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生きるということは表現することで、表現するということは世界を切り取ることで

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ぼくたちは生きている。生きているから表現をする。けれど世界をまるごと生きるわけにはいかないから、世界を切り取ることでぼくたちは表現するんだ。

今日はちょっと下世話なところから話を始めさせてもらうよ。

例えばあなたが、異性と関係することが生きがいの人間だったとする。百人と関係し、千人と関係し、様々な国の相手と、様々な場所で関係する。

あなたは異性との関係については達人の領域だ。けれど、音楽についてはどうですか。それとも絵を描くことについては? あなたが才能に恵まれていれば、どちらもプロ並みの表現ができるかもしれない。

けれども、バレエは踊れますか。あるいは生け花はどうですか……。

何もかもがプロ並みにできる人なんているわけないよね。あなたはあなたの限界の中で生きるしかないんだし、そこを割り切ることができなかったら、どんなに才能があっても、あなたは死ぬまで苦しみ続けるしかない。

自分の限界をきっちり受け止めて、それはそれとして割り切った上で、その中でできることを考え、そしてその上で自分の限界に挑戦し続けること。

世界を切り取るっていうのは、そういうこと。

ぼくたちは誰だって、生きている以上、自分の限界に挑戦し続けてるんだ。繰り返される日常、ユーウツな現実、うっとうしい人間関係。そんなものにうんざりして、あなたはそのことが分からなくなってしまっているかもしれない。

けれど、自分の心の奥底を、今、しっかりと見つめ直してほしいんだ。

そこには、やわらかくて傷つきやすい何かが、けれども、決して尽きることのないエネルギーを生み出し続けている、暖かくて力強い何ものかが、確かにあるはずだから。生きているものなら誰でも、その生暖かい塊を心の奥底に持っているんだし、その塊は一瞬一瞬自分の限界に挑戦し続けているんだ。

ぼくだって毎日、この現実というやつには、うんざりしっ放しだとも。

だからこそ、ぼくはこうやって世界を切り取り続けるんだ。切り取った断片を自分の目の前に並べることで、自分の限界に挑戦し、自分が限界に挑戦し続けていることを忘れないようにしてるんだよ。

ぼくの切り取る世界は、ぼくの限界からして、そもそもあなたには届かないものなのかもしれない。だけれどもぼくは、この断片が誰かに届くことを信じて、こうやってデジタルの海に放つのさ。

あなたの切り取った断片と、ぼくが切り取った断片が、この世界のどこかで出会うとき、ぼくらが生まれてきた意味が、たぶん分かるのかもしれないじゃない。

だから、みんなで、自分の限界に挑戦し続けよう。そして魂を包み込んでいるちっぽけな氷の鎧なんか、いつか溶かし切ってしまおうじゃないか。

[写真はタイ、ノンカイのストリートミュージシャン]
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