起業塾、ビジネス塾は教育業か
教育について考えさせられることが多いです。
これは両親が学校の先生だった事が理由にあるかと思います。
両親を見ていると公的な学校という現場では、政府が提示した教育指導要領に基づいて、その要領をこの期間内で担当した学年の子供に教える。
これが先生が行う教育の役割だと思っていました。
私はこれにとてもなじみがあります。
教育委員会、PTA、そして現場の先生たち、学生がそれぞれの意図を持って協力しあい時に対立しあいながらも、日本の国の未来を担う人材を育てる場。それが教育現場だとおもっています。
将来を担う子供達に、今後の時代に必要な技術や考え方、活動を政府が要領に定め、人が成長し続ける場です。
そこには政府のこれからの国としての在り方や未来を見据えた国力の強化も背景に読まれます。
一方で、最近はセミナーや起業塾が教育にとして位置づけられている広告を見ます。
私はこれにはかなり違和感を持っています。
確かに、人間が技術を習得し、社会でよりよく生きるために成長するための情報を伝える。
これは教育の1部ではあるかもしれません。
ただ教育という概念、そして活動は人に役に立つ情報を渡す、この活動に留まらないです。
なぜなら教育には、国や組織がある意図を持って理論立てられた要領に基づき、人が人としてより良く生きるための営みを将来を見据えて教え、はぐくむ。ここまで内包されている必要があるからだと思っています。
ただ単に知らないことを教えるのであれば、それは教育と言うのでしょうか?
ティーチング活動ではあるとは思います。
先生のたまごたち、特に講師になりたい、先生になり活躍したいと思っている起業志望の一般の人達には、教育業と言う言葉を使えば、マーケティングとてもいい印象でしょう。
「教育事業をやっています」
「教育業を展開しています」
といえば、
社外での印象もいいでしょう。
ただ、教育とは何か?と言うことを教育業と名乗る当事者がどこまで理解し、責任を持てるのか?
ここを曖昧にしたまま、「教育」という言葉が乱用されている気がしてなりません。
人としての営みをはぐくみ育てるという、長期的な将来を見据える組織化に必要な時間的リスク経済的リスクを取る活動が教育だと私は思います。
稼げないし、エンタメ性もないし、すぐに結果も出ない。それが、教育。
だから、平和な江戸の地域コミュニティか宗教団体くらいしか伝える組織もなかった。
起業塾やビジネス塾などは、情報の売買と、コミュニティのつながりや達成感などを味わせるようなことを目的としているところではないでしょうか?
だとしたならば、それは教育業ではなくてサービス業であると思います。
心の満足度を満たす、感情的な報酬を与える、それが目的だからです。
教育や教育業のある一部のティーチングというtodoしかしていないにも関わらず、「教育」という言葉を当事者が軽々しく使うのは、かなり私は憤りを感じます
概念的で曖昧な教育の意義を誤解させ、「教育」という言葉が、使用者のいいように悪用される可能性があるからです。
人の意識の中にある憧れや渇望に触れること、これはマーケティングの技術の1つではあります。
ですが、決してそれを誤解されるような利用の仕方をしたりとか、本来使われるべきでない言葉を私利私欲のために使って、人を欺くような事は私はとても許せないです。
マーケティングに怪しいイメージを持つ方がいるゆえんです。
私の頑固な考えのシェアではありますが、周りに教育関係者や先生業のクライアントさんが多い中で感じることでした。
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