『ロッパの頬白先生』(1939年3月21日・阿部豊)
10月4日(火)の娯楽映画研究所シアターは、昭和14(1939)年の東宝映画『ロッパの頬白先生』(1939年3月21日・阿部豊)をスクリーン投影。未ソフト化なので十数年前に衛星劇場でオンエアした素材を再生。これまでのロッパ映画のように当り舞台の映画化ではなく、ロッパ好みの文芸喜劇となっている。
原作は内田百閒の「頬白先生と百鬼園先生」。緑波は、主人公の国民大学のドイツ語教授・青路法二郎と、内田百閒をモデルにした藤田百庵教授の二役を演じている。舞台のスタイルである。脚色は八田尚之、監督はジャッキーこと阿部豊。昭和14年2月6日にクランクイン。その当日のことを「古川ロッパ昭和日記」から引用する。
二月六日(月曜)
頬白先生撮影第一日。
今日から撮影。十時開始の由、十時と言っても何うせ中々だらう、十時頃出かける。果して、砧村へ着いてみると、一時開始とある。仮題「頬白先生」の高利貸の家のセット、阿部豊の監督は何度もリハサルをやらせるが、流石にうまく、嫌な気を起させない。ワンシーンワンカット、三分何秒流しっ放しで、丸山定夫とのやりとりを一カット。それから金を返すところ、これも二分ばかり。今日はこれだけで、はや七時過ぎとなる。新しい俳優部屋の風呂は中々いゝ。阿部と二人、渋谷のふた葉亭へ寄る。今日はチキンで美味かった。帰宅九時頃。
と、阿部ジャッキー監督には一目置いていたことがわかる。この映画は、百間先生の随筆のファンだったロッパの企画でもあり、かなり乗っているのが、映画を観ていてもわかる。音楽は、内田百閒の友人でもあった宮城道雄。劇中にも、若き日の宮城道雄をモデルにした盲目の箏奏者・月田一郎が演じ、その師匠・杉原匂当に藤輪欣司が演じている。二人の箏の演奏がクライマックスとなり、それがなかなか味わい深い。
「頬白(ほほじろ)先生」こと青路法二郎(ほほじろう)教授は、箏をたしなみ、鶯を育てている風雅な趣味の持ち主で無類のお人好し。学問と趣味に生きているが、金には縁がなくて、高利貸し・小田捨吉(鶴丸睦彦)から300円もの借金をしている。さらにはその利息を捻出するために、同僚の大学教授や、今では弁護士として成功している元教授・松岡雄之助(渡辺篤)から始終借金をしている。
それには理由があって、頬白先生は、自分の主義を貫くために、10年前から妻子と別居して、下宿暮らしをしている。
もちろん、妻・房江(水町庸子)と三人の娘、長女・初代(神田千鶴子)、22歳の次女・政代(堤真佐子)、まだ女学生の三女・秀代(高峰秀子)たちの家計の面倒も見ている。その別居の理由は、妻の房江があまりにもスクエアすぎ、真面目すぎて、一緒に暮らしていると「自分が幸福にはなれない」と、頬白先生が決断。
水町庸子さんは、この年に『愛情の設計』で演じる物分かりのいい下町のおかみさんとは、真逆の、ガチガチの生真面目な細君を好演している。自分の結婚は失敗したと思っていて、それゆえに長女・初代に来る縁談を片っぱしから断っている。初代は、母親に似て陰に籠るタイプだが、次女・政代は会社勤めをして「自由恋愛派」として奔放に生きようとしている。三女・秀代は、お父さん子で、たまに頬白先生が帰ってくると大はしゃぎ。
この頃のデコちゃんは、本当に達者で、ロッパとも見事な芝居を見せてくれるが、2月13日のロッパ日記にはこう記してある。
二月十三日(月曜)
十二時頃から、高峰秀子扮する先生の娘が、二階へ訪れて来るしんみりしたところ。高峰秀子は、別の映画で先刻迄働いて、これで徹夜すると又朝八時開始で働くんださうだ。夜も三四時頃、僕の芝居が何うしても阿部の腑に落ちない個所が出来、いろ/\注文されるが、何度やってもいけない。さんざ手古擦って、明け方に終る。折角買ったお雑煮の材料が、煮過ぎて、のりのやうになってダメとなり、又食堂で何かと食ひ、午前八時頃から階下の芝居をやってアガリ。帰宅今朝十時。すぐねた。風邪気味だったのだが反ってこれで治ったらしい。三時半迄ねて、名物食堂の天ぷらをしこたま食った。それからクラブへ寄り雀をやり、ルパンでのみ、牛込松ヶ枝へ寄った。
百間先生のユーモラスな味わいも、巧みに映画に置き換えている。大学まで返済の催促にやってきた高利貸・小田捨吉は、病気を患ってから、債権者から踏み倒される一方で弱目に祟り目。事情を聞いた頬白先生は、新聞の金融広告で見つけた高利貸し・鷲町猛(丸山貞夫)に、その元金を借りに行く。苦労人ゆえに冷徹な高利貸しとなった鷲町は、頬白先生の身辺調査をするが、その評判に断る理由がないと貸金を出す。
この丸山貞夫とロッパのやりとりが、なかなかいい。風雅を理解している頬白先生と、お金だけしか信用できない高利貸し。それぞれの立場を、お互いが理解していくプロセスがいい。
さて、病気の高利貸し・小田捨吉に元金そっくり返して、感謝されたお礼で立派な「フクロウ時計」を貰った頬白先生。池田流の名匠・杉原匂当を訪ねてプレゼントする。そこへ、若き箏の名人・月田一郎がやってくる。ここでの三人のやり取りがいい。宮城道雄さんと百間先生との交情を思わせる良いシーンである。
こうした頬白先生の「風雅な日々」と同時進行で、「壊れた夫婦関係」「娘たちとの交流」が描かれていく。
後半、月田一郎が、頬白先生の下宿へ、師匠・杉原の名代でお宝の「茶釜」を、先日の「フクロウ時計」のお礼で持ってくる。そんな高価なものをと驚く頬白先生だが、聞けば師匠は地代をためて差し押さえを受け、大事な道具類を売って借金に充てようとしているが、これだけはと、持たせたもの。
その茶釜でお茶を立てるシーン。静かに湯がわく音を、黙って聞いている月田一郎と頬白先生。盲目の月田一郎が感じる「風雅」を観客も共有できる。この辺り、ジャッキー阿部監督、やるな!という感じ。
この映画の試写を観たロッパの感想が、3月15日(水)の日記に記されている。
三月十五日(水曜)
昨夜又麻雀となり、田中三郎・堀井と今朝六時に至ったので、起きたのは一時半。三時から試写があるので、女房も共に、福徳ビルの東宝試写室へ。「頬白先生」試写。辷り出しが気に入らないが、全篇稀に見る浸々したもので、終ったら新聞記者らしいのが拍手してゐた。
というわけで、この時期の東宝映画のなかでも、なかなか味わいのある一編となっている。ロッパはこの映画のクランクアップ後、一座で「百鬼園先生」を上演する。その舞台稽古に、百間先生が、表敬訪問にやってきた。
その日のことをロッパは日記に、こう書いている。
三月三十一日(金曜)
有楽座舞台稽古。
伊藤松雄に電話して舞台稽古に来ないかと言ったら、何か怒ってるらしく、来ないやうな返事、又うるさいな、放っとく。座へ二時近く出た。セリフやってると、ヌウッと部屋へ入って来たオットセイの標本みたいなのが「私が内田百間です」成程変ってゐる。「百鬼園先生」の稽古が三時すぎから。妙な味の芝居で、一寸いゝかも知れない。内田先生づっと見てるので、弱った。終ってホテルのグリルへ。スープ抜きで、チキンコロッケ、マカロニとヨークハムを食ふ、ヨークハムとてもよろし。座へ帰ると、「鶴八鶴次郎」に入る。笑ひを随所に盛り込みつゝ行く。川口はキビ/″\してゝ演出はいゝ。三時すぎ帰ると、セリフの残りをやっちまふ気。
<オットセイの標本>とは言い得て妙!である。この『ロッパの頬白先生』は、どのシーン、どのエピソードも良く、ことに後半、三女の秀代が下宿に、訪ねてくるシーンの父娘の心の交流がいい。これが、前述のロッパ日記の徹夜で撮影したシーンだろう。
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