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「レ・ミゼラブル」第3部 マリユス ユゴー作 感想文

パリの浮浪児もジャンバルジャンもコゼットもマリユスもテナルディエ一家も、驚くほどの「貧しさ」と苦しみを体験している。

自分の力で稼いで何とかしようと考える者、人のお金しかあてにしない者、それぞれの生き方が、なぜこうも違ってくるのかが、一巻からとても細かく描かれていて、その都度納得させられた。 

誰に対しても変わらず慈悲深いジャンバルジャンは「信念の人」、人の為に生きられる姿は崇高で美しく、人間を深く愛していると感じる。


引用はじめ
「一人の神が通れば良い。神はいつも浮浪児の上を通った。運命はこの小さな者に働きかける。この運命という言葉に、私はいくぶん偶然という意味を持たせる。(中略)利口になるだろうか、馬鹿になるだろうか。まあ待ちたまえ。「車はまわる」子供を偶然で、大人を運命でつくる魔神(デモン)であるパリの精霊は、ラテンの壺つくりとは反対に、つまらない水差しを、立派な壺にしてしまうのだ」新潮文庫
P.12
引用おわり

やがて皆大人になり、神に働きかけられたジャンバルジャンと神が通り過ぎてしまった、デモンの水差しだったテナルディエだったのか。立派な壺になったと思った姿から悪魔へ。大きく運命を分けた二人を想像する。

ジャンバルジャンをつくったのはミリエル司教であり、コゼット導いたのはジャンバルジャンでありマリユスを目覚めさせたのは父ポンメルシーと運命的出会いの「教会委員マブーフ氏」である。

偶然と運命はまわり繋がっていくと感じた。
ジャンバルジャンも小さいゴゼットもマリユスもひたすら自分で「考えて」そして「進歩」して、やがて人の為に生きる人となっている。心の革命は何度も起きている。それぞれの真摯な生き方に心洗われた。

神は愛を持つ人に働きかけていると感じた。

王党派のジルノルマン氏とマリユスの決別。

父の生き方を想うあまり、皇帝を崇拝するようになるマリユス。「進歩」は人を幸福にするのか、不幸にするのか、複雑な気持ちになる。

フランス革命にも参加したナポレオン。革命後、王制から共和制へ、恐怖政治を経て、ナポレオン皇帝が政権を掌握、ワーテルローでの敗北。共和制支持者とナポレオン崇拝者と王党派の関係が、なかなかすっきりわからない。

「皇帝は王より上でしょ」との雑談のお言葉に、少し頭が整理されて行くような気がした。


「墓穴のなかでさまよっている恐ろしい人影」「世界の進歩を気にせず、思想や言葉を知らず、個人的な満足のことしか考えていない」「恐るべき虚無」「奈落の中を這いまわるものたち」p.263 
テナルディエと妻の生き方に通じる。
まさに「どん底」であり、「悪魔になることが到達点である」p.264
「俺たちが寒暖計なのだ!」との極みの言葉が頭に残る。

そんなテナルディエも、ワーテルローの経験の中にわずかにも透明な心はあったのだろうか、それとも大佐を助けたという、計算尽くの栄光狙いたったのだろうか。そこは読み取れなかった。

ラストシーン、ルブラン氏が2枚の硬貨をうまく使い、捕虜から脱するところはとてもスリリングで、一枚の硬貨を2枚にし剃刀のように使う。
脱獄囚の手段だが、この老人のかっこ良さに参ってしまった。奥深い人間の魅力をたたえていながら相手の出方を鋭くかわす、見事な身のこなしに彼の魅力全開だった。

このシーンが読者に肉迫して来る、そんな文章を書けるユゴーがすごいと思った。

最後に「あいつがいちばんの大物だったに違いない!」と言ったジャベールも、2巻にあったように、確かに「芸術家」であると感じる。彼もまた見事な人てありこれからの行方が知りたい。


奈落に落ちなかったのは、なかなか家に帰らなかったテナルディエの息子だけたったのか。軽く帰宅するこの浮浪児が面白かった。この子がパリの全てなのか。

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