『足にさわった女』(1952年11月6日・東宝・市川崑)
越路吹雪生誕100年を記念して、2025年1月22日に東宝から初DVD化される市川崑の『足にさわった女』(1952年11月6日)東宝)。原作は沢田撫松(ぶしょう)が大正15(1926)年に「週刊朝日」で発表した「足にさはった女」の二度目の映画化。初作は、原作が発表された年に、日活大将軍撮影所新劇部が製作、ジャッキーこと阿部豊監督が演出。岡田時彦、梅村蓉子、島耕二のキャスティングで映画化されたが、フィルムが現存しないので、どんなテイストの作品かはわからない。
原作者・沢田撫松は、明治四年生まれの新聞記者出身の作家。「二六新報」「國民新聞」「読売新聞」で司法記者を務め、犯罪の実話物語を婦人公論、婦人倶楽部などの婦人誌や週刊朝日に発表。「足にさはった女」は週刊朝日に掲載されたのちに、書籍としては刊行されていない。さてリメイク版『足にさわった女』は、石坂洋次郎の『若い人』(1952年7月8日)に続いて、脚色・和田夏十、監督・市川崑コンビによる風俗喜劇。
越路吹雪が名うての女スリ、彼女を追う大阪府警の刑事・池部良。二人が追いつ追われつ、お互いに出し抜き合いをする様を、東海道線の列車、熱海から下田へ向かう船のなかで展開。ハイテンション、ハイテンポで、歯切れの良いセリフの応酬がリズミカルに繰り広げられ、この頃の市川崑の才気煥発。とにかく面白い。
東宝マーク開け、カメラ目線で越路吹雪がチャーミングな表情で主題歌を唄い出す。ファッション雑誌「ヴォーグ」のグラビアみたいな粋なレイアウト。この主題歌を作詞したのが主演の池部良。作曲は音楽担当の黛敏郎。ブルーコーツの演奏がハリウッド・ミュージカルのようで楽しい。
トップシーンで三人の主役がそれぞれ紹介される。大阪府警、スリ係の刑事・北(池部良)が、上司の警部(村上冬樹)から「休暇を取りなさい」と指示をされる。最初はスリ係が忙しいからと断固として受け入れなかった北が、結局は「東京で美人コンテスト」を見ることにする。警察官は国鉄にフリー乗車できるし、警察の宿舎に泊まれば宿代は浮くので、というのがおかしい。
続いて美人スリのさや(越路吹雪)が留置所に勾留されている仲間に差し入れにやってくる。所用で東の方に行くからと、これからの旅を匂わせる。越路吹雪が大阪弁で歯切れの良い啖呵を切るが、これが実に鮮やか。
そして大阪駅の喫茶店。坂口安吾ならぬ、流行作家・坂々安口(山村聰)が、新聞社の担当(山本廉)に、作家論を打っている。新聞社としては坂々先生に新連載で女スリを題材にした通俗小説を希望しているが、安口先生、「美人のスリなんていないよ」とリアリズム論を展開。しかし発車時刻が迫っていると担当編集者。こうして、さや、北刑事、坂々が東京行きの特急列車に乗り込む。ワクワクする滑り出しである。
食堂車で、「美人のスリなんていない」と自論を展開している安口先生。隣の席でお茶を飲んでいた北が、聞き捨てならないと反論する。北にしてみれば、宿敵であるさやは、恋しい相手でもある。つまりルパン三世と峰不二子みたいな関係性でもある。一方、さやはスマートなスタイルで、一等席に座っていて、向かい合わせた某会社の重役(見明凡太朗)は、その色香に参ってしまう。越路吹雪が見明凡太朗を籠絡していくプロセスがおかしい。列車には、さやの弟分・走(伊藤雄之助)が乗っていて、スリの手引きをする。しかし、今回のさやの旅の目的は、スリではなく故郷の下田に帰って、亡父の盛大な法事をすること。そのために三万円を、身を粉にして稼いできた。尤も、走に言わせれば「姉ちゃん」、は、新しい服やパーマ代に浪費しているのだが。
十年前、さやが16歳のとき、父が国賊の汚名を着せられて特高警察に連行されて非業の死を遂げた。警察に父を密告した親戚たちが憎くてたまらず、その復讐の機会を狙っていたのだ。復讐と言っても、その親戚たちを豪華な法事に招待してご馳走を振舞おうというもの。その「見栄」がさやのモチベーションとなり、戦後、厳しい時代をスリとして生き抜いてきた。
それをドライと取るかセンチメンタルと取るか。ドライ派の池部良は、そんなことは無意味だといい、センチメンタル派の山村聰は、さやを全面的に応援していく。それが物語の骨子なのだけど、この映画が楽しいのは特急列車でのそれぞれのキャラクターの行状、言動。各シーンのプロセスである。見明凡太郎の財布をスったつもりが名刺入れだったり。名古屋ならぬ名古見(なごみ)駅で、さやが下車したと思った北が、列車を降りて改札口までいったものの、結局さやが特急に乗っていることがわかる。発車ベルが鳴り、慌ててホームに向かおうと改札口を飛び越えようとする北。このアクションが漫画映画的でおかしい。池部良の運動神経の良さで、鮮やかなシーンとなっている。
また、情に脆いのが玉に瑕のさやが、担ぎ屋のおばあさん(三好栄子)に親切にしたことが仇になるエピソードもおかしい。下田に向かうさやが熱海で下車。北も安口先生も彼女を追って熱海へ。しかし、財布をスラれて文無しの北刑事は、熱海の交番へ飛び込む。ここで登場する加東大介の巡査が実にいい。一見、事なかれ主義なのだが、なかなかの人情家。北に500円を貸してくれる。
というわけで、さやも列車で何者かに大枚3万円をスラれてしまい、法事の資金を稼ごうと錦ヶ浦で自殺を装って殿方の気を引こうとする。そこへ安口先生がやってきて、色々あって、安口先生はスポンサーを買って出るが・・・
ここからラストまでの一気呵成の展開。市川崑が最もイキイキしていた時代でもあるので、とにかく「日本映画離れ」していて楽しい。下田への連絡船でワンシーン登場する安口先生の姪を演じている岡田茉莉子が実にチャーミング。ポスターやスチールでは、越路吹雪、池部良と並んで岡田茉莉子が大々的にフィーチャーされているが、本編ではこのシーンだけ。
終盤、舞台を東京に移しての警視庁のシーンで登場する藤原釜足の警視がこれまたおかしい。さやの姉御にあたる女万引・沢村貞子といい、再度キャラクターがとにかく充実している。あれよあれよの84分。モダンでハイテンポ、ハイテンションのコメディの怪作。黛敏郎の音楽は、戦後ジャズ・ブームらしく、ブルーコーツのスインギーかつスピーディなジャズで、作品のモダンなテイストを高めてくれる。
昭和35(1960)年、市川崑は大映で本作のリメイクを企画。増村保造監督による『足にさわった女』(大映東京)は、さやを京マチ子、北刑事をクレイジーキャッツのハナ肇、小説家・五無康祐に船越英二のキャスティング。これまたモダンなコメディの快作となった。