「レ・ミゼラブル」第4部 プリュメ通りの牧歌とサン・ドニ通りの叙事詩 ユゴー作 感想文
レ・ミゼラブルには、いくつかのテーマがあると思うが、「人を救う」という事を4巻ですごく感じた。
姉の子を救おうとパンを盗む。もうすでにジャンバルジャンの資質の中に「人を救う」ことが備わっている。
4巻を読み終えてやはり印象に残るのはガヴローシュとエポニーヌである。
凶悪なテナルディエを父に持ちながら、なんと「清く澄んだ魂」を持っているこの姉弟。
ガヴローシュは二人の浮浪児を救い、自分も飢えているのに、1スー銅貨を取り出し、パンを買い分け与える。
大きい方の子に一番大きいのをあげ、自分は一番小さいのを取る。この幼さですでに人の尊厳を持っている。
マブーフ老人の庭に財布を投げたところもにくいほど見事な振る舞い。
母のように浮浪児(弟達)を労るところでは涙が出た。彼もきっとそうしてほしかったのだろう。
この優しさや慈悲深い心はどこから来るのか。
彼は早くから家を出て、全く家に近寄らなかった。帰った時は実家はもぬけの空。
生意気と思える隠語を使い、大人顔負けのジョークを飛ばす。
それは彼がいつも「自由」だったからだと思う。
自由は、時に苦しみにも繋がる。
沢山の惨めさも味わっている。
しかしこの心の「自由」が彼の魂を解放しているのだと思った。生きていることが本当に楽しそうである。
いつも誰かの為になろうとする姿がまさしく「ぼろをまとった天使」p.257に見え、胸が熱くなる。
ガヴローシュは、自分の本当の姿で生きている。
不断の私は何と不自由に生きていることか。本当の自分になるのはなかなか難しい。でもそうありたい。
時代は変われど礎は変わらない。
マリユスに向けて放たれた弾丸を防いたエポニーヌにも悲しい運命を感じた。彼女はマリユスといる時、本当の自分を見つけていたのだと思う。
マリユスと出会ってから、隠語を口にすることが出来なくなっている。とても大切なマリユス。
コゼットの家にマリユスが入った時、テナルディエと窃盗団の侵入を身を呈して阻み、マリユスを救うエポニーヌ。コゼットを憎むことなく、自分の意思を見せたのは最後の手紙を渡さなかった事だけだ。本当に切ないその心、愛されることなど全く望んでいない。
エポニーヌはマリユスの腕の中で最後はきっと幸せだったと思う。きっと本望だったに違いない。
読みながら、ジャヴェールがなかなか出てこないなと思う頃、「群衆に近づいて来る男」と、「もしかしたらジャヴェールかも!」とわかる瞬間に胸高まり、エポニールがいないなと感じると、「仕事着を着た男のなりをした女のような」と、「きっとエポニールだ!」と発見出来る楽しさ、読み手をワクワクさせてくれる。そこを感じながらの展開がすごく面白かった。
六月暴動が克明に描かれていて、「ラマルク将軍の死」を共和派がどう捉えていたのかがよくわかり、棺を国から奪いたかったのだと感じる彼らの行動がだんだん見えてきて。何か熱いものが伝わって来た。
マブーフ老人の最後が凄まじく美しく、また悲し過ぎた。
戦いは無惨で悲惨だが、それぞれが「本当の自分で生きよう」とする姿に魂が震えた。反乱と暴動の違いは難しかった。
コゼットを愛するあまり、マリユスを憎むジャンバルジャンの姿は、今までにない嫉妬であるが、最後に軍服を着て出かけるシーンは、彼を取り戻しているかに見えた。
5巻が本当に楽しみで、ここまで読んで来られたことが本当に嬉しかった。
とりわけジャヴェールの結末が気になる。