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不登校先生 (27)

毎朝5時ごろに、

ショートメールが入る。

「ととろん、おはよう。」

一言のショートメール。

母からだ。

人生で、自分が本当にどうしようもなくなった時に、

親に自分の生き恥をさらけ出せるかどうか。

実はけっこう大きな問題で。

それは自分によるところではなく、親の側の感覚によるところも大きくて。

高校入学から親元を離れて27年。

それでも何か一番つらいときに僕は、

母に必ず伝えていた。母は、いつも温かく「よく頑張ったねぇ。」

と言ってくれる人で、

「ととろんが生きててよかった。」

「あーよかった。」

と、ほっと涙を流す人だ。

今回は実は引っ越しの際に母は手伝いに来てくれて、

高速を二時間走って、駆け付けてくれた時は、

新年度で異動した直後だったのだけれど、

なかなかつらい状況の出だしだけど、頑張んないとね。

と母には、まだ大丈夫という感じで話をしていた。

ホームに飛び込もうとしたのは

それから一週間もたたなかった。

完全に病休に入る所までの目処をつけてから、

母には一度電話をした。

「15年前のことが自分の心の予防線になっていたみたいで、

 今回は、早めに自分で対応できて、友達にも支えられて、

 なんとか、命を失わずに休むことが選べたよ。」

母はいつも通り、

「あーよかった。生きていてくれた。」

そう言った後に、

「自分で守るために動けたからよく頑張ったね。そんな状態で。

 友達にも感謝しないといけないね。」

と、そう言葉を続けてくれた。

その次の日から、朝出勤の早い母は、出勤前に

「ととろん、おはよう」

「今日は晴れてるね。」

一言のメールを毎日送ってくれるようになった。

このときの母の気持ちを察し、僕は「心配かけてしまったな」

と申し訳ない気持ちになりながらも、母にきちんと状況を伝えられたことは

よかったと、そのくらいに思っていた。

後に、徐々に回復した数か月後、母の気持ちを本当に察するときには

愕然とした思いに心を突き動かされることになるのだが、

この時の、どん底の僕は、まだそこまでは気づかずに、

毎朝のメールを受け取って確認する。

まだ返事は返すほどに心が元気じゃない。

母さんごめんね。そんな気持ちで4月は過ぎていった。

↓次話


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