3.11が遠い記憶になってしまっても、震災遺族のためにできることがある
東日本大震災から7年。警視庁によると、2018年3月1日現在の東日本大震災における死者は1万5895人、身元不明のご遺体は62人(岩手県52人、宮城県10人)いる。
また、行方不明者は2539人で、警察はこれまでにのべ67万人以上を投入して捜索し、この1年では15人(うち死者2人)の身元が特定できたとのことだ。
所持品や身体的な特徴、歯型鑑定、DNA鑑定により99.6%以上の身元が判明しているものの、時間の経過とともに特定は難しくなっており、身元不明のご遺体をゼロにする道のりは険しい。
このように、淡々と数字で語ってしまうのは心苦しいものがある。ご遺体を遺族のもとに帰すことができたのは、無名の人たちによる並々ならぬ尽力があったからだ。
そのことに対して心から敬意を表したいし、多くの人にとってひとかたまりの数値でしか語れないものが、残された者にとってはかけがえのない「1」であるという、ごく当たり前のことを忘れてはいけない。
たとえば、1000人近い死者を出した岩手県釜石市では、震災直後何が起こっていたか。同時に多くの人が亡くなった際の問題として、まず遺体安置所が足りなくなる。そして、火葬場も機能せず、亡骸を火葬することすらできない状態になる。衛生上そのままにしておくわけにはいかないので、苦渋の決断として一時的に土葬する。近隣の県の自治体に支援を依頼し、目処がついた時点で遺族が遺体を掘り起こして、遠くまで火葬しにいったという。
そこでは、遺体を「物」として扱うようなことはなく、人間としての尊厳とは何かを示し合わせるまでもなく、1分1秒でも早く遺族のもとへ帰そう、誠意をもって弔おうという行動が優先される。
懸命に救助やご遺体の発見に取り組む自衛隊員やただひたすらにご遺体の死体検案をする医師、遺体安置所で読経し続ける僧侶など、彼らは誰に命じられたわけでもなく、必死で死者と遺族に向き合っていた。
ごく一部ではあるが、震災直後から今日に至るまでに、震災遺族・遺児のために誰が、どんな活動をしてきたのか紹介しよう。
■ 警察歯科医と海中捜索潜水士
大ヒットナンバーの『キセキ』などで知られるボーカルグループ「GReeeeN」のリーダー・HIDEさんが、歯科医師として検視作業に参加したことでその存在を知った人も多い「警察歯科医」。
検視は、刑事訴訟法第229条に基づき、医師の立ち会いのもと検察官ないしは警察官がご遺体の状況を調べるもので、警察歯科医は警察からの協力要請に基づき、検視の補助行為として身元確認作業を行う。
ご遺体の身元を特定するために用いるデータには、歯科所見、DNA型などがあり、今回のような震災や大事故によって身元の確認が長期化するケースでは、特に歯科所見の有効性が高いと証明されている。
震災発生から約1カ月後、歯科医師の人手が不足する中、HIDEさんは自ら志願して福島県相馬市の遺体安置所に向かった。想像を絶する状況に衝撃を受けながらも「この方を早く家族に会わせたい」という一心で身元確認作業にあたったという。
また、冒頭で行方不明者の数について触れたが、行方不明者の捜索もまた壮絶なものがある。
宮城海上保安部の巡視船「くりこま」は、潜水士や水中探索カメラ等を備えており、震災直後はもちろんのこと、いまなお行方不明者の家族や自治体からの要望に応える形で、潮の流れにより漂流物が止まりやすい地形など特定の地域に潜水して捜索している。
先日、七十七銀行女川支店職員の家族の要請により女川町石浜地区の沖合で行われた潜水捜索では、午前午後で30分ずつ直径20メートルの範囲、水深20メートルほどを捜索し、車のナンバープレート等が見つかったという。
海中捜索は年月が経つに伴い、海底の車やがれきには土砂が積もって海藻が付着し、手がかりとなるものが見つけにくくなるが、それでも「ひとかけらでも見つけたい」という思いで潜水し続ける人たちがいる。
もちろん、行方不明者を一人でも減らすことができれば最善であるが、たとえ収穫がゼロでも、その報告自体が遺族にとっては次善となる。「ここにはいない、もう来なくてもいいんだ」というように。
死者にそこまでしてお金や労力をかける必要があるのか、そういう意見もあるかもしれない。だが、それはもう理屈ではなく、突然訳も分からないうちに命を落としてしまった人を家族のもとに帰してあげたい、ただそれだけなのだ。
頭ではわかっていても、愛するものの死は受け入れがたい。帰りを待つ人たちには、別の時間が流れている。しかし、たとえそれが辛い現実であっても、一つの区切りがあることで、前に進むきっかけになる。遺族を救う、サポートする形は必ずしも一つではない。
■ 遺族・遺児支援について
東日本大震災において遺族となった人の数は約10万人とも言われ、遺族へのケアは重要なテーマの一つだ。具体的には、被災地における電話相談や遺族同士でのわかちあい、親を亡くした子どものケアプログラムなどが挙げられる。
仙台市、石巻市、気仙沼市で行われている震災で子どもを亡くした親の集い「つむぎの会」、岩沼市の「灯里の会」、石巻市の「蓮の会」では親同士の交流場所とし、震災遺族の集いを開催している。また、行方不明になった家族のいる方に向けて、仙台市、石巻市、気仙沼市、岩沼市では宗教者と連携した「法話の会」が行われている。
NPO法人ライフリンクが運営する「震災で大切な人を亡くされた方へ~東日本大震災遺族支援ホームページ」では、岩手県、宮城県、福島県のみで通話可能な「死別・離別の悲しみ相談ダイヤル」や手紙での相談を受けており、各種相談・支援窓口の紹介も行っている。
災害における様々な支援事業を手がける一般社団法人日本DMORTは、精神医学やカウンセリングを専門にしていない人でも「グリーフ(悲嘆)ケア」のポイントを押さえられるようにと、震災の1カ月後に作成した「家族(遺族)支援マニュアル」は、第三者が被災者と向き合う際に非常に有用である。
同様の事例は枚挙にいとまがないが、私がここで伝えたいのは、有事の際の対応における「役割」を知るということだ。そしてそれは、当事者ではない人には何ができるだろうか、という問いでもある。
復興、脱原発といった大きな主語で語るのではなく、一人ひとりができることを考えたい。
■ 私たちに必要なもの、それは想像力を働かせること
東日本大震災は、被災者に寄り添うという名目のもとプロパガンダとして利用されたり、原発の是非を絡めることでイデオロギーの発露の場にされてきた。
しかし、そのような思惑とは別のところで、必死に力を尽くした人、いまもなお被災者と向き合っている人たちがいるのは先に述べた通りである。
たとえ知り得る情報はほんの一握りであっても、死者の数や行方不明者の数がわかれば、その先に多数の遺族・遺児がいることはわかるし、捜索にあたった人の数がわかれば、どれだけ多くの人が動員し、様々な職業の人がどんな役割を担ったのかがわかる。
また、時が流れ震災の記憶が薄れても、時を経たからこそ詳らかに語られることもあるし、一方で、語ることはできても、到底受け入れられない現実もまた見えてくる。当事者ではない人間にとって、それらは非常に重要な情報となるだろう。
期せずして震災遺族に出会うかもしれないし、何気ない会話の中でその事実を知ることになるかもしれない。そのとき自分に何ができるだろうと想像力を働かせ、向き合うことには意味がある。
遺族の悲嘆を想像してみる、無神経な一言を発しない、そのことだけでも十分役割を担っていると言えるのではないだろうか。
いまさら、ではなく、いまから。3.11が遠い記憶になっていくからこそできることもある、そう考えることからはじめてみてはどうだろうか。
※2018年3月にYahoo!ニュース個人に寄稿した文章です
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