「越年」 岡本かの子 感想文
この小説が書かれた時期は、何となくきな臭い感じがした。
しかし年末のボーナスが出る位だから、遠くに日中戦争の声を聞き、第二次世界大戦前のなんとなく不安な雰囲気の中で、ほんのわずかでも皆が楽しもうと、張り詰める面持ちを無意識に緩和しているような印象を受けた。そして楽しみすぎることにも、微かに抑制しながら。
引用はじめ
「事変下の緊縮した歳暮ははそれだけになるべく無駄を省いて、より効果的にしようとする人々の切羽詰まったような気分が街に籠って、銀ぶらする人も、裏街を飲んで歩く青年たちにもこつんとした感じが加わった」p.133
引用終わり
どう説明してよいかわからないが、この「こつんと」という言葉の響きが、その当時の人々の内面の様子を的確に表していて空気感が伝わるのだ。
銀座、晴れ着を着てビフテキを食べに行こうというシーンはその時代を感じさせられるのだが、この若い心もちは生き生きと伝わってきて全く古さを感じさせない。
小説全体が古臭くないのだ。
仰反るくらいに殴られるという冒頭のシーンに、「きっと好きなのだ」という直感はすぐに湧いた。
転職で既に頭がいっぱいであるのに、
そこに恋愛のケリをつけようとまでするのは無茶であり、突発的な「事件」であった。
退職届も加奈江への大切な謝罪と告白の手紙も、肝心なものは郵便を使うのもちょっと卑怯であるような。
思いつめた時に、このような行動をとる人は、内向的な小心者であるのかとも思われたが、先見の明もあり行動力もある堂島である。
犯人のように、明子をもヘトヘトにさせて、「復讐成就」させる。
上司や同僚にあれだけ扇動されたら、そしてあの涙と頭痛からは、「仕返し」はせずにはいられなかったであろう。
しかし、成し遂げた後は、虚しさだけしか残らなかったように見えた。
何であんなに夢中にそればかり考えていたのだろう、と終わってみれば馬鹿馬鹿しいと感じる時はよくある。
年末から、年を越えても執着するものは何だったのだろうかと。
そして「敵」が自分を好きだった!、とは。
この思わぬ展開によって変化していく加奈江の女心がよく表現されていて、つくづく共感してしまった。
羞恥心とも違う、謝意とも違う、初めて堂島に感じ始めている何か。
その気持ちが芽生えつつあるラストシーンがとても良く伝わってくる。
引用はじめ
「加奈江は、そんなにも迫った男の感情ってあるものかしらん。今にも堂島の荒々しい熱情が自分の身体に襲いかかって来るような気がした。
加奈江は時を二回に分けて、彼の手、自分の手で夢中になってお互いを叩きあった堂島と、このまま別れてしまうのは少し無慙な思いがあった。一度会って打ち解けられたら・・・」p.142
P.143
引用終わり
この胸のざわつきは何だろう、と加奈江の気持ちが感じられる。
「敵」だった人が「打ち解けたい」、そんな人に変わってしまった「越年」。
サクサクとテンポ良くわかりやすい軽快な文章は、けっして古めかしくない新鮮な小説であった。
一作ごとにその都度かの子先生の才能に驚かされてしまうのだ。