私の論語教室 6.知る/好む/楽しむ。
雍也第六、第十八章、「知る/好む/楽しむ」を読み解きます。
【原文】
子曰、
知之者不如好之者。
好之者不如楽之者。
【書き下し文】
子曰わく、
之を知る者は之を好む者に如かず。
之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
【現代語訳】
孔子がある時おっしゃった。
ある対象を知ることよりも、
それを好むことの方が上等である。
ある対象を好むことよりも、
それと楽しむことの方が上等である。
※
この章句との出会いが、私が論語の魅力に取り憑かれた、そもそものきっかけでした。孔子が単なる道徳家ではなく、もっと奥行きのある思想家であることに、気づかされたのです。
よく知られた言葉ですから、古くより様々な解釈が提出されています。しかし、良いものは多くありません。たとえば、「好きこそ物の上手なれ」というのがありますが、これは最もひどいものです。
前提として、孔子が語っているのは認識論です。認識論と言って固すぎるならば、「知るということは一体どういうことか」を語っています。認識論は、哲学という学問の中心に位置する分野です。
哲学と、それ以外の学問を分ける最大の違いは、認識論の有無です。歴史学の目的は、歴史という対象を認識することですが、歴史を認識するとは一体どんな事態なのか?その意味は?などと問題にするなら、それはもはや歴史学ではなく歴史哲学なのです。
ある対象を知ることの意味を問うのが、認識論の目的であるからには、本章での孔子の言葉は、それに真ッ正面から答えようとしていると解釈すべきです。
知ること。
好むこと。
楽しむこと。
この三者の比較は、知ることの深まりを意味しています。単なる知ることから好むことへ。好むことを超えて楽しむことへ。孔子は「知の冒険」に向かうよう、私たちを手招きしています。
順を追って見てゆきましょう。まず、「知る」という言葉について。
「知る」という字の成り立ちから分かることは、口(言葉)によって矢を放つというイメージです。もう少し正確な言葉づかいをするならば、鋭い言葉で対象の本質を突き止めるという行為が「知る」です。文字通り、言葉の弓矢で対象を射ぬく行為です。
対象の本質の把握を意味する「知る」を、孔子の認識論は最も下等な行為に位置づけていますが、これは現代の常識とはかけ離れています。およそ科学的思考の作法(マナー)が要求する知の働きは、対象の本質の把握だけだからです。
しかし、今私たちを知の冒険に誘っているのは、古代の思想家であることを忘れてはなりません。現代の常識からいったん離れて、私たち現代人が知の働きを、対象の本質の把握にわざわざ限定していて、他にも有り得たはずの知の「可動域」を狭めてしまっていると仮定しましょう。その仮定のもとに立てば、「知はこのように働かすことも出来るんだよ」と、孔子は整体師よろしく、凝り固まった知をほぐして、その可動域を拡張しにかかっていると解釈できます。
そこで続けて、知ることより上等なものとされた、好むことを見てみましょう。
「好む」の字が表しているのは、子供を抱きかかえる母の姿です。これを認識論として見た場合、知られる対象に抱く愛情が「好む」です。本質把握を目的にする「知る」と比べて、対象との距離が近くなっていることが分かると思います。
現代の学問では、「この学者は自身の対象をどれほど愛しているか」など、学者の質を評価する基準になりません。学者の優劣は、対象把握の精度のみによって判定されます。しかし、それはおかしなことだと、孔子は言っているのです。
学者が自らの学問の対象を愛せず、むしろ苦しみの種にすることすらありえます。近ごろ映画化されて話題になった、物理学者のロバート・オッペンハイマーは、まさにそうでした。学問の対象が理論物理学であるうちは困りませんでしたが、対象を原子力に移し、原子爆弾の製造に成功し、それが投下されてからの彼は、水爆開発に反対したりして悔悛を思わせる行動に走り、世間を戸惑わせました。実際のところ、彼が被害者にどれほど罪の意識を抱えていたかは分かりません。しかし、少なくとも、彼は己の学問の対象によって救われなかったどころか、苦悩し続けたことだけは間違いないようです。
一方で、学問によって学者が救われようが苦悩しようが、どうでもいい。学問の成果によって私たちの知識の増大したならば、それでいいではないか。と、考えることもできます。しかしそれは、あらゆる知識は生身の人間の製作物であることを軽視した、現代流の浅薄な考え方です。
私たちがある対象に関する知識を増やそうとする動機は、およそ二つしかありません。それについて考えることが好きだからか、それについて知ることが何かの役に立つかです。両方の場合もあります。それについて考えることが好きな人が、たまたま世の中の役に立つ成果を出した、というストーリーは科学技術の分野でありがちです。
私たちはそういう人たちに賞賛の言葉を贈ります。ただ、これは何に対してでしょうか?生活の利便性を向上したことでしょうか?それもあります。しかし、それ以上に、その人がその対象に注いだ愛情の深さ、知の営みの力強さに、畏敬の念を抱いたためではないでしょうか?
他人からの評価(世の中のためになる成果を出すこと)を動機にして、知識を増大させている人に、孔子は良い顔をしません。「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」ると苦言を呈しているように(憲問第十四、第二十五章)。知ることよりも、好むことの方が重要なのです。知ることを好むことは、知った本人を救いもするし、知られた人に感動を呼び起こしもするからです。
最後に、「好む」より上等なものとされている、「楽しむ」について考えます。
「楽」の字は、古くはそれだけで音楽を意味しました。それが次第に「楽しむ」の意味を帯びるようになった。なぜでしょうか?
音楽はいくつもの楽器の音色が合わさって、一つの全体を創り出します。楽器は音楽の要素であり、一つ欠けただけでも全体の秩序を崩しかねないほど重要な役割を負っていますが、単体としては全く意味を成さないか、よくても不完全な意味しかありません。要素は全体と一体化して、はじめて完全な意味を持つのです。
つまり、(音)楽の本質を一言で言うならば、「調和が取れていること」です。それはこの漢字の字形にも表現されています。そもそも、左右対称の漢字には、均衡とか調和とかの意味が籠められています。だから「楽しむ」の元々の意味は、全体の調和が理想的に保たれていることを、喜ぶ態度のことを言います。
本章のテーマである認識論との関わりで言えば、知る己が知られる対象と楽しむ(調和することを喜ぶ)ということですから、対象との距離は「好む」よりもさらに縮まり、もはや対象と一体化している状態とさえ言えます。・・・知られる対象と知る私が一体化している状態?これは具体的にどんな状態なのでしょう?
今引用したのは、「われ十有五にして学に志し」で始まる、孔子が自らの成長過程を語った有名な言葉の結びです。孔子が最後にたどり着いた境地は、「己がやりたいと思ったことをやると、それは礼そのものだった」という境地でした。これこそが、知ることの究極とされる「楽しむ」の具体的な姿です。孔子の学問の対象は礼、すなわち「古代中国の儀礼制度」でした。それを知るために心血をそそいだ結果、やりたいと思ったことがことごとく礼と一致するようになった。冷たい客観的な対象だった物から距離を縮めて、孔子の人格は礼と一体化するに至った。
母が子を抱きかかえる姿に由来する「好む」は、知られる対象を庇護するという意味ですから、対象との距離は小さくありません。礼を好むことは、礼の価値を認めるからこそ、礼を庇護する必要を感じることです。母が子を想う愛情は偽りのない真心ですが、そのことは、庇護する側と庇護される側が明確に分かれており、庇護する側に生殺与奪の権があるという事実を覆しはしないのです。
これと「楽しむ」は違います。知られる対象が今まさに滅びようとする時、知ることを楽しむ人は、己が傷つけられたと感じるでしょう。両者は一体だからです。礼が滅びる時、孔子は死ぬのです。礼という天上の音楽は、私という楽器を失えば、二度と再現されないだろう。その危機感が、孔子を焦らせた。と同時に、孔子に天命を悟らせた。礼を知り、人に知らせることが、私の人生の意味である、と。
ここまで来れば、なぜ孔子が楽しむことを知ることの究極と考えたのか、はっきりと分かります。知られた対象と楽しむ境地に、人間の完成された姿を見たからです。逆から言えば、己が心底から楽しめる対象を見つけることが人生の醍醐味なのだと、孔子は発見したのです。
この営みに、他人の評価は何の関係もありません。私たちが各々、満足の行く人生を送るために楽しむのですから。単なる情報としての知識が際限なく増え続け、本質の把握以外に知を働かしていない現代人に、孔子は知の冒険を勧めます。各々の対象と共に、唯一の音楽を奏でようではないか?その対象のためならば、あなたの人生を賭しても良いと思える物と、出会おうではないか?
・・・以上が孔子の認識論です。私は孔子の勧めに従います。私はいつも、楽しめる対象を探し求めてきました。
終わり
【まとめ】
知る:対象の本質を把握すること
好む:対象に愛着を抱き庇護すること
楽しむ:対象と調和することを喜ぶこと