2024年 12月9日 月曜日 徒然日記 うつ病とうつ抜け…社会福祉…

皆さん、おはようございます。徒然日記のお時間です。今日も丁寧に綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

今日は冷えますね。さすがに師走ですもんね。

さて、昨日ですね、ちょっと会場に行って、ある人の話を聞いて、とてもためになったので、その時のことを書こうと思います。

その人はうつ病を患っていたのですが、いわゆるうつ抜けをして、現在講演活動をしたりして社会貢献をしています。

話は生い立ちから始まりました。
父親が一人で板金塗装の仕事をしており、貧困に近い生活をしていました。好奇心は旺盛で、落書きばかりしていたそうです。
兄妹がいて、一番末っ子で、みんな同じ部屋で自分一人の部屋に憧れがあったと言っていました。

そんな家庭で過ごしていたんですが、小学五年生の時、家族にひびが入り始め、母親と妹の関係がまるで嫁と姑みたいにギスギスしていたそうです。間に入って話せるのは自分だけだったと言っていました。

そして中学一年生の時に、父親が突然死をしてしまいました。死因は心不全、働き過ぎと、家庭のことで心労が重なってしまったからだろうとのことでした…

保険金もありましたが、すぐに底をつき、生活保護に頼らなくてはならなくなりました。高校へは行きましたが、奨学金を貰いながらなんとか卒業できたという状況だったそうです。夜は母親の内職を手伝ったりもしていたとのことです。

高校を卒業した後は、本当は大学に行きたかったのですが、家庭環境のこともあり、早く就職できる専門学校を選択しました。ここでも奨学金を貰いながら通い、デザインの専門学校へ行っていました。

専門学校を卒業後、デザイン会社に勤め始めました。そこでは色々な仕事を任せてもらい、いい経験とたくさんの人とめぐり逢いをしました。ステップアップのため、何度か転職もしたそうです。

暮らしの方では、就労して半年くらいで初めての一人暮らしを始め、念願の一人部屋での生活をしていました。家賃は3万の風呂無しアパートですが、自分だけの自由な空間を手にし、のびのびと生活できたと言っていました。

そんな生活の中、色々なデザイン事務所が断られ続けた案件を担当するという、いわゆるブラックな企業に勤めることになってしまいました。
一誌につきアイディアをいくつも出す、OKが出ても突然コンセプトが変わりやり直し、ほぼ24時間体制という状況に陥ってしまいました。

終電後まで対応することもあり、会社で仮眠をとったり、カプセルホテルに泊まったり、家に帰れてもポケベルで会社に呼ばれたりと、そんな生活をしていたら徐々に身体に異常がみられるようになりました。

鈍い頭痛がやまなかったり、発疹が出たり、眠りにくくなってしまったと言っていました。
かかりつけ医に受診するも原因は不明、自律神経失調症ではないかと言われたそうです。
書籍にも頼り、関連する本を見るとまさに自分のことが書いてある、と言ったこともあったそうです。うつ病関連の本も発見し、これも症状が当てはまったと言っていました。

そこで初めてメンタルクリニック受診し、うつ病と診断されたとのことでした。もしかしたら、仮面うつ病という、軽いうつ症状とも言われたそうです。

その後は会社に病気のことを打ち明けるも、理解はされず、体調は酷くなる一方でした。仕事も一人暮らしもできなくなり、朝は起きられない、夜は寝られない、身体は鉛のように重い、家族に助けを求めるも、ちゃんとしろ、しっかり働けと理解は得られませんでした。

これでは治るものも治らない、と思い、会社を辞め、家出を模索し始めました。ルームシェアやパソコンで何かいい情報がないか探し始めたそうです。

そんな時に自分の様に精神疾患が利用できるグループホームや障害者年金があることを知りました。
障害者年金は年金事務所に直接いって説明を受け、書類をそろえるという、珍しい方法をとったそうです。
グループホームに住み始めたら、療養に専念するため、作業所に通い始めました。障害年金も受給が決定し、生活費に充てることができました。

グループホームで生活するようになって、自分はのんびり生活するタイプなんだと、自分らしさに気づいたと言っていました。

ピアカウンセリングを勉強する機会もあり、それをキッカケに当事者として啓発活動や講演もするようになりました。

そのうちサラリーマンになりたいと、就職活動も始め、大手会社の特例子会社に勤めることができました。

ところが、最初は順調に仕事をしていたのですが、パワハラを受けてしまい、うつ病が再発し、とにかく気分が落ちていってしまいました。そんな事があって、また会社を辞めざるを得なくなったとのことでした。

そんな中ですが、啓発活動で知り合った方から、ピアスタッフをやって欲しいと声がかかり働き始めました。そこでは過去のことは詮索されず、ゆったりと仕事ができました。
そして何より、そこでは暖かく迎え入れてくれたことが嬉しかったと言っていました。
少しずつですが、日数も増やしていき、最終的には週5で働けるところまで回復しました。

生活も充実していき、更なる充実を目指し、派遣会社で働くようになりました。因みに病気のことは就労先には言っていないそうです。

ただ、片付けが特に苦手で、ヘルパーさんには来てもらっているそうです。そうやって社会の色々な福祉を受けながら、生活ができていると言っていました。大切なのは自分のことを話せる居場所や人を作ることだと痛感し、会場の皆さんにも勧めていました。

地域には相談にのってくれるところが実はたくさんあって、民生委員、保健師、社会福祉協議会、地域活動支援センターなど、具体的な場所も教えてくれました。

あとは親亡き後の暮らしについても、子どもだけでなく親も心配があると言っていました。順番で言うとやはり親から先に亡くなります…
そんな時は社会の制度、お金に関しては、障害者年金、生活保護、障害者手帳、家の中にのことに関しては、訪問看護師、ヘルパー、日中活動では就労支援、地域活動支援センター、公共の施設・図書館、体育館、プール、手帳などで負担少なく行くことができる美術館やスポーツ施設などがあると、具体的な場所も挙げてくれました。

自分らしく生活するためにも、程よい生活力で安心して地域生活を送ってほしいと、締めくくっていました。

長くなりましたが、色々な人生があり、自分もその中の一人であることと、辛くなった時、困った時、助けてくれる制度などが、実は身近に沢山あることを実感を込めて知ることができ、とてもいい機会になりました。困ったことがあったら一人で抱え込まないようにしよう、何て事を思う今日この頃でした…

追伸
今日の一曲…ゆず 図鑑


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