『喜劇駅前漫画』(1966年・佐伯幸三)
「駅前シリーズ」第15作!
昭和34(1959)年、週刊少年マガジン(講談社)、週刊少年サンデー(小学館)が刊行され、子供たちの間で漫画雑誌ブームが巻き起こる。そして昭和38(1963)年には、国産初のテレビアニメ(当時はテレビ漫画と呼んでいた)「鉄腕アトム」(光文社「少年」連載)が放映開始され、雑誌にテレビと子供たちにとって漫画は生活の中心となった。
それが社会現象となったのが、昭和40年代に入ってから。少年サンデー連載の赤塚不二夫の「おそ松くん」のイヤミの「シェー!」が大ブームとなり、『怪獣大戦争』(1965年12月19日・本多猪四郎)ではゴジラが「シェー!」を決め、前作『喜劇駅前弁天』(1966年1月15日・佐伯幸三)では、森繁久彌・伴淳三郎・フランキー堺・藤田まことが「シェー!」のポーズをした。『社長行状記』(1966年1月3日・松林宗恵)でも三木のり平が「シェー!」をしている。
また、「少年サンデー」連載の藤子不二雄「オバケのQ太郎」が昭和40(1965)年にT B Sでアニメ化され、これが空前のブームを巻き起こしていた。
この年、昭和41年は6月にビートルズが来日、若者たちの間では空前のエレキブームが席巻していたが、子供たちの間では「オバQ」「おそ松くん」、そして「ウルトラQ」放映開始にによる「怪獣」ブームが吹き荒れていた。
というわけで、昭和41年4月28日、ゴールデンウィーク作品として、三船敏郎主演の冒険ファンタジー『奇巌城の冒険』(谷口千吉)と二本立てで上映された第15作『喜劇駅前漫画』は、シリーズ初の「子供向け」を意識している。いつものような「色と欲」の風俗喜劇ではなく漫画ブームを取り入れて、ファミリー向けのコメディを目指している。
第一作『駅前旅館』(1958年)から連投してきた長瀬喜伴のシナリオ、第八作『喜劇駅前怪談』(1964年)から担当している佐伯幸三の演出。いつもの駅前チームの出演で、赤塚不二夫「おそ松くん」、藤子不二雄「オバケのQ太郎」とのタイアップで「駅前」プラス「漫画」を目指している。唯一、レギュラーで未出演なのが、淡島千景。ご本人にインタビューした時に「なぜ、ご出演になっておられないのですか?」と伺ったら、「私、オバケが嫌いで『駅前怪談』もお断りしようと思ったの。でもそうもいかなくて。この時は『漫画』で『オバQ』と聞いたから、断っちゃったの」と笑っておられた。
そういうわけで「お景ちゃん」の出てない珍しい「駅前」となったが、その分、伴淳の女房役の淡路恵子、のり平のおかみさん・中村メイコ、そしてフランキーの恋人となる池内淳子、森繁の娘・大空真弓が、それぞれ張り切って、いつもより「漫画」的なオーバーな芝居を見せてくれる。
連載を多数抱える売れっ子・マンガ家、坂井次郎(フランキー堺)は、アシスタントのミミ子(黒柳徹子)、イタ子(横山道代)、マスオ(松山英太郎)とともに、日夜、締め切りと格闘している。黒柳徹子はシリーズ初登場、横山道代は第三作『喜劇駅前弁当』(1961年・久松静児)以来、しばしばコメディリリーフ的に出演している。この二人の素っ頓狂なかしましさに、松山英太郎のとぼけた味が楽しい。それにフランキーのオーバーな(漫画的との解釈だろうが)演技で、この「サカイ・マンガ・コウボウ」のシーンはとにかく騒々しい。
そして坂井次郎が連載している少年誌の編集長に市村俊幸。ジャズピアニストとして昭和20年代のジャズ・ブームで活躍、黒澤明『生きる』(1952年・東宝)をきっかけに映画に出演。ジャズ・ブーム時代からの盟友・フランキー堺とコンビを組んで、日活で「フランキー・ブーちゃんの」とタイトルに冠されたコメディ映画に次々と出演。『駅前漫画』でワンシーンながら、久々にコンビが復活。
次郎はトコロテンが大の苦手という設定で、トコロテンの匂いをかぐだけ、名前を聞くだけで大変なことになる。これは「オバQ」が犬が大嫌いという設定を意識したもの。で、編集部で打ち合わせの時に、編集長が大好物のトコロテンが出てきて、次郎が悶絶する。という笑いがある。
その次郎のアトリエの下に、漬物屋の後に入ったのが、染子(池内淳子)の甘味処「Q」。次郎は染子に一目惚れ。徹夜明けの次郎のために、染子がトコロテンを振舞うシーンのおかしさ。
その染子の従姉妹・伴野藤子(淡路恵子)の夫はオモチャ工場を経営する伴野孫作(伴淳)。伴淳がオモチャ工場の親父というのが、子供の頃、テレビでこの映画を観て嬉しかった。戦車や戦闘機ブームで一儲けしたものの、何か決め手にかける。そこで息子・久太郎(頭師佳孝)の提案で「オバQ」一本にすることを決意。
その切っ掛けとなる、孫作の「夢」のシーンは、まさに当時の年少観客にとっての「夢」の具現化でもあった。横長のスコープ画面いっぱいに、カラーで「オバケのQ太郎」のアニメがくり広げられる。オバQの声は、もちろんオリジナル声優・曽我町子!アニメーションの制作は、藤子不二雄たちのプロダクション「スタジオゼロ」。本のわずかのシーンだが、アニメの伴淳とQちゃんの競演シーンは、僕らの世代にはたまらない。
余談だが、この「オバQ」ブームを反映した映画がもう一本ある。一ヶ月前に封切られた、舟木一夫主演の日活映画『哀愁の夜』(3月27日・西河克己)のヒロイン、和泉雅子はなんと漫画家志望でスタジオゼロにつとめている。で、仕事場にスポンサーの不二家からお菓子の差し入れが来るシーンで、スタジオゼロの皆さんが「オバケのQ太郎」主題歌を合唱するシーンがある。
そして三木のり平は、紙箱屋の親父・松木三平。その女房・秋子が中村メイコ。その息子が「おそ松くん」マニアの音松に、テレビ時代の名子役・蔵忠芳。N T V「アッちゃん」(岡部冬彦原作・1965〜1966年・三部作)で人気者となり、この後T B S「コメットさん」(1967〜1968年)で武くんを演じることになる。また、久太郎役の頭師佳孝は、黒澤明の『赤ひげ』(1965年)に出演。この後、伴淳とともに黒澤初のカラー作品『どですかでん』(1970年)でタイトルロールを演じる。
久太郎と音松が学校の帰り、少年漫画週刊誌読みたさに、必ず立ち寄るのが、井矢見社長(山茶花究)が経営するガソリンスタンド。そこで働いている・森田由美(大空真弓)の父親が童画家・森田徳之助(森繁久彌)である。徳之助は、次郎の画の師匠で、漫画家に天こうした次郎を破門しているが、それは形式の上のこと。
貧乏だが童心を忘れない、あんぱんが好物の徳之助の画風やスタイルは、当時「週刊新潮」の表紙を手掛けていた谷内六郎をイメージしている。金には無縁の徳之助を、誰もが愛し、みんなが支えている。その均衡を破るのが、本作の悪役で「おそ松くん」のイヤミの実写化である井矢見社長。
古川ロッパ一座から、川田義雄が抜けた後の「第二次あきれたぼういず」に参加。ボードヴィリアンとして映画に出ているうちに、やはり若い頃にロッパ一座にいっとき、所属していた森繁久彌に可愛がられ性格俳優となる。
その転機となったのが、森繁ビッグバンのきっかけとなった『夫婦善哉』(1956年・豊田四郎)の嫌味な妹婿役だった。以後、森繁文芸映画での嫌味な役回りを担い「駅前シリーズ」でもセミレギュラーで活躍。
今回は「シェー!」のイヤミのイメージを見事にヴィジュアル化(笑)。もともと赤塚不二夫は、昭和20年代の人気コメディアン・トニー谷をイメージしてイヤミを創造。なのでトニー谷→イヤミ→山茶花究のインチキ師の系譜である。この『駅前漫画』が最高に漫画チックなのが、やはり山茶花究の井矢見社長。その息子としてチビ太(中谷清昭)も登場するのだ!
いつものように「駅前シリーズ」だから、このコミニュティ(一応、小田急線百合ヶ丘駅前らしい)では大事件は起きない。井矢見が染子に懸想して、猛烈アタックするために、色々とややこしいことが起こる。染子の甘味処「Q」の壁に、徳之助の絵を飾ろうということになり、貼り切って徳之助は描くが、そんなものは「いらないザンス」と店のオーナーである井矢見社長が、自分が経営する井矢見湯の壁画にしてしまう。
それを徳之助が知ると傷つくからと、みんなで風呂にいかせまいとする。その奮闘ぶりがおかしい。井矢見湯の脱衣所には、この年の東宝の海外ロケ作品を紹介するラインナップのタイアップ・ポスターが掲示されている。イランロケの『奇巌城の冒険』、ヨーロッパロケの『アルプスの若大将』(5月28日)、南米ロケの『アンデスの花嫁』(9月23日)の紹介をしている。
というわけで、お色気抜きの分、子供にもわかりやすく、フランキー堺が溌剌とスラップスティック演技を見せてくるのは楽しい。夢の「オバQ」シークエンスは、次郎の「夢」として後半にもあるが、こちらは実写で、布製のオバQの被り物がいっぱい出てくるだけなので、子供の頃は興醒めだった。
ただし、音楽は「駅前シリーズ」でもおなじみの広瀬健二郎の「オバケのQ太郎」のメロディがふんだんに出てくるので嬉しい。アレンジはやはり「駅前シリーズ」常連の松井八郎。松井はジャズ・ブームの頃から、フランキー堺、市村俊幸とは昔馴染み。さらに曽我町子の「Qちゃん」に続いて、ワンシーン登場するP子(Qちゃんの妹)の声を、ノンクレジットながらオリジナルの水垣洋子がアテているのがさらに嬉しい。
いろいろあって、エンディング。最高のシーンが待っている。井矢見社長が代議士に立候補して駅前で街頭演説をするシーンで、お待ちかねの「シェー!」をするのだ!
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