い世代が興味を持ち、廃炉に携わりたいと入社するケースも増えていると聞きます」(中里さん)

廃炉には40年かかると言われ、それはつまり震災や原発事故の当事者ではない若者が担っていくということでもあり、どこか後ろ向きというか、社員のモチベーションは下がっているのではないかと思っていたが、意外とそうでもないとのことだ。

■ 来館者の反応は

来館者へのアンケートの結果によると、展示に映像コンテンツを多数用意していることから、8割くらいから「分かりやすかった」と評価されていた。

ポジティブなコメントは、「地元の私たちでも忘れかけていた当時のことを学び直すきっかけになった」「遠くに住んでいる限りは知ることができなかった現実や、福島の状況を学ぶことができた」など、県内・県外それぞれポイントは違うものの、学びがあるという点で共通している。

一方、要望としては「事故の反省も必要だけれども、この先に向けた内容も充実させてほしい」「安全になっていくことへの実感がほしい」といった、未来に向けて何をしていくか、何ができるかを示すことも重要だというものが目立った。

取材中、来館者に資料館を訪れた理由を聞いてみたところ、富岡町で働く女性は、自身は2度目の来館で婚約者とその家族を案内していた。初めて来た際には、「いきなりこれでもかと謝罪の映像を見せられ、面食らってしまった」という。確かに、シアターホールで流れる8分ほどの映像は、事故を振り返り、反省と教訓を伝えることを徹底した重苦しい内容だった。

もう一人、廃炉資料館のスタッフの友人で、防災関連の仕事をしている神奈川県から来た女性は、学びの場として下見に来たとのことで、改めて仲間を連れて来る予定だという。口コミやハブとなる人の案内で県外から訪れるケースがじわじわと増えているようだ。

■ 廃炉資料館が目指す姿について

廃炉資料館は今後何を目指すのか、どんな存在であろうと思っているのか。ひとつは、「次世代層へのアプローチ」を強化していきたいという。

「廃炉資料館は、福島第一原発の視察の際にご利用いただいており、復興への取り組みやエネルギーのあり方などに関心が高い大学生以上の数は多いです。最近では高校生のニーズも増えてきているのですが、中学生、小学生はまだ少ないので、ぜひ資料館の見学にきていただきたいですね。春休みに、小学生5人組が毎日自転車で遊びにきて、コミュニティルームをたまり場のようにしていたのですが、映像などもちゃんと見ていて。初めは興味なかったけれども、来てみると面白いとか、そういう入り方でもいいと思っています」(中里さん)

東京電力は、廃炉はもちろん、賠償、除染、復興推進活動などにも取り組んでいるが、地域活性化に貢献することもまた求められている。その意味でもうひとつ心がけているのは、「浜通りエリアの交流人口を増やす」ことだ。

「廃炉資料館に、というよりは、このエリアに多くの方にお越しいただき、交流人口が増えていくことに少しでも貢献したいと思っています。旅行会社から浜通りツアーのコンテンツにしたいと資料館を視察いただくことも増えていますし、大人数の団体さんには近隣施設と連携して時間差で見学していただいたりと工夫をしています。私自身が地元出身ということもありますが、県内・県外問わず、多くの方に足を運んでいただけると大変嬉しいです」(中里さん)

■ おわりに

紹介した2つの施設は任意で選んだ訪問先であったが、取材を進める中で両者とも「福島イノベーション・コースト構想」に含まれることがわかった。

福島イノベーション・コースト構想は、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するため、当該地域の新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトです。

ロボット、エネルギー、廃炉、農林水産等の分野におけるプロジェクトの具体化を進めるとともに、産業集積や人材育成、交流人口の拡大等に取り組んでいます。

出典:福島イノベーション・コースト構想 これまでの取り組み

また、このプロジェクトの一環で、原子力災害という観点に留まらず、震災の記憶の風化防止、防災・減災にも役立つ施設として、「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」が2020年夏に双葉町にオープンする。福島第一原子力発電所や廃炉資料館と連携を図るという。

Jヴィレッジと廃炉資料館は、責任も役割も異なるが、交流人口を増やし、福島、特に浜通りエリアを盛り上げる存在になりたいという意思は共通していた。今後、どれだけ存在感を高め、観光や研修という軸で県外から多くの人を呼び込むことができるかが試されるだろう。

東京からいわきまで、電車で約2時間半。気軽に行ける距離ではないし、観光名所も少ないかもしれない。ただ、復興に向けて本来の姿を取り戻すものと、新たな役割を担うために生み出されるものがここにはあるし、それを見にいく理由は十分にあるのではないだろうか。


【参考】

「Jヴィレッジ」公式サイト

「東京電力廃炉資料館」公式サイト


※2019年7月にYahoo!ニュース個人に寄稿した文章です


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