「黒い雨」 井伏鱒二 感想文
「万年筆くらいの太さの黒い雨」
広島に降ったこの恐ろしい雨が、この小説の矢須子のような未婚の女性の人生を狂わせていったのだ。
どれほどの人たちが、果てしなく想像を超えた生き方の選択を迫られ、苦しみ抜いていったのか、何度読んでも胸が張り裂けそうだ。
せめて、「黒い雨」に放射能が含まれていなければ、と当時多くの人が望んだにちがいない。
YouTubeに、1986年1月17日放送の『「黒い雨」広島長崎の原爆の謎』(黒い雨の実態)というのがあり、興味深く見た。
広島市高須という場所が一番多く黒い雨が降ったという。その放送の時期は既に原爆投下から40年以上が経っていた。
多くの市民からの情報や、黒い雨を受けた衣服から採取した物質には放射能が検出されなかった。
ある民家の、既に改築されている居間の新い壁の奥に、「黒い雨」の雨だれが伝った何本かの黒い線のある白壁が今も残っていると住民からの知らせがあり、解体して壁を切り取った。
当時日本で、その壁の黒い線の部分の粒子を元素分析した。そして土や泥の成分であるケイ素と鉄が一番多かったという結果が出た。
投下時に土や泥が舞い上がって降ってきたものであり、放射能は検出されなかった。
当時の広島気象台が原爆投下後の雲の様子を克明にスケッチしたりメモで残していた。
大量の閃光が走り、大きな火の玉が上がり、黒煙が中央にのぼり、地上の土や塵を巻き上げていった。それが「キノコ雲」をつくり積乱雲になり、風に流れて、人工の雨を降らせたということだった。
日本が含まれていた鉄を、土の成分と判断した時、アメリカの「マンハッタン計画」に参加していたジョン・ハーレーという研究者は、「爆弾本体の鉄も含まれている」と表明していた。
後にアメリカからの要請で、その白壁の断片はアメリカに渡った。
広島、長崎の両方の投下機に搭乗した人物なども追跡していた。
アメリカ軍は、日本の気象に特別に気を配り、晴天の日に投下したので、雨など降ることはないと、「黒い雨」が不可解であったようだった。
アメリカの多くの研究者の参加と当時の先端機器を駆使した結果、壁の黒線にはっきりと放射能の線が映ったのだ。そして検出された。
「黒い雨」は明らかに恐ろしい雨だったのだ。
原爆投下後、78年経った今、「黒い雨」に放射能が含まれていたという結果を目の当たりにし、その映像に初めて向かい合って、とても息苦しく胸が圧迫されるような思いを新たにした。
実際「黒い雨」に打たれた服を画面で見た時、矢須子の拭っても拭っても拭いきれないその得体の知れないものへの恐怖が目に映るようだった。
コールタールのような黒いものが大切な故郷の美しい景色を一変に汚していく有様はもう二度と絶対に見たくない。
これからも、「黒い雨」を忘れずに読んで行こうと思った。時を経るごとにますます大切な一冊になって行く。