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【エジプト〜ヨルダン〜イスラエル】陸路と船で駆け抜けた時に起こった数々の奇妙な出来事

エジプトを周遊し、ズタボロにされたメンタルをシナイ半島のダハブというダイバーが集うオアシスで癒したあとは、紅海(Red Sea)を船でアカバまでさかのぼり、ヨルダンに逃げる事にした。

そして目指す先は、世界遺産のペトラ Petra。
これがまた想像を絶する遺跡だった。

紅海の船上で出会った少女

アカバ港に向かう船上で笑顔が素敵な少女に出会った。一緒にいた弟も人懐こい笑顔。聞けば、やはりヨルダン人だった。エジプト人にはない爽やかさと気品があるのはなぜだろうか?

船上で出会ったヨルダン人少女

時は 1998年。この時は今みたいに海賊はでないし、中東事情はそれほど悪くなかったので船でのんびり紅海を航行できていた。

紅海の夕陽


何事もなくアカバ港に入港。ここからヨルダンへ入国しワディームーサにまでひた走り。そして宿をとった。

運が僕に向いてきた!ワディームーサという街


すっかり夜は暮れていた。安宿のお兄さんから、好きな部屋のタイプを聞かれて…。
Rooftop? 屋上!世界中の安宿、ボロボロドミトリーには普通に泊まって免疫はついてたが、この"屋上''という提案は初めてだった。

ワディームーサ

屋上に寝かされるのか?疲れていた僕の身体は、屋根付き普通のドミを欲していたが、財布の方は、屋上を選択してしまった。

初めての屋根なし屋上の宿。

でも、実はこの選択が最高の大正解を引き当ててしまった。

1.大の字に寝そべって見上げる空には、360度満天の夜空に浮かぶヨルダンの星たちが待っていた!思いがけないプライスレスの世界Get!

2.暗闇の中、大音量で響き渡る渋みとこぶしの効いたコーランの響きに覚醒!気持ちいぃー

3.ルーフトップの先客が、何と、可愛い韓国の女子大生2人だった!

以上、後はご想像にお任せします。
翌朝、しっかりこの2人と一緒にペトラ観光というオマケもつきました♪ハングル語も沢山教えてくれたし。
サランヘヨは、I love you! という意味だとか。
みんなペトラに行く時は、先を急がずワディームーサで宿をとろう。

ワディームーサ【Wadi Musa】
ヨルダン南西部の町。ナバテア人が築いた古代の隊商都市。です。


いざペトラへ!

この頃はまだ中に入れた


エル・カズネ(AlKhazneh The Treasury)の中から見える景色。

その昔、紀元前1世紀ごろ古代ナバテア人の有力都市として栄えた時代に想いを馳せる。

ペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。

人や物の行き交う要衝
砂漠を移動するキャラバン隊の中継基地

1985年ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録された。

アンマン・ヨルダン1998年


アンマン


ペトラから→アンマンに陸路移動した。
乾いた大地をひた走る。
さあ、今日の宿はどこにしようか?
旅人から聞いた、クリフホテル(CliffHotel)にしよう。
ここは、バックパッカーの間では有名なゲストハウスらしい…。
段々重くなってきたザックを担ぎ、歩きまわりたどり着いた。写真は残っていなかった。

エルサレム・イスラエルへ突撃!


カイロ→ダハブ→アカバ→ワディムーサ→ペトラ→アンマン そして、エルサレムへ。

アンマンから陸路イスラエル・エルサレムへ入国。イミグレで多少もめるかな?と思いきや意外とすんなり入れた。(でもイスラエル出国時は最悪、大もめでしたが)

旧市街ダマスカス門の前で降りる。
オスマン帝国のスレイマン1世によって1537年に造られた門だ。城壁の中に入ると…。

城壁の中に入る。来たーこれがエルサレムかあ。
今夜の宿はここにしよう、
アラブ人街の中にある安宿
Tabasco Hostel
現在は名前が変わったらしい。
Hebron Hostel:
Address:8 Aqabar Etkia,Souk Khan el Zeit,
Old City – Jerusalem
 

地球の歩き方 : フロンティア. (イスラエル)
ダイヤモンド・ビック社

その昔…僕は、地球の歩き方『フロンティアシリーズ』を好んで読んでました。

マニアックな国・辺境の地を取り上げた"フロンティアシリーズ"が出版されていた事ご存知でしょうか?

今となれば情報としてはかなり古いですが、その国を知る読みものしては素晴らしく、いま読み返してみるととても面白く楽しめる書籍です。

そのフロンティアシリーズ、92年発行のイスラエル版、これだけ何故か大事に手元に残ってます。

歩き方の情報で、僕がいつも欲っしてたのは安宿情報だった。でも、改めてイスラエル版を読み返してみたが、結局これには載っていないゲストハウスに泊まっていた。
 
結果論ですが、歩き方に載ってない安宿をパッカーや地元民から聞いて、自分で足で歩いて探しあてた宿は思い入れもあるし神宿が多かった、気がする。(ハズレもあるが笑)

エルサレム旧市街アラブ人地区で探しあてた
Al Arab Hostel Jerusalemここも最高だった。

【バックパッカー流・アナログな旅の楽しみ方】

 その日の宿は、あらかじめ決めない。
 新しい街に着いたら、自分で歩き周って
 人に尋ね、経験値と感性と勘で探す。
 当たりハズレも旅の醍醐味。

テルアビブ空港にて

テルアビブから空路でイスラエルを脱出しイスタンブールへ向かったのだが…。
空港での出来事。小汚い邦人パッカーはセキュリティチェックの格好の標的にされた。僕は別室の取り調べ室に呼ばれ身ぐるみ剥がされ、持ち物全てを細かく調べあげられた。

持ち物全てを自分の手で開封する様に命令され、大事に持ち歩いてきた''心の友ウォークマン''は、目の前でバラバラに解体され、そのまま投げ返された。

屈辱的だった。

今までの旅では、日本人、というだけで、信用され赤いパスポートを見せれば、笑顔までセットで国境を通過できるのが常だった。

ここは違った。これが世界なのか?

若く浅はかだった僕は、その一連のやり方に対し、必死に食ってかかり文句を言った。怒りを表現した。3人の若い検査官とは当然、言い争いになった。

しかし、彼らは毅然として、そして強かった。動じなかった。

礼拝に向かうユダヤ人

彼らの最後のセリフ、
『何か異議申立てがあれは帰国した後、日本でイスラエル大使館に行って下さい』だった。

離陸する寸前まで取調べは続き、最後は追い出される様に機内へ押し込まれた。
飛行機はトルコへ向けて飛び立ったが、怒りは全く収まらない自分がいた。

水平飛行を始めた頃には、少し冷静になり、さっきの出来事を反芻した。

いままで平和ボケで生きてきた自分。
自国を守るために、なすべき事を愚直に遂行する若者たち。僕はイスラエルの今のやり方には決して同調しないが、紀元前まで遡るこの地の数々の積み重ねられた歴史を学ぶと、この必然性は良くも悪くも理解はできた。両者に正義があるし大義もあり、そこに憎しみの連鎖があり、そこに生身の人間たちがいるという事実を。

今でも忘れられないテルアビブでの出来事だった。

嘆きの壁


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