2024年 11月15日 金曜日 徒然日記 ミュージシャン、寺尾聰の顔…

皆さん、おはようございます。徒然日記のお時間です。今日もここから、じっくり、ゆっくり、丁寧に綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

今日は全国的に雨降りですね。でも昼頃にはあがるんだとか。雨降ってるのに気温はそこそこあって身体がついていけませんね。

昨日ですね、NHKのMUSIC SPECIALを見ましてですね、俳優、寺尾聰のミュージシャンの顔に迫る、という企画をやっていたんで、それについて語ろうと思います。

番組は冒頭からシャレてましてですね、寺尾聰が、
「自分は俳優として、色々な役を演じてきた。ある時は医者であったり、ある時は刑事であったり…今宵はミュージシャンの役を演じてみたいと思います…」
と語り、入りからつかまれました。

俳優としても売れ、ミュージシャンとしてもヒット曲を持ち、喜寿を迎えた彼にしか言えないセリフな気がしました。ホント渋くてカッコいい…

寺尾聰と言えば、やはり「ルビーの指輪」ですが、一発目の曲は「HABANA EXPRESS」という曲でした。こちらの曲はなんだか疾走感があり、彼の新たなる一面を見せられた気がしました。へぇ、こんな曲も出していたんだって。

寺尾聰のミュージシャンとしての一面を探っていくと、彼の大好きな洋楽にたどり着くみたいですね。洋楽に憧れ、フランクシナトラを歌い、そんな彼の曲、「ルビーの指輪」にはどことなく洋楽らしさが感じられる気がします…

山下達郎も彼のラジオ番組で、とっても古い、60年代の洋楽レコードを紹介していました。良き音楽の裏には、どこか洋楽の要素が感じられるのかも知れません。桑田佳祐もビートルズにどっぷりつかっていましたし。
竹内まりやも洋楽を作りたかったって言っていましたし…

おっと、寺尾聰の話でしたね。彼の父親は俳優、宇野重吉ですが、父親の影響もとても大きかったらしく、
「世間ではエレキギターを持つと不良と呼ばれる時代だから心して好きにやれ」と言われ、時が経って彼も俳優として活躍し始めたころ、
「お前の俳優のベースになるのは、小さい頃からやっていたバンドや音楽だ。リズムと音程、これを自分の手にしっかり握ることができたら、俳優としてもやっていけるだろう」と声をかけてもらったそうです。

寺尾聰はその言葉を胸に「こっちの手に俳優、こっちの手に音楽・バンド少年の成れの果て、その2つを乗せて生き続けるだろう」と語っていました。

あとは、セットもシャレていましてですね、音楽バーの中、生演奏を聴かせる様なセットでした。照明も暗すぎず明るすぎず、雰囲気がとても出ていました。さすがはNHK、お金持ってる…

そして最後に演奏した曲は、「出航 SASURAI」という曲でした。
寺尾聰は「自分が亡くなったら、『ルビーの指輪』をあちこちでかけるんだろうけど、個人的には『出航 SASURAI』がいい」と言っていました。

生きてゆく道連れは 夜明けの風さ

この歌詞に自分の生きてきた全てが詰め込まれている気がする、年を取ってから昔の曲が自分にとって違う意味を持つようになってきた。不思議な体験だ…と締めくくって、静かに演奏を始めました…

冒頭でも述べましたが、寺尾聰と言えば「ルビーの指輪」しか知りませんでしたが、彼の違った一面も見れたいい機会となりました。
早速気になったので図書館で寺尾聰のCDを予約したら、一件予約が入っていました。もしかしたら同じ番組見て気になったのかなぁ…考えることは皆同じかもしれません…

俳優としてのルーツだけでなく、ルビーの指輪だけではないミュージシャンとしてのルーツも知ることができた、いい時間だったなぁ何て事を思う今日この頃でした。

追伸
寺尾聰 出航 SASURAI


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