パルムの僧院 上巻 下巻 スタンダール 感想文
以前読書会で読ませていただいた作品です。
「パルムの僧院」上巻 スタンダール
作品を読みながら、理解を深める為に映画も観た。
ファブリスはとても美しく、しかし主人公としては多少物足りなさを感じる。彼を支えるサン•セベリナ伯爵夫人や後に愛するコンディ将軍の娘クレリア、この二人の人間像が際立っている。
幼少期から美しいファブリスは、それだけで周りの人々から大切にされ守られている。
ジェズュイット派学校では、「前よりいっそう無知だったのに」、偽りの一等賞をもらっている。
ファブリスの良い所は、一等賞のようなものにも興味はないし、「素朴」、「自分の気持ちをかくそうとしない」、また、デル•ドンゴ小公爵であるという、その地位の自覚がない所がかなり魅力的なのだ。
「激しい熱狂的な」ナポレオンの崇拝者であるのにもかかわらず、全く政治の背景も分からず行き当たりばったりで「ワーテルローの戦い」に参加してしまう。
兵士になろうと戦場へ飛び出して、護衛兵の中にイタリア人を隠して紛れ込んだが、偉大な功績を残したネー元師や、もしかしたら自分の親かもしれないと言う将軍、A***伯爵と出会っても、何も出来ず、戦場の現実を見ることで参戦している気になっただけ、何ともみじめで頼りない。
必ず出会って話しかけようと熱望しているナポレオン皇帝をも戦場では見失う。
しかし周りの兵士たちになんとなく友情を持たれたり、彼自身のクセのない魅力は、周りが放っておかない。何より出会う女性のほとんどが、彼を守りかばってしまうのだ。
自覚のない魅力かと思いきや、だんだん大人になると自らの魅力を理解し、そして利用する。
この物語は、主人公の生き様と言うより、助け支えて行く人間、一際その女性達の情熱の大きさ深さが描かれている。
セベリナ夫人のファブリスへの愛情が、彼を守るために、自らがいかに政治と関わらずにはいられなかったかが書かれてあり、身を挺して彼を守る姿が、叔母、甥の関係を超越していた。
女性としての喜び、悲しみ、嫉妬、それを彼女の知性、情熱でどう解消、決着づけるかがとてもおもしろい部分であった。
自分の利益ばかりを考えている政治家や将軍に幻滅する、理性ある女性たち、また、神の前での現実の愛情のあり方、どう本当の愛に向かえるかが大変な苦しみとなる美しさが描かれていた。
セベリナ夫人が、どんなにファブリスを愛しても、ファブリスにとっての彼女は、
「この世に持つ唯一の友」だったのだ。
下巻、クレリアとの愛の行方は。
「パルムの僧院」下巻 スタンダール
感想文
女優マリエッタを搾取していたジレッチの殺害により、ファブリスは逮捕され投獄される。正当防衛であったのに。
しかし助かったマリエッタには恋をしていないファブリス、行きずりの女性たちに投げかける熱情。
すべてはエルネスト四世の企み、
「あの人の機知は他人に侮辱されたと思ったときに低劣なものになる」とセヴェリナ夫人、政治に全く無関係の罪で、死刑まで宣告される。公爵夫人の絶望は頂点に達する。
ファブリスを助けようと周りの人間が奔走していても、当の本人ファブリスは、クレリアとの閉ざされた中での会話や心の伝達に情熱を傾け夢中になり、牢舎に心地良ささえ感じているのが何とも歯痒い。
ただその時の情熱だけに走る、目の前の美しいクレリアが今の彼の全てである。
二人の愛はなかなかもどかしいが愛し合う二人はとびきり美しい。
クレリアの思い、娘を利用するコンチ将軍の企み。お金と地位、クレリアは父を軽蔑しながらも、その決められた運命に逆らえないジレンマの中で苦しむ。
ファブリスを愛して良いのかと、深く悩む心と、真の愛情ゆえの行動。
そして、時代に逆らえない流れ、愛していると感じた時から、セヴェリナ夫人を憎む自分を見つめて悩むクレリア。
やがて「綱の大脱走」。
映画では、自由主義者のパラの出現が面白い。医者であり、北イタリアの最大の詩人と書いてある「ファンテ•パラ」、小説では森で夫人と会うが、映画では王族側に追われて、セヴェリナ夫人の馬車に乗り込み救われる。なかなか個性的な志を貫く人間に思えた。
とても変わった風貌、貧しく盗みをして暮らしていて、子供もいる身の上。自由主義者のただならぬ苦難の生活が当時の状況を物語っていた。
セヴェリナ夫人は、「この男の眼の中に熱情的で善良な魂を見た」と、パラは夫人をを愛していて、手となり足となり夫人を支えファブリスを救う。その純粋さ誠実さが光っていて、彼の素早い行動で道が開ける。
パラは専制君主を倒すため、最後にエルネスト四世を刺して、軍に撃たれる。情熱的な死であり民衆を動かす。
夫人は、「彼はどれだけ勇気があるかしらね」と、その次のシーンが大公の刺されるシーンであった。
またこの小説で印象深いのは、最後まで愛する人を守り助ける我慢強いモスカ伯爵とずっとクレリアを愛し続けたクレセンチ公爵。真に人を愛し続ける強さ、本当に愛した人の幸福だけを考え続ける姿に胸打たれた。
クレセンチ公爵は、クレリアと結婚した後も、ファブリスに会いたいクレリアの気持ちを察して、あなたが幸せだと思うことをしなさい、私は待っているとクレリアの自由を認め、遠方への統治に出かける。
社交界での一場面、
引用はじめ
「クレリアは、さっき熱心に話しかけていた若い人たちがだれもこの露台に近づいてこないのをうれしく思った。その中の一人、クレセンチ侯爵がちょっとこちらに向かって歩いてきたが、勝負事のテーブルの脇でとまってしまった。」岩波文庫、下巻 P.53
引用終わり
映画を観た後、初めてあの侯爵の名をこのページで見つけた。
ああこの人なんだ、この奥ゆかしい態度、ずっとクレリアを好きなのに、静かで控えめである。本当に愛している沈静な至誠を感ぜずにはいられなかった。
映画の最後にはこの乱世に周りの政治状況、複雑な民衆の動きには目もくれず、ひたすらクレリアに会いたく、探し歩くファブリスに彼女は一度は彼に会い愛を告げる。
しかしそれはやはり神に背くことと、やがてクレセンチ侯爵の元へ帰る。
印象深い二人の女性は、真に愛してくれるそれぞれの人の元へ、一人はモスカ伯爵、一人はクレセンチ侯爵へ。
「すべては所を得、すべての鳥は塒に還ったのです。」
以前読んだ三島由紀夫の『宴のあと』の一節を思い出した。
ファブリスをは僧侶になった。