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古事記をはじめて学ぶ-11 古事記の神々 上巻-03 出雲王国を発見

古事記をはじめて学ぶ_09から、古事記の神々について学び始めています。神々を学ぶと、神社の御参拝時に神々とお話ができるかもしれません。また御朱印をいただきながら、ご祭神について考えることができるようになるかもしれません。兎にも角にも、まずはじめに神々について知ることから始めようと思い、学びをはじめています。

はじめて学ぶので、驚きの連続です。この学びのガイドとなるのは、國學院大學の古事記学センターのサイトです。
素人の自学習ですので、このサイトにとても助けていただいております。

古事記をはじめて学ぶ-10では神武天皇へ繋がる系図を追いかけてみました。その結果、天照大御神から直接つながる由緒ある系図が古事記から見えてきました。

この学びの途中で、出雲国に関する系図が見えてきました。スサノウ神と櫛名田比売との間に系図が伸びており、その先に出雲国の系図を発見。当初、古事記には出雲の方々は隠されており、登場しないと思っていたのですが、しっかりと残されていました。

1. 出雲王国初代主王から5代まで

国学院大学古事記学センター 櫛名田比売

スサノウ神(須佐之男神)は大山津見神の孫と結ばれ、その先に出雲国の系図と思われる流れが見えてきます。
最初の子がヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)です。この神が出雲王国の主王である大名持だと思われます。
富士林雅樹著の出雲王国とヤマト政権(大元出版)の巻末に出雲王国の主王の系図が記述されています。
最初の王は菅之耳(八箇耳)富家出身、2代目の王は八島士之耳(八嶋篠)郷戸家出身、3代目の王は兄八島士之耳(八嶋手)富家出身となっています。

国学院大学古事記学センター 櫛名田比売

古事記では出雲王国の2代目主王の八島士之耳がスサノウ神と櫛名田比売との間の最初に誕生したとされているようです。
系図の続きを見てみます。

国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(1~3代)

出雲国主王の4代目は布葉之文字巧為(郷戸家出身)、5代目は深渕之水遺花(富家出身)となっています。古事記では初代と3代の主王が省かれているようです。しかし、出雲王国主王の4台代目以降は古事記においても同じように系図が繋がっていることが伺えます。

2. 出雲王国主王6代と7代

6代目以降も見てみます

国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(4、5代)

出雲王国主王の6代目はオミツヌ:臣津野(国引主)郷戸家出身、7代目は天之冬衣(富家出身)と繋がっています。古事記ではオミツヌ王をオミズヌ淤美豆奴神と別な文字を充てていますが、ほぼ同じ読みとなっています。天之冬衣王に至っては、文字も全く同じとなっています。

3. 出雲王国8代主王と9代

8代目以降を見てみます。

国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(6代_前半の記述)
国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(6代_後半の記述、7代目)

出雲王国の8代目主王は八千矛(大国主)郷戸家出身です。大国主神は全国の神社で、ご祭神として祭られています。古事記では6代目となっています。出雲王国9代目の主王は富鳥鳴海(事代主長男)富家出身。古事記では7代目として記述され、さらに事代主が大国主の子として記述されています。

出雲王国では主王が大名持、副王が少名彦とされ、主王が東家(富家)であれば、少名彦は郷戸家の王が選ばれる。次の代は大名持が東家、少名彦が西家・・・このように二王制を採用していたようです。

そして、出雲王国7代目天之冬衣(富家出身)の子が事代主となっており、大国主が大名持であった時代の少名彦が事代主であったことになります。大和政権側は、出雲国の二王制が理解できていなかった可能性があります。そのため、古事記の記述を歪めているのかもしれません。

出雲王国 郷戸家(西家)と富家(東家)

続いて、出雲王国10代目以降が古事記では8代目以降がどのように記述されているのか、見てみます。

4. 出雲王国主王10代から12代


国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(8~10代)

出雲王国の主王10代目は国押富(富家出身)、11代目はハヤミカノタケサワヤジノミ:速瓮之建沢谷地乃身(郷戸家出身)、12代目はミカヌシノヒコ:瓮主彦(郷戸家出身)となっています。出雲王国主王10代目は古事記も同一文字で記述されていますが、11~12代は読みを重視した記述になっており、読みから推察すれば、同じ神となります。
続いて、見てみます

5. 出雲王国主王13代から15代


国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(11~13代)

出雲王国の主王13代目はタヒリキシマルノカミ:田干岸円味(富家出身)、14代目はミロナミ:身櫓波(郷戸家出身)、15代目はヌノオシトミトリナルミ:布忍富取成身(富家出身)となっています。古事記は読みを重視し、漢字は異なる記述となっています。

6. 出雲王国16代から18代

では最後に、出雲王国最後の系図を古事記と共に追ってみます。

国学院大学古事記学センター 古事記の出雲王国主王の系図(14~15代)

上記キャプションでは古事記13代から載せました。出雲王国主王の16代はヒバリオオシナドミ:簸張大科戸箕(富家出身)、最後の王17代はトオツヤマサキタラシ:遠津山崎帯(郷戸家出身)、18代は主王になりませんでしたが記述があり、富大田彦(野見・弩美宿祢)(富家出身)となっています。古事記では少し読みが異なる点が見られますが、ほぼ同じ神を示していると思われます。

まとめ

古事記に出雲王国の主王の系図が記述されていました。初代と3代は抜けています。また読み重視で用いる漢字は異なる場合が多くあります。

しかし、出雲王国の主王の大半を古事記は網羅しています。この系統一族が、スサノウ須佐之男神と櫛名田比売の間の系統となっており、天照大御神の系図から完全に分離して記述されています。

この須佐之男神と櫛名田比売の間の系統が葦原の中国の一族となっています。

また事代主の記述が大きく異なっており、出雲王国の二王制について、大和政権が理解できていなかった可能性を秘めています。

出雲王国の8代八千矛神は大国主命であり、稲羽の素莵に登場し素莵を治療した神です。
この大国主命が古事記では6代目として記述されており、国譲りの場面で登場の譲る側の神として記述されています。

国譲りとは、天照大御神側の系統が須佐之男の系統を制圧した事実の記述であり、古事記では制圧を国譲りとして記述していることになります。
この国譲りは天照大御神側の系統である高天原の系統、すなわち大和政権。対する葦原の中国の出雲王国という構図を創り上げ、大和政権が出雲王国を制圧(国譲り)したとなります。
とても上手い創作が行われています。これが古事記の物語となります。



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