死神と話してきたよ。
雷が大嫌いな私は
24時間営業のアミュージアム施設の目の前に引っ越しをした
しかし、コロナの影響で営業時間がAM10時からPM8時になった
AM3:48分
只今、めっちゃ雷鳴ってます。
はー
何の為に引っ越したのか。
雷が鳴っている時は特に自殺幇助を法制化してほしいと強く願ってしまう
雷の話はここらへんで。
今日は何だか不思議な一日だった。
というか今もなおこの考えに囚われている
【死にたいなー】
である。
今日の朝から急に死にたくなった。
しかし、苦しいとか痛い死に方は嫌なのだ
薬を飲んで眠ている間に死にたいのだ
安楽死クリニックで皮下注射をして30分以内に自分でとある薬を飲めば
強い眠気に襲われ、ベッドでよだれを垂らしながら
極楽極楽といった感じで死にたいのだ
まあ、この時点で、何かに思い悩んで自殺したくなった訳ではない
なんだろうか、心に蓄積された何かなのだろうか
それともゴール、いわゆる目標の喪失だろうか
自尊心の喪失が原因か?
理由がなんであれ、顕在化したこの感情は大事にしなければならないシグナルである
そのシグナルが自分に伝えようとしている事をしっかり理解してあげないと、いつか本当にふっと自分の命を絶ちそうである
まだやりたいこともある
達成したい明確な目標もある
あらゆるテクノロジーが急速に発達しているこの面白い世界で
先におさらばするのは非常にもったいないと本気で思う
今日は、そんな目標も夢もやりたいこともテクノロジーもなにもかも
別に死んでしまえばどうでもいいし、どうでもいいという感情も脳が死んでしまえば無くなる訳で。
やりたいことを全てやって死ぬのと、やり残して死ぬのと私にとって何が違うのか。
私の死を知った知人が、私の人生のエンドロールを流してくれるだけなのではないかと思う
そんな事をまじめに考えていた一日だった
やりたい事も見たい物もいっぱいあるけど、今死んでも全く問題ないという心境になって初めて分かったことがある
【死ぬ覚悟があるなら何でもできる】
この言葉はまったくもって的外れなアドバイスである
死にたい人間にとっては、そういうモチベーション変換の話ではないのだ
もう一つ分かった事がある
自殺しようと決意した日は多分、ブログもツイッターも何も更新しない。
何故か?
自殺をほのめかすと心配してくれる心優しい友人が数名は必ずいるからだ
こういう温かい言葉に触れると、ありがとうと言う気持ちと
心配をかけてしまって申し訳ないなーという気持ちでいっぱいになってしまって判断が鈍る。
だからと言って、SNSで死にたいと呟てる人を見て
ああいう事を呟ける間は死なないなんて思ってはいけない
死のうと決意していても、まだほんの少し未練があるから呟くのだ
誰も反応してくれなくなったら、もうその人にとっての未練もなくなる。
ネガティブなブログになったが、私にとってはポジティブな出来事だったのだ。
幸せになる為に
とか
目標を達成してワクワクして過ごす未来の為に
とか
そんな事の為よりも
死ぬ準備を終わらす為に今日も行動する
準備が終わらないまま死を迎えても別に私にとっては問題ない
むしろ、安楽死出来るなら早い方がいいのだ
こっちの考え方の方が、何倍も生きる活力が得れる
死ぬために生きるという不思議な感覚だが、なぜかとてもしっくりくる
なんだか書くことが全く纏まらないのだが、私にしてはとても珍しい死にたい衝動にかられた日だったので、ブログに残しておこうと思ったのです
誰の役にも立たないが、なんだろうね。こういう考えもあるんだよって感じでネットの宇宙に放てればいいかなーとね。思ってるわけです。