利己的な年賀状
年賀状を出したいと思うものの宛先不明で返ってくる人もいるし、読書会などで知り合って住所を知らない方もいる。「数年に一度でいいか」なんて思ってしまうダメな私もいる。
聞くなり調べるなりすれば良いのですが、筆無精ゆえに遠のいている人もいます。すみません。実はこれが言いたくて投稿しました。重ねてすみません。
一方で、私から年賀状をもらって私に出していない方、別に気にしなくて結構ですよ。
SNS全盛な今、私が年賀状を出す理由は利己的だったりする。それは「私はあなたのお葬式に参加しますよ」という意思表示。
お葬式の際に声を掛けてもらえるかどうかは、喪主ならびに世話役の意向次第。ちなみに、仕事関係の人は別の連絡ルートが用意されていたりするので年賀状に頼る必要はない。(※1)
故人の人間関係なんて喪主も世話役も知らないだろう。そんな時、年賀状や手紙・はがき類は参考にされうる。故人のメールやSNSへのメッセージは参考にされない。
喪主や世話役が故人の人間関係を考慮しなければ、親族と仕事関係の人が参列者の大多数を占める可能性が高い。それでもはがきが残っていると、事後で連絡が来ることもあり、お墓参りくらいはできる可能性が高まる。
喪主もしくは世話役が故人とSNSの「友達」となっている場合もあるが、その場合は故人の「友達」の数が多すぎてSNSだけでは誰に連絡すれば良いのか悩むと推察。年賀状や手紙・はがき類はこちらの住所も分かるため、フィルタリングに便利。
とかなんとか、あなたのお葬式に参列しようと考える一方で、自分の葬式はどうでも良いと思っている。自分が死んだ後なんて全て割とどうでも良いと。これが家族にとって面倒なパターンなのは知っている。(※2)
そういうわけで、年賀状とか手紙をもらえれば嬉しいけれども、そこまで頑張る必要はないですよ。こちらは自分のわがままで年賀状書いているので。
noteに書いてどうすんの?という突っ込みありそうですが、伝わる人だけに伝われば良いのです。伝言板みたいな使い方もできるnoteのありがたさ。
つまり、年が明けて何がおめでとうなのか分かっていない私です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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※1:ベンチャー企業などに勤めている場合はこの手の連絡ルートが用意されていなかったりする。その場合、自分なら年賀状を出すようになる気がする。
※2:最近、生前に行う葬式があることを知る。その手があったか、と感心しつつ、自分が平均寿命を超えて生きていたら企画してみようかとうっすら思う。いやいや、平均を使えば鬼もあきれる先の話となり、寿命で平均が参考にならないの知っているでしょ。分かって書いた時点で、自分に嘘をついている自分を発見。結局、また一つ何かを先延ばしにしただけ。
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