【節水便器 開発秘話③】 30年前の“3分の1以下”で流せる理由――「フチなし・トルネード洗浄」編
節水便器の開発秘話を3話に分けてお伝えする第3話目。
20世紀から21世紀への転換点に誕生した2つのコア技術のうち、今回は清掃性と節水を高めた「フチなし・トルネード洗浄」(2002年〜)を紹介します。
今では他社製品を含めてフチのない便器は一般的になりましたが、「フチなし」の開発過程では、アイデアがお蔵入りしかねない状況に……。
その背景には、トイレメーカーのTOTOでも避けられなかった当時の社会的状況がありました。
聞き手:TOTO株式会社 広報部 本社広報グループ 桑原由典
開発者の自主的な研究が発端
――私はフチなし便器を家で使っているのですが、掃除がとてもしやすく、昔のフチのある便器には戻れません。開発の発端には、一体何があったのでしょうか?
柴田:実は、衛生陶器の開発者の個人的な想いが、そもそもの発端なんです。
TOTOだけでなく、世界中のトイレメーカーのスタンダードだった「ボックスリム」式の便器は、断面が箱型(ボックス)の中空なフチ(リム)で、フチが水の通り道になっています。フチ裏には小さな穴がたくさん空いていて、小さな滝のような水流で便器を洗浄する方式です。
しかし、小さな穴と穴の間には水が届かない「不洗浄面」があったり、フチ裏についた汚れは鏡を使わないと見えず、掃除もしにくいという課題がありました。掃除しきれず残った汚れは、やがて頑固なこびりつき汚れとなって、ますます落としにくくなります。
このボックスリムに宿命的な課題がどうしても許しがたく、自主的に研究をしていた衛生陶器の開発者がいたんです。
研究所にいた私は、その開発者の方の自主的な研究を引き継ぎ、「フチなし」を搭載した次期トイレの社内プレゼンを研究部門から事業部に行うことになりました。2000年9月のことです。
「フチなし」のための「トルネード洗浄」
――もうひとつの「トルネード洗浄」は、どうやって生まれたんですか?
柴田:「フチなし」を実現するためには、水の流し方を根本的に変える必要がありました。そこで生まれたのが「トルネード洗浄」です。
フチ裏の無数の小さな穴から垂直に水を流すのではなく、1〜2箇所の吐水口から水平方向に勢いよく水を出し、渦を巻くようにグルグルと洗浄する方式です。
――「フチなし」と「トルネード洗浄」は、「卵が先か鶏が先か」のように、切っても切れない関係なんですね。
柴田:そうなんです。
「フチをなくして、水をグルグル回せばいい」というアイデアはシンプルですが、言うは易しで、勢いが良すぎると便器の外へ水が飛び出しますし、弱いと水が先端まで回らず便器をきれいに洗えません。水の勢いと便器形状との丁度よいバランスを見出すのに、とても苦労しました。
価値がないところに価値をつくる
柴田:どうにか「フチなし・トルネード洗浄」の試作モデルを完成させ、自信満々で事業部へのプレゼンに臨みました。
ところが、「掃除しやすくなるのはわかるけど、それがお客様への価値提案になるの?」という感じで、事業部の反応は全く良くありませんでした。
――TOTO社内でも、当初は「フチなし」に価値を見出されなかったのですね。
柴田:むしろプレゼンでは、「フチがなくなると汚れが見えるようになるから、かえって良くないんじゃないか?」という意見すらあったくらいです。
まあ、実際にトイレ掃除をしていなければ、「フチなし」の価値を直感的に実感するのは難しいですよね。当時の開発者は男性ばかりで、日常的にトイレ掃除をしているメンバーは、今よりずっと少なかったと想像されるので、無理もなかったかと(今では)思います。
――生活者、利用者目線での価値創造は、難しいものなんですね。
柴田: 「フチなし・トルネード洗浄」は、価値がないところに価値を提案したのだと思います。だからこそ、社内でもスッと理解されなかったのかもしれません。
この様にプレゼンの結果は散々でしたから、「フチなし・トルネード洗浄」はお蔵入りしたと思っていました。ところが、2002年7月に発売された2代目の「ネオレストEX」に、搭載されていたんです。
驚きましたが、研究所のシーズ(種)を事業部がしっかりと育んでくれて、商品として花開いたことは、とても嬉しく感じました。
価値をお客様へ伝えるために
一木:社内でもそうでしたから、「フチなし」の価値をお客様に伝えるのは大変でした。
「セフィオンテクト」と「フチなし」がもたらす防汚性や清掃性の向上は、従来のトイレになかった新たな付加価値です。その価値をお客様に伝えるために、お客様と接点を持つ販売側の社員の方々を中心に、いろいろと知恵を絞ってくれました。
価値伝達のために、「お掃除ワーキング」というプロジェクトも組まれました。日本各地のトイレの汚れ方や掃除の実態調査をもとに、トイレを含めた水まわりのお手入れに関するセミナーを全国各地で行い、「フチなし」や「セフィオンテクト」の価値訴求に繋げようというものです。
私は衛生陶器の開発者を代表してワーキングに参加して、実際に沖縄にも行きました。
――沖縄は、他の地域と違う特徴があるんですか?
一木:日本の水道水の多くは軟水ですが、沖縄の一部の地域は土壌のベースがサンゴ礁なので、水の硬度が高いんです(※1)。硬度が高いと水垢がつきやすくなるので、そうした地域でのトイレ実態も調査したわけです。
私や柴田さん、堀内さんのような技術者も、技術説明員として販売促進にかなり関わりましたね。
堀内:例えば、衛生陶器に見立てたタイルの半分をセフィオンテクト、半分を普通の釉薬にして、それを10年使用相当に劣化させた販売促進ツールをつくったりしましたね。そのツールのつくり方自体にノウハウが必要なので、海外の製造拠点に出向いて指導にも行きました。
柴田:ここまで価値伝達に力を入れるのは、トイレは、お客様が選ぶときに価値が伝わりにくい商品だからです。
例えばテレビやオーディオであれば、画質や音質を価値としてお店で実感できると思いますが、トイレの性能を同じように実感するのは難しいですよね。
――TOTOは1917年の創立時から洋式便器(腰掛水洗便器)をつくっていましたが、出荷数で洋式が和式を上回ったのは1977年、60年もかかりましたからね。トイレのイノベーションの価値伝達と普及には、いつの時代も苦労と時間がかかるのですね。
進化を続ける「フチなし・トルネード洗浄」
一木:柴田さんたちがシーズをつくった「フチなし・トルネード洗浄」ですが、私は別系統の便器に採り入れる開発を担当しました。マンションリモデル(リフォーム)用の便器です。
――サイホン現象を使わない系統の便器ですね。
一木:そうです。例えばマンションやオフィスなどでは、建物の構造上、便器からの排水を床ではなく壁に抜く「壁排水」が多いのですが、一部の壁排水タイプの便器は、サイホンを起こせないんですね。
――サイホンを使わずに節水を図れるのは、水の落差で流す「洗い落し式」になるわけですか?
一木:そうです。洗い落とし式にトルネード洗浄を採用するには、サイホン系の便器とは違う課題がありました。サイホン現象で引き込む力を使えないので、水平方向にグルグル回すだけでは、汚物を上手く排水管へ送れなかったのです。
「垂直方向にもトルネード(旋回流)をつくれば上手く流れるのでは?」と思いつき、粘土でつくった便器のいろいろな場所に穴を開けては流してみる、を繰り返しました。
最終的には、便器の底に近い側面に吐水口を設けて垂直方向のトルネードをつくり、水平方向のトルネードと組み合わせることで、少ない水量でもパワフルな洗浄力を生み出すことに成功しました。
――この垂直トルネードが、2010年の「ツイントルネード洗浄」につながったんですね。
一木:そうですね。マンションリモデル用という限定的な用途で開発した洗浄方式でしたが、壁排水という条件が一番厳しい便器で成功したため、洗い落とし式のスタンダードに発展していきました。
マンションリモデル用便器に改良を加えた「ツイントルネード洗浄」により、大洗浄4.8リットルの“超節水”便器が2010年に一斉投入されました。
サイホンを使う別系統として進化を続けていた最上位の「ネオレスト」は前年の2009年に4.8リットルを達成していましたので、2010年に大洗浄4.8リットルで勢揃いしたTOTOの主力便器群は、「GREEN MAX 4.8」として積極的にプロモーションされました。
「見る」技術の進化――自社開発の流体シミュレーション技術
柴田:水平と垂直のトルネードでしっかり流れる節水便器が実現した当時、同じ開発者として「凄い!」と思いました。一方、「どうやって汚物が排出されているのか?」のメカニズムは、当時はっきりとわからなかったですよね?
一木:2000年代当時の開発環境は、まだまだアナログでしたからね。感覚的に、うまく流れるときの“モード”はわかるんですが、理屈を言語化するのは難しかった。
――今では便器の開発に欠かせない、TOTO独自開発の「高精度流体シミュレーション技術」は、当時はまだ使えなかったんですね。
一木: 2010年代に入ってからですね、シミュレーションが本格的に使えるようになったのは。
柴田:シミュレーションによって、ツイントルネードの水平と垂直の旋回流がどのように合わさって汚物を流しているか、具体的に分析することができました。
最新の節水便器は、シミュレーションや3Dプリンターなどのデジタル技術も駆使しながら開発されています。
サイホンを使わない洗い落とし式の便器では、便器上部の水平トルネード水流2つの組み合わせによって、全ての水を便器内の洗浄に使いながら、汚物もしっかりながす水流をつくりだしています(※2)。
最上位グレードの「ネオレストシリーズ」は、2012年に床排水で大洗浄3.8リットルを実現しました。2017年には、トルネード水流の吐水口位置を変えることで、さらに効率的な便器内の洗浄と、ほぼ垂直なフチに進化しています。
堀内:さらに、便器のデザイン性も進化しています。2022年8月から発売された「ネオレストLS」の便器は、海外のバスルームを視野に入れた“Dシェイプ”が特長です。
真上から「D」の形に見える、直線と半円を基調としたシンプルな形状は、さまざまなバスルーム空間に合わせやすく、“デザインとテクノロジーを高度に融合させる”というTOTOのめざす姿を体現しています。
しかし、便器を生産する立場からすると、陶器が大きく、かつ、陶器で実現するのが最も難しい“平らな面”だらけです。「この便器は本当につくれるんだろうか?」と思ったほどです。
節水で衛生的なトイレを、陶器でつくり続ける
――最後に、30年あまり便器に関わってこられた今、改めて「トイレへの想い」を伺えますか?
一木:今回、節水便器をテーマに、我々3人で日本セラミックス大賞をいただきましたが、節水便器の開発・普及には数百人規模の方々が関わっているので、申し訳ないという気持ちが強いのが、正直なところです。
TOTOのいろいろな人が、いろいろなやり方でトイレに関わっていますが、「お客様に、より快適で、清潔なトイレを提供したい」という想いは同じです。「セフィオンテクト」や「フチなし・トルネード洗浄」は、その想いを実現するための手段の一つにすぎません。
こうした技術を点で終わらせるのではなく、それぞれの技術が連携してシナジー効果を生んでいることが、TOTOのトイレの強みだと思います。その一部に携われて、本当によかったなと思います。
柴田:振り返ってみると、私が入社した1980年代後半からの30年あまり、トイレの変革期だったと思います。入社時と今とでは、トイレが別物といっていいほど変わりました。
例えば昔の車と今の車は、同じ4輪で走るけれども、安全性や走行性能は全然違うものになっていますよね。トイレも同じです。そのトイレの変革期に、30年以上、大便器のテーマに関わることができたのは感慨深いです。
節水便器のトラップやフチなし形状などについては、発売後に他社からも類似品が出てきました。変な話ですが、その時は「やられた!」と思うと同時に、少し嬉しいんですね。「真似されてこそ、本物」だと思うので。そうした技術開発に関われたことを誇りに思っています。
堀内:TOTOは、衛生陶器を世の中に広めるためにできた会社です。名前の通り衛生的ですし、丈夫で長持ちするので、これからもトイレに使われ続けると、私は思っています。
衛生陶器は、製造工程で約13%も縮みますし、なにより原料は、天然の石です。こんなにバラツキが生じやすいものを、工業製品として“均質”につくっている。しかも、中国大陸・ベトナム・タイ・インド・アメリカ・メキシコでも、その土地の原料をつかって、同じ品質のものをつくっているんですよ。
衛生陶器は、何千年も昔から人類がつくってきた“焼き物”の延長でもありますし、セフィオンテクトのようにナノレベルの超平滑を一度焼きで実現する“高度なセラミックス”でもあります。
私自身は、“陶器馬鹿”だと思っていますが、会社人生を捧げるに値する奥深さがあると思います。ぜひ、「衛生陶器をやってみたい」という若い人に、どんどんTOTOへ入ってきてほしいですね。