不登校先生 (18)
無気力になった僕が、かろうじて毎週1回の診察と、
校長先生への連絡ができたのは、だいぶ元気を回復して、
振り返ってみると、
なかなかに頑張ったなと思ってしまう。
無気力の状態でも、かろうじて僕を日常とつないでいてくれたのは
わずかばかりのスケジュールと、
もともとの自分の神経質のせいなのかもしれない。
行く気も起きないなら、病院にすらいかなかっただろうし、
校長先生への連絡も、どんどんしなくなっていただろう。
だが、心の状態が、腐海の底のような状態になっていても
常に秒針の音は聞こえ続け、壁時計とカレンダーは、
僕に今日が何月何日何曜日だけは知らせてくれる。
その上で、最低限僕がしなきゃいけない今あげた2つのこと以外に
僕がしなきゃと、体に染みついていたことが一つだけある。
ゴミ出しだ。
引っ越したアパートでも、ゴミ出しの曜日は以前住んでいた所と変わらぬ
「月・木」の早朝。
これだけは外せない。どんなに心が空っぽになってたって、
不登校になっていたって。
ゴミ屋敷になってしまうことは、ほかならぬ自分自身が嫌だからだ。
ただでさえ僕には、長年付き合っている「乾癬」という皮膚疾患があり、
赤い発疹に薬を塗ると、かさぶたのような、薄皮の乾いたような、
皮膚の角質がぽろぽろと落ちて床がよごれてしまう。
それは掃除機で掃除すればきれいに回収できるのだけれど、
だんだん暖かくなってきている季節の移ろいの中で、
ゴミを貯めることは絶対にありえなかった。
水曜日と日曜日には、絶対に6時に起きる。
それを目印にして、月曜日には、病院に行き、校長先生に連絡をする。
そのルーティーンを1週間の中の自分の動きとして確保したことで、
どんなに眠れない夜が来ても、何なら眠らずにゴミだけは出す。
月と木の朝だけはゴミを出す。
たった一つのことだけど、それだけで、僕の心は、
日常を起点に遠くに飛んで行った凧のようにではあるが、
確実に日常とつながり続けることで、
衝動的に落とし穴に落ちるように死にたくなったり、
全く眠れないことに絶望して薬を自棄になってたくさん飲んだり、
そういう無謀なことに自分がぶっ飛んでしまうのを、
ブレーキで来ていたように感じる。
何に救われたか、一番大きいのは親友であり主治医であり校長先生であり、
母であり。そういった人だったけれど。
あくまで一人暮らしの中で、うつ病と向き合う状況になった時に、もう一つ
僕自身を正気につないでくれたのは、「月・木のゴミ出し」という
本当に日常生活の1事象、だけど絶対に変わらないスケジュール。
これが一本の糸のように、心がどっかに飛んでいきそうになっても、
3日に一度、手繰り寄せてくれた。
ほんの些細な日常が、病んだ心をつなぎとめる。
4月の僕はこうして、かろうじてつながってくれている日常の中で、
月曜と木曜の間はどこまでも空っぽでもいい状態になりながら。
自分の空っぽさに、ぼんやりとしながら、過ごしたのだった。
↓次話
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