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不登校先生 (22)

お風呂に入る。日常生活の普通のことを、

自分の無気力のせいでしばらくできなかったことは。

そういうものかという納得よりも、

そんなことにも無気力は影響するのかという驚きと恐怖で、

自分自身のこれからの時間について

見通しが真っ暗なことが明瞭とされたようで、

なんだか落ちた落とし穴の深さが本当にとんでもなく深いのだということを

実感させられたような気がした。

湯船につかり、体が清潔になり、温まってくると、

しばらくぶりのその心地よさで、2回目の診断まで終えた今の自分の状況を

これまで考えていたイメージとは違う画で、振り返ることができた。

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浮かんできたのはコップのような画で、今自分が入っている湯船の様に

水がなみなみと、溜められている。

これが心の状態だとすれば、本当に、今回のこの、

完全に心が壊れた状態は、異動先で受けたストレスだけが原因なのだろうか

振り返ってみると、この4月そして、その前の3月は、

様々なことが重なって起こった。

3月、前の赴任校での卒業のシーズン。5年生を受け持っていた僕は、

そこまで完成度の高いものを依頼されてもいないのに、

気合を入れて卒業生のスライドを作り、サビ残時間は一気に増した。

いいものができたぞと、安心したことが引き金になったかはわからないが、

その次の週、いざ卒業式本番という週になって、

高熱、ふくらはぎがやけどのようなひどい腫れで水が溜まり、

吐き気もする。流行のウイルスでは聞いたことのない状態に襲われた。

かかりつけの皮膚科に診てもらうと、すぐに点滴治療と包帯ぐるぐるに。

ふらつきながらも自転車できたので自転車で帰ろうとしたら、

看護師さんに叱られて、点滴中は、自転車は禁止ですと。

呼んでもらったタクシーの運転手さんは、

母親くらいの年齢の女性ドライバーさんで、

なんだか、謎の疾病になってしまい卒業式の週に

ほぼ休まなきゃいけなくなるということが、情けなくて悔しくて、

そんな話を聞いてもらいながらの帰りのタクシーの中では号泣してしまった

びちゃびちゃに膨れたふくらはぎは三日間熱を持ち続けて、

それでもようやく腫れと熱が引いた金曜日。

管理職や同学年の相棒からもストップはかかっていたけど、

金曜日の点滴を受けてからの午後、病休を出しているにもかかわらず、

子どもたちの所へ行き、卒業式の準備を頑張ったこと、

自分がいない間も、仲良く、前向きに頑張てくれていたこと、

いっぱい褒めずにはいられなくて、子どもに会いにった。

けれど、その謎の傷病は、4月になっても回復せずに、

3月後半から異動にかけて、毎日右の膝から下はミイラみたいな状態で。

この時に、心もだいぶ困惑とストレスを溜めていたように思う。

そして、職場の異動と重なって、同時に進行したのが、自分自身の引っ越し

20年以上住んだおんぼろ下宿をついに出て、

近くのアパートに引っ越すだけだったけど、

家を変わるという事態そのものが、大きなストレスにとして上積みされた。

そういった自分の身に起こっていた様々な事案のストレスで、

心の容量は結構満タンに近い状態のストレスをため込んでいたように思った

そしてそんな、コップの水がもう表面張力で

何とかこぼれませんくらいの、ギリギリの心の許容状態に

ドボンドボドンと投げ入れられた、異動先での

ストレスオーバーな、アウェーを超えてヘイトだなと感じる事態に

おそらく心はもう溢れて壊れるしかなかったのだろう。

無意識に真っ赤な日暮れに溶け込んだときに、

それを夕焼けと感じることができずに、暮れる寂しさに受け取って、

彼は誰れ時に、彼岸に渡ろうかなんて思いに、無意識に飲まれて、

真っ赤な貨物列車に飛び込もうとしてしまうまでに、

心からあふれて受け止めていたガラスのコップごと砕けるような感じで

僕の心は病んだのだ。

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人の心は見えないけれど、その大きさにはやっぱり限界はあって。

見えないからこそ、自分の心にどれだけのものが受け止められるのか。

それはなかなかわからない。

ともあれ僕は湯船の中に鼻先まで沈めながら、

「疲れてたんだ、ずっと・・・・。」

もう一人の僕に話しかけるようにぶくぶくとつぶやいた。

↓次話


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