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【名著発見】安全第一ビルヂング読本。序文
はじめに
今から100年前、日本で最初の近代ビルディングが誕生した。その名は丸ビル。東京駅の丸の内口を出て、正面左側にそびえたつ。
今ある丸ビルは二代目で、平成14年に竣工した。地下4階地上37階。地下1階地上9階の初代丸ビルがチンケに思えるが、よく目を凝らして〈幻視〉してほしい。大正12年当時、丸ビルの登場まで、日本人は近代ビルディングという概念すら知らなかったのだ。それを知った衝撃と比べれば、背の高さなど問題にならない。
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日本人にとって、丸ビルは、「はじめてづくし」であった。まずもって共用スペースという考え方を知らなかったし、四方に設けた入口から十字に伸びる通路の交点で人流が合わさるレイアウトは画期的だった。地下階をフードコート、低層階をショッピングモール、中高層階をオフィスに振り分ける、今では当たり前となったゾーニングも、丸ビルが最初であった。いや、はるか手前の話、ほとんどの日本人はエレベーターに乗ったことがなかったし、洋式便所を使ったこともなかった。
こうした状況下で、丸ビルが誕生し、「さあ使ってください」と宣伝したとする。何が起こるかは想像に難くない。
・・・・大混乱である。
これから紹介しようとする、「安全第一ビルヂング読本」は、群衆の混乱を収めようとして発表された。刊行は大正15年。関東大震災の教訓を活かす意味もあっただろう。丸ビルは大正12年の2月に竣工し、その年の9月に被災してしまった。この時に起きたパニックへの反省が、執筆動機のひとつであったのは間違いない。それは序文に記された日付が、震災からちょうど3年後であることにも示されている。
日本初の近代ビルディングが丸ビルである以上、日本初の「近代ビルディング利用案内」が丸ビル関係者によって書かれたのは自然なことであった。
著者は丸ビルのオーナー、三菱地所の部長、赤星陸治氏。彼は変わった経歴の持ち主で、俳句界の巨人・高浜虚子が、自身が率いる俳句雑誌「ホトトギス」の事務所を求めて丸ビルに応募してきた時に会見し意気投合、以来俳人としても名を馳せた風雅の人でもある。だから文章がうまい。日本初の「近代ビルディング利用案内」が彼によって書かれたことは、まことに幸運であった。
さて、前置きはこのくらいにして、本文を味わって頂こう。原文の歴史的仮名遣いは、読みやすさを考慮して改めてある。内容は時代を反映して面白く、しかし一部を除き古びていないと思う。古びなくて当然だろう。私たち人間は、近代ビルディングを誰からも教わらずに利用できるように、生まれついていないのだから。
100年前の日本人と共に、近代ビルディングの使い方を、学んでみませんか?
令和6年10月5日
紹介者の弁
※
序
この本は、先日日本安全協会で、丸の内を中心に、安全思想普及のための展覧会を、丸ビルに開かれた折に、安全思想普及の一助にもと思い、日常接触している事実に基き、各ビルヂングに出入りする人々の注意すべきことを、卒直に書き集め、ニ千部ほど印刷して、
ご希望の御方に差し上げましたところが、またたく間に全部無くなりまして、なおご希望に応じかねている部数が、数百部もあるほど歓迎されました。
そこで、今回さらに、要所要所に写真を入れて、数千部印刷して、実費でこ希望の御方に、お分かちすることに致しました。
この本の内容は、ご覧の通り、分かりきったつまらぬ事ばかりでむしろお笑いの種です。しかし我々は、分かりきった事を実行せずに、分からぬ事ばかり議論をして無駄に時を過ごしたり世の中を騒がしたりしていますが、この方がむしろお笑いの種ではありませんか。
一言序と致します。
大正十五年九月一日
著者 赤 星 陸 治
※
解説
この序文の洒脱なこと。最後の一節は痛快の一言に尽きる。「分かりきった事を実行せずに、分からぬ事ばかり議論をして無駄に時を過ごしたり世の中を騒がしたりしてい」るのは、今も昔も変わらない。
終わり