「華氏451度」 レイ・ブラッドベリ 感想文
知らないうちに幸福感を植え付けられ、それを疑いもせず守ろうとする愚かな国民をつくるという怖い世界が描かれていたSF小説だが、今すでにその兆候を日常垣間見る瞬間があるという実感を、1953年にもう見抜いていたというのが凄い。
「焚書」、思考能力を奪うために、本が燃やされる。「知識人(インテリ)という言葉は当然のようにののしり語となった」(p.98)とある。
燃やすのは昇火士(ファイヤーマン)、消防士とは正反対、火をつける方なのだ。紙が自然発火する温度が「華氏451度(摂氏233度)」、この題名の意味を初めて知った。
主人公のガイ・モンターグはその昇火士、当初は笑いながら火をつけていた。
多くの人間が洗脳されていく世の中で、モンターグが、人間の根源的な血の共鳴を感じたというのか、そんな人物に出会い人間性を見出し回復していく過程が、とても響く文章で書かれていて読み応えがあった。
精密機械のようなインテリアに囲まれた息苦しい冷たい固い世界で、あるべき人間の本質に気づいてしまった者、全く気づかない者、気づきながら誤魔化している者の複雑さが正しい目線で語られていた。
とりわけ純粋に人間性を保つクラリスという少女が、モンターグに強い影響を与えたのだが、その世界では「精神病」扱い、自然への捉え方、感受性の豊かさはまさに過去の本来の人間の姿を映して出していて、本質を考えるとそれなしでは生きていけないような魅了される行動があるのだ。しかし真相がわからないまま、事故で亡くなった、と。
「少女は彼がかぶっていた幸福の仮面を奪って芝生を駆け去ったが・・・」(ハヤカワ文庫 p.24)
「彼は自分の体が熱い半面と冷たい半面、柔らかい半面と硬い半面、ふるえる半面とふるえていない半面にひとりでに分かれ、それぞれの面がこすれあうのを感じた」(p.43)
気づいてしまった人間の、今まさに自覚してしまった時の鋭い描写が素晴らしい。他にも的確な表現が読んでいてこちらを唸らせた。
モンターグの家の空調グリル、いつも気にしていたのは、てっきりジョージ・オーウェルの「一九八四年」のように「監視」されているのかと思ったが、本が隠されていたのだ。
そしてそれらも焼き払われる。
職務遂行に余念のないと思われるベイティー署長が、悩むモンターグに語るシーン。この部分がとても濃厚だった。
現況が単純化した世界の成り立ちと知性についてなど、最終的には、本を焼き払う意味と昇火士の必然性とその正当な立場を主張するのだが、解説いただいて更に理解が深まり、これだけの文献や書物を語り記憶している彼の本質に疑問を感じた。
ベイティーは、既に世が正常ではないことは理解しその知識で証明もできるはず、だからその実は空虚で、彼の全てが虚像であり、つくられた彼が職務を遂行していたのではないかと想像した。
モンターグに火炎放射器を向けられた時に、ベイティーはもう死の覚悟を持っていたのではないかと考えた。
ベイティーの知性と知識は本質を見つめるには充分過ぎるように感じられたからだ。
当局の追跡を逃れ、モンダークは山の中で、五人のインテリの老人達、グレンジャーと出会う。
ここで、本が全て焼き払われても、「記憶」というものがあると、読んでいて胸がざわついた。頭の中までは攻撃されない盗まれないと。つまりこれで伝承でき守れるのだと思うと、ここがピークなのだと感じた。しかし私が読めたのはここまでだった。
さらに最後に解説いただいた、「文字を残すようになって人間は記憶力が低下した」、「人類は人間の卓越性を記憶することで継承できる」、ということが、ラスト近くのグレンジャーが、祖父のことをモンターグに語るシーンで表現されていて、この作品のとても重要な部分であることを理解させていただいた。
そしてその部分が、この小説を理解する上でとても大きな収穫となった。