うつは、クッションのない車で走るようなもの
うつの症状の中に、「なにごとも楽しめない」というものがある。
これはちょっと、なってみないとわからない感じだ。「楽しい」とか「これ好きだな」というプラスの感情が全くなくなると、どうなるか。
あえて説明を試みると、私は「クッションのない靴や車で走るようなもの」だと思う。前に進んでも、ガタガタして、めちゃくちゃ疲れる。ちょっとした小石でも不快だ。散歩もドライブも苦痛でしかない。なんなら気持ち悪くなる。
「楽しい」が全くないと、何をしても、どこに行っても、プラスになる部分が本当に、ない。エネルギーを使った分だけ、マイナスになっていくばかりで、疲れてしまう。
美味しいものを食べて、味はわかる。おいしいのもわかる。でも、湧き上がる気持ちがない。
きれいな景色を見て、きれいなのはわかる。でも、染みとおる気持ちがない。
好きなものが目の前にあっても、ウキウキする感じや、好きだなあという感じが「ゼロ」なのだ。このあいだまで確かにあったのに、なくなっている。
好きなもので好きなように揃えたインテリアも全く「意味」をなさなくなり、存在がうざったい。世界が違って見えてくる。
愛する人が目の前にいても同じこと。愛という気持ちのクッションがないと、何をしてくれたか、何をしてくれないかの質量だけがうるさく目に留まり、とても狭量になってしまう。
振り返れば半年間は、これらの症状に苦しめられたと思う。私と世界の間に全くクッションが働かないことで、私は本当に擦り切れて、ざらついた世界と対峙せざるをえなかった。
かなり回復した今は、この文章を、公園の芝生に寝転んで、木漏れ日の中で書いている。風が心地いい、ということを「感じられる」ことが、信じられないほどのギフトだと感じる。
私たちの普段の何気ない生活が、いかに「楽しい」という気持ちのクッションで支えられているかを、うつになってから思い知らされている。