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古事記をはじめて学ぶ-05 いなばの白兎に登場の神々について

この記事のタイトル画像は市立米沢図書館の書籍情報よりいただき、こちらで加工を致しました。米沢図書館の情報によりますと、この本は寛永21年(正保元・1644・・・徳川家光の時代)の刊本とのことで、かなり古い蔵書と思われます。

古事記には私たちが幼少期から読み聞かされた物語がいくつか詰まっています。有名な物語が、いなばの白兎です。

昭和世代は童謡「だいこくさま」を歌いながら育った方もお見えになると思います。この歌詞の題材が、いなばの白兎です。

おおきなふくろを かたにかけ
だいこくさまが きかかると
ここにいなばの しろうさぎ
かわをむかれて あかはだか

だいこくさまは あわれがり
「きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれ」 と
よくよくおしえて やりました

だいこくさまの いうとおり
きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの しろうさぎ


だいこくさまは だれだろう
おおくにぬしの みこととて
くにをひらきて よのひとを
たすけなされた かみさまよ

作詞 石原和三郎  作曲 田村虎蔵

白兎神社には、この童謡の石碑があるようです

白兎神社の童謡_大黒さまの石碑


國學院大學の古事記文化事業には古事記の現代語訳が各ページについて記述されています。下記は「稲羽の素兎」という章です

それで、この大国主神の兄弟には、大勢の神々がいらっしゃった。けれども、皆、大国主神のために国を離れて去った。離れ去った理由は、その大勢の神々が、それぞれ稲羽の八上比売と結婚したいと思う心があって、一緒に稲羽に行った時に、大穴牟遅神に袋を背負わせて、従者として連れて行った。そうして気多の岬に着いた時に、裸の兎が臥せっていた。そこで、大勢の神々はその兎に説いて言ったことには、「お前は、この海水を浴び、風の吹くのに当たって、高い山の頂に臥せっておれ」といった。それで、その兎は、大勢の神々の教えに従って山の頂きに臥せっていた。すると、その海水の乾くにしたがって、その身体の皮がみな風に吹かれて裂けた。それで、痛くて苦しみ泣き伏していたところ、最後にやって来られた大穴牟遅神が、その兎を見て言ったことには、「どうしてお前は泣き臥しているのか」といった。兎が答えて言ったことには、「私は、淤岐の島にいて、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでしたので、海にいる和迩をだまして言ったことには、『私とお前とくらべて。だから、お前は自分の一族をいる限りすべてを連れて来て、この島から気多の岬に至るまで、皆で並び伏してくれ。それで、私がその上を踏んで、走りながら数えて渡ろう。そうして、私の一族とどちらが多いかを知ろう』といいました。このように言ったので、(和迩たちが)だまされて並び伏した時に、私はその上を踏んで、数えて渡って来て、まさに今地面に降りようとした時に、私が言ったことには、『お前は私にだまされたのだ』と言い終るやいなや、いちばん端に伏せていた和迩が、私を捕まえて、私の着物をすべて剥いでしまいました。そういうわけで泣いて悲しんでいたところ、先に行った大勢の神々のお言葉で、教えて仰ったことには、『海水を浴びて、風に当たって臥せっておれ』とおっしゃいました。それで、教えのようにしたところ、私の身はすっかり傷ついてしまいました」といった。そこで、大穴牟遅神がその兎に教えて仰ったことには、「今急いでこの河口に行き、真水でお前の身体を洗ってすぐに、その河口の蒲の花を取り、敷きつめて、その上に横たわり転がれば、お前の身体はきっともとの肌のように治るだろう」とおっしゃった。それで、教えられた通りにしたところ、兎の身体は元通りになった。これが、稲羽の素兎である。今は兎神という。そして、この兎が、大穴牟遅神に申し上げたことには、「あの大勢の神々は、きっと八上比売を手に入れることはできないでしょう。袋を背負ってはいても、あなた様が、手に入れるでしょう」ともうした。

國學院大學古典文化学事業 稲羽の素兎 現代語訳より

ここで、兎が「一族の多い少ないを数えよう」と述べています。したがって、兎も和迩(ワニ)も当時または過去のある一族のメタファーであることに気が付きます。
地名については「淤岐の島」が出ていますので、隠岐島または白兎海岸近くの淤岐之島かもしれません。

Google Map 白兎神社と隠岐島の関係
Google Map 白兎神社と淤岐之島

では、兎は古代の一族であるならば、よく似た呼称の一族がいるはずです。早速Gensparkで調べてみます。

プロンプト:日本古代の兎族について教えて

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日本古代の兎族について

日本古代の兎族は、神話や伝説において重要な役割を果たしています。特に「因幡の白兎」という物語は、兎に関連する神話の中でも特に有名です。この物語では、兎が海を渡ろうとする際に、ワニザメを騙して渡るというエピソードが描かれています。この話は、兎の知恵や勇気を象徴しており、また、正直さや優しさの重要性を教える教訓としても解釈されています。

兎族の神話的背景

兎は日本の神話において、月と関連付けられることが多く、特に月に住む兎の伝説が広く知られています。月の兎は、餅をつく姿で描かれることが多く、これは日本の文化においても重要な象徴となっています。兎は、繁栄や豊穣の象徴としても扱われ、農業や収穫の神々と結びついています。

兎族の信仰

古代日本では、兎族は特定の神々と結びついて信仰されていました。例えば、白兎神社は兎に関連する神社の一つで、兎を神聖視する信仰が根付いています。兎は、特に月神と関連付けられ、月の満ち欠けや農作物の成長に影響を与える存在と考えられていました。

文化的影響

兎族は日本の民話や伝説においても多くの影響を与えています。例えば、兎を主人公にした物語や、兎にまつわる祭りが各地で行われています。これらの物語は、子供たちに教訓を与えるだけでなく、地域の文化や伝統を伝える役割も果たしています。特に「因幡の白兎」は、教科書にも載るほどの有名な物語であり、正直さや優しさの重要性を伝える内容となっています111214.


兎族に関する神話は、他の文化圏にも類似の物語が存在します。特に、インドや中国の神話においても、兎や他の動物が知恵を使って困難を乗り越える話が見られます。これらの物語は、兎が知恵や機転を象徴する存在として描かれる点で共通しています。

また、因幡の白兎の物語は、単なる教訓話にとどまらず、地域のアイデンティティや文化的な価値観を反映しています。白兎神社は、因幡の白兎の伝説に基づいて建立され、地域の人々にとって重要な信仰の対象となっています。神社では、兎に関連する祭りや行事が行われ、地域の人々が集まる場となっています。

さらに、兎は日本の民間信仰においても重要な役割を果たしており、特に農業においては豊作を祈願する象徴として扱われています。兎の姿は、豊穣や繁栄をもたらす存在として、農作物の成長を願う祭りや儀式においても重要視されています。

Genspark

日本古代の兎族について

日本古代の兎族については、因幡の白兎の神話が有名です。この神話は『古事記』に記されており、白兎がサメを騙して因幡の国へ渡ろうとする物語です。また、菟狭族や宇佐族といった「ウサギ族」が存在し、彼らは月神を信仰していたとされています。これらの伝説や神話は、兎が日本の文化や信仰において特別な位置を占めていたことを示しています。


兎族を深堀していくと、「菟狭族」や「宇佐族」が登場します。おそらく、これら種族が白兎として古事記に登場しているものと推測します。

菟狭族について、noteの中を検索しますと「Nippon183ka」様が2024/7月と9月に記事をアップされておられました。

特に~封印された神様~②には「菟狭族について」の章があり、記事のもとになったブログも記述されていました。

ここには「海側は菟狭族で陸側には和爾(ワニ)族という民族が生活」とも記述があります。陸と海が逆かもしれませんが、ワニ族についても記述が出てきます。

また、古事記の稲羽の素兎の物語は、大国主神のご兄弟たちによる求婚の物語となっています。美しい八上比売(ヤガミヒメ)への求婚の旅路での出来事が白兎の物語となっています。結果的に兎を救った大国主神と八上比売との婚姻の予測で終わりとなっていますので、兎も神であると思われます。だからこそ、白兎神社のご祭神は白兎神となっています。

大国主神は出雲神話の神です。おそらく、出雲族の方だと思われます。八上比売は稲羽(因幡)地方の豪族の娘。兎は菟狭族。ワニは和爾(ワニ)族。そして月神信仰へと繋がりそうです。

今回の学びにより、古代の日本の姿が少し見えてきました。

これからも、古事記の学びの旅を続けて参ります。

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