「風の便り」 太宰治 感想文
引用はじめ
「君の二通の手紙は、君の作品に較べて、ひどく劣っています。自分がもし君のあの手紙だけを読んで君の作品に接していなかったら自分は君に返事を書かなかったろうと思います」(p.260 新潮文庫)
引用終わり
それほど失礼な手紙がだったのだ。
しかし、その手紙の主が書いた小説の底に流れるしっかりした思想を読み取って期待していたのも、手紙を受け取った作家であった。
「自分に根強い思想があるのに自覚していない」と彼はのちに指摘した。
全集を三種類も出している作家「井原退蔵」に、二十年尊敬し憧れ続けている私小説家「木戸一郎」が宛てた初めての便りは、あまりに無作法で、まるでラブレターのように甘ったれたものだと読んでいて少々イライラした。
熱烈に尊敬する相手に、書簡で自分を理解させるのは至難の業であることもよくわかる。
木戸という人間を、自らの言葉で井原に伝えるのは難しい。
ともすると的を外れてしまい、感情が高揚したまま虚飾にまみれてしまうこともあると思う。
一呼吸置くか、一晩眠り考えるのがいい。
木戸の年齢は当時の太宰よりやや上であり、太宰自身の振る舞いや姿を重ね想像してしまった。酷似しているのではないかと思われた。
木戸の問題に対して的を射た言葉で大いに指摘できる井原である。
太宰の求めた先輩作家の理想の言葉を語っているようで、そういう姿や言動を描けるというのもまた太宰の作家魂の中にある真実なのだなと深く思うところがあった。
木戸の自嘲的な言葉に、「見え透いた虚飾の言は、やめていただく」(p.256)
ときっぱりと井原は言い放つ。この言い方が志賀先生を思わせた。
太宰はもともと志賀先生が好きだったのではないかと、愛することが何かのきっかけで憎悪に変貌してしまったのではないかと想像してしまった。
卑下、愚痴、悲観、依存、虚飾、何より作品が書けない苛立ちを手紙に書いた。
付き合い始めてもいない相手に宛てた手紙には凡そ書けないことが書かれてあったように思った。
「いじらしいとお思いになったらお返事をください」(p.248)
こんな言葉に、返事など書く気にはなれないと、読んでいて頭に靄がかかるようで閉口した。
「一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱することが出来ぬというのは、誠に腑甲斐ない」(p.257.258)
「正確を期すること」「主観的たれ」と井原は木戸の作品に警鐘を鳴らす。
「作家は歩くようにいつでも仕事をしていなければならぬ」(p.298)
井原はさりげなく導いていったのだと思う。
「あなたのお指図をいただきたい」とか「もう二十年はやくあなたがそう言ってくれたなら」、とか、その木戸の甘えた言葉を言う前に「行動すべし」、と井原は言いたかったのだと思う。
木戸は、作品を書くようになる。
必要とされない時、ひたすら「鍋の底を磨いていたフランス料理の巨匠「ミクニシェフ」の行動力と仕事のドキュメントを先日見させていただいた。
四の五の言わず同じことをやり、動き続ける、どんな仕事でも自分で見つけ認められなくても毎日やり続ける、自分から答えのあるところを探し強引なくらいに粘る。
すると答えの方が向こうからやって来るのだと、その下積み時代を見てとても感動した。
作家はひたすら書き続けることを井原は伝えたかったのだと思う。
「生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめなければならぬ」(p.298)
先日ある新聞記事が目に留まった。
「ずっと一緒にやってこられた最大の理由がわかった」(何ですか)
「お互い尊敬しあっていないこと」 宮崎駿
尊敬しすぎると身動きがとれなくなりそうである。
尊敬しながらも木戸も井原から離れて行くラストが気になった。