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「普請中」 森鷗外 感想文

「木挽町の河岸を逓信省の方へ」と冒頭にあり、河岸とは市場、これは築地あたりかと調べてみたら、「築地精養軒」という西洋料理店が実在していたのだ。今も「築地精養軒ホテル」というのがある。

銀座辺りなのにも関わらず、水たまりで靴が汚れるという当時の道路事情は、舗装の「普請前」であったであろう。ホテルの入り口に雑巾が敷いてあるのも違和感、サロンに飾られている絵画も西洋料理店には似つかわしくない。
室内の統一感のなさ、和洋折衷なちぐはぐな様子もまだまだ「普請中」なのである。

工事の音の喧しいその店で、ドイツ人の女性と逢う約束をする主人公の渡辺。
彼は高等官、名誉を汚すような女性とのスキャンダルは起こせないという認識はあったのだろう。

ロシアのウラジオストックから来たそのドイツ人女性は、渡辺の過去の愛人らしき人である。その料理店を選んだのは、彼女への気持ちが既に終わっているから、そして密会めいたことは全くないと、誰に見られてもいい場所を選んだこと。それは故意に起こした渡辺のポーズであるようにも見えた。本当に冷淡になれていたのか。

「どうせいつだって気の落ち著くような身の上ではいけど」p.23
と彼女は言った。

以前にはなかった目の縁の暈(くま)。
明らかにやつれていた女性。
旅先で稼ぐ歌い手のような身の上の彼女は、安定している高等官という確固たる職業も魅力的だったのだろう。とても未練を残しているのが伝わって来た。

「普請中」の喧しかったその工事の音が五時でピタリと止む。このシーンの効果がとてもいい。
気の利かない給仕を引っ込めて、二人だけの時が来た。
彼女は「コジンスキイ」という渡辺から見たら情夫のような存在を一緒に日本に連れて来た。
もう全く冷淡であるはずの渡辺がそのことが気に食わない様子であるのは、やはり少し引っかかっていたのだと想像した。彼女の生き方事態を醒めた目で見ていたのだった。

「シャンブル・セパレエ」と、過去に渡辺と泊まった部屋を思い起こさせようと言葉を投げかけ反応を見るも、彼に感情の揺らぎはなかった。こんな時の女性の切なさが何とも言えなかった。
女は渡辺との過去の思い出を笑い話として言おうとしたのに、「図らずも真面目に声に出たので、悔しいような心持ちがした」p.27と、恋愛の「かけひき」は既に成立していないことが痛々しかった。
渡辺のとどめの一言に彼女の乾杯の手がふるえた姿が胸に残った。
遠くロシアから逢いに来て、そのかすかな見込みを打ち砕いた刹那だったのだ。

最初に渡辺のいる部屋の扉が開いた時の彼女の異国の装い、地味であるが華麗さを放つ彼女の顔立ちに渡辺はやはり魅力を感じたにちがいない。
 
「アザレイ」、「ロドダンドロン」、共ににフランス語であり、「つつじ」と「石楠花」と書かれていればずっと分かりやすいと感じてしまった。

また彼女の「鼠色の長い著物式(きものしき)の上着」という表現も何だか響きが美しくなかったのだ。せめても「鼠色」を「グレー」としたらもっときれいだったのにと、正直思ってしまった。

「アメリカに行くの」という彼女に、「ロシアの次はアメリが好かろう。日本はまだそんなに進んではいないからなあ。日本はまだ普請中だ」p.25

恋愛も日本にも憂いを感じている渡辺も、今は「普請中」であったと感じた。

これほど短い作品の中に、想像力を掻き立てる奥行きの深さを表現出来る鷗外先生は、やはり流石であった。




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