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「弓浦市」 川端康成 感想文

とても短くて不可思議なお話だった。
小説家の香住庄介の有り得ない過去を語る婦人が訪ねて来る。
三十年前のことであれ、結婚まで申し込んだ相手のことであれば、好きになった顔や思い出の情景は微かにも感じるところはあるに違いない。
しかし全く香住には記憶がない。

先客がいるのにも関わらず、直ぐに本題に入る、その婦人の性急な態度と言動が怪し過ぎた。
彼女は既に今あまり豊かでないことが、「着くたびれした」着物から見て取れる。

何より現実を見ていないような、婦人のやや年齢に不相応なふわふわしている態度が気になった。
またそれは見たくないものから逃避しているような空虚感であるのかもしれないとも思われた。

「これは忘れないでおこうというほど、しあわせなことがないのでございますね」(川端康成異相短編集 p.274

現在の夫には、すでに心通っていないような不幸を匂わせる発言。

若い頃わずかに出会い接した香住を好きになり、それからずっと引きずっていたのではないかと感じる不自然な馴れ馴れしさは、覚えがない者にばゾッとする瞬間である。

そして有名になった作家を何かで知り、現実と妄想の境のないまま香住のもとへ、幻想の中を走って行ってしまったのではないかと感じた。

婦人の就いた「新聞の仕事」も香住がきっかけで、何かの機会に関わりを持てるかもしれないという動機があったのかもしれない。

その妄想は、つわりのあたりから始まり、産んだ子も香住の子ではないかと思い込むほどに重症化していった。

引用はじめ

「私二度ともつわりがひどくて、少し頭がおかしくなったりしましたでれど、その時よりもつわりがおさまって、おなかの子が動き始めたころに、この子は香住さんの子じゃないかしらと、ふしぎにおもううのでございますよ。台所で刃物を研いでおりましたりして••••••。」p.278

引用おわり

不可解で不気味だった。 つきつめた表情の婦人が刃物を研ぐ姿。
何だか人の想像を超えたものに言わされているのではないかと、笑う妊婦を思い描いて寒々してしまった。

香住庄介は小説家であり、既に日常が妄想めいているのであるから、その隙間に入って来た曖昧な過去の記憶を、美しかったであろうその婦人の顔に、「あったかもしれない」と洗脳されてしまったのかもしれない。

美しい夕焼けや彼女の頸、椿の八重の花びら、おあつらえ向きのこの設定で、見事に香住の記憶を上書きしてしまおうとした婦人の心は、それが純粋な妄想なのか狡猾な企みなのかが掴めなかった。

この旧姓田井という婦人は、「神官」という特別な仕事に就いている夫に嫁いでいた。
その夫との関係も上手く行っていない様子が感じられたが、このこともこの不思議な行動と神秘性に無縁ではないような、謎めいた因縁があるような、超自然的な何かを感じた。

「思いでというものはありがたいものでございますね。人間はどんな境遇になりましても、昔のことを覚えていられるなんて、きっと神さまのおめぐみでございますわ」p.275

もしも、婦人が物書き気質があって、香住を見初(そ)めた後に、ずっと書き続けたシナリオがあって、そこから一世一代のお芝居を演じていたとしたら、良いセリフも油断ならないものになってしまうのだ。

そんな様々な思いをめぐらせてしまった不思議な作品であった。


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