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『喜劇駅前百年』(1967年・東京映画・豊田四郎)

「駅前シリーズ」第21作!

 この年4作目の「駅前シリーズ」第21作『喜劇駅前百年』は、東宝創立35周年記念として鳴り物入りで製作された。昭和42(1967)年11月18日、やはり35周年記念作で、成瀬巳喜男の遺作となった『乱れ雲』の併映作として上映。豊田四郎と成瀬巳喜男の二本立て、戦前、戦中の東宝映画のカラーを作った二人の作品ということで、東宝が力を入れていたことがわかる。

 森繁久彌と淡島千景のコンビを不動のものにした『夫婦善哉』(1956年)をはじめ、しっとりとした文芸映画を得意とした豊田四郎としては、第1作『駅前旅館』(1958年)以来の「駅前」となるが、この『駅前百年』は、いろんな意味で、第1作の後日譚、現代版となっている。脚本は『夫婦善哉』や第1作を手掛けたベテラン八住利雄と、広澤榮。ここのところ『駅前学園』『駅前探検』と新機軸を打ち出してきた「駅前」だが、久しぶりに王道回帰を目指している。

 翌、昭和43(1968)年は、明治元(1868)年から100周年ということで、10月23日に政府主催で記念式典が挙行される予定。出版、レコード、放送業界では「明治100年」企画が目白押しで、「社長シリーズ」でも『社長繁盛記』正続篇(1968年・松林宗恵)でも、明治100年で湧く「博物館・明治村」(愛知県犬山市)がロケ地となる。というわけで『駅前百年』は、明治創業の上野の駅前旅館「葵館」の主人・伴野孫作(伴淳三郎)と、本郷の東大前の旅館「赤門ホテル」の森田徳之助(森繁)の対立と友情を、賑やかに描いた「これぞ駅前」テイストあふれる風俗喜劇となっている。

 アバンタイトル。明治元年、彰義隊の伴野孫之進(伴淳)と、官軍の森田達之助(森繁)は上野の山を血で染めた戊辰戦争で、敵味方として戦ったが、その後、二人は上野駅前に旅館「葵館」を開業。昭和43年「葵館」は二代目・伴野孫作が経営していたが、二代目番頭の徳之助は、本郷の学生下宿を改造した「赤門ホテル」の女将・景子(淡島千景)の亭主となり、今では孫作のライバルとなっている。

 『駅前旅館』では、森繁が駅前旅館の番頭、伴淳が駅前ホテルの番頭で張りあっていたが、その図式そのまま。第1作でフランキー堺は、修学旅行の斡旋をするツーリストを演じていたが、今回も同じく修学旅行や団体斡旋の「オール観光KK」の敏腕ツーリスト・坂井次郎。三人の関係は、井伏鱒二の「駅前旅館」のその後のように設定したのは、オリジナルの脚本家・八住利雄と、プロデューサーの佐藤一郎と金原文雄の狙いでもあった。

 冒頭に昭和30年代、修学旅行で賑わう上野駅前のショットがインサートされるが、これは『駅前旅館』からのフッテージ。シリーズがスタートして10年、上野の変わり様も、この映画の重要な要素である。

 女性陣は、学生下宿の娘から、今や「赤門ホテル」を切り盛りする経営者となった景子(淡島千景)、孫作の妻・お浜(乙羽信子)、次郎のかつての同僚で今や週刊誌を賑わす凄腕のツーリスト・染子(池内淳子)、そして上野動物園の水族館でアシカの飼育係をしている由美(大空真弓)、福島の有力者・松木三平の女房・おせん(森光子)といつものメンバーが勢揃い。

 『駅前音頭』からシリーズに出演してきた松山英太郎が、孫作の息子・孫太郎で、景子の親戚の娘・由美との結婚を考えているが、孫作と徳之助の対立の煽りをうけて、なかなかかなわない。孫太郎と由美の「ロミオとジュリエット」的な関係が、後半、対立から融和へと転じていく。

 ストーリーはいたってシンプル。万博を前に、騒然とする東京で、旅行業者のブッキング頼みの二つの老舗旅館が、啀み合いながら、時代の波に翻弄され、最後には、東京をあとにして福島県でデラックスな温泉旅館を経営することとなる。葵館と赤門ホテルの対立、そして効率重視の現代企業「オール観光KK」の歯車として馬車馬のように働く次郎が、フリーランスで頑張る染子と張り合ううちに、大切なものに気づく、というもの。

 イケイケの「オール観光KK」の平井営業部長に名古屋章は、「駅前」らしからぬキャスティングだが、「ホテル赤門」の前身の下宿に住んでいて、その昔、景子に惚れていたという設定。老朽化した建物を、リニューアルしようと目論む景子は、色仕掛けで平井を籠絡しようとするも・・・というシーンは、いままでの淡島千景にはない積極的な行動。

 また、いつもは芸者や小料理屋の女将のイメージの池内淳子が、今回はやり手のフリーランスのツーリストを楽しそうに演じている。ミニスカートを履いたり、あの手この手の営業戦略にまんまと騙されるのが、福島のお大尽・三平。おかしいのは、染子の斡旋で、団体旅行で上京して三平が、夜のお相手とよろしくやろうとしていると、森光子の女房・おせんが乗り込んでくるシーン。染子の機転で、ことなきを得るのだが、お仕置きと称して手足を縛り付けて、朝までそのままという放置プレイをするのだ。それで納得したおせんが帰ると、染子は三平と彼女を夜の街へとリリースする。

 松山英太郎と大空真弓のカップルを観ていると、三年後にスタートするTBS水曜劇場「時間ですよ」(第一シリーズ)を連想する。森光子も出てくるので「駅前」なのに「時間ですよ」度が高い。次作『駅前開運』(1968年・豊田四郎)では、森光子が銭湯を経営しているので、よけいややこしくなる。うがった見方をすれば、「駅前」終了後に、その役割をテレビで果たしたのが久世光彦演出「時間ですよ」と思うと得心がゆく。「時間ですよ」には森繁がゲスト出演したり、その後の「寺内貫太郎一家」には伴淳がレギュラー出演。『駅前百年』には、孫太郎の親友役で、ザ・スパイダースの堺正章が登場する。「松の湯」の健ちゃんである。なので、やっぱり「時間ですよ」気分になってしまう。

 そのザ・スパイダースは、上野の夏祭りで「風が泣いている」を披露する。『駅前旅館』ではフランキーが老人客のリクエストで「ロカビリー」を演じるシーンがあったが、昭和42年は空前のGSブームである。実際の夏まつりで撮影しているので、観客の女の子の熱気は本物。ブームの凄まじさを体感できる。

 人気者といえば、修学旅行の引率教師役で、てんぷくトリオがゲスト出演。三波伸介がいう前に「びっくりしたなぁもう」を伊東四朗と戸塚睦雄が言うのが、戦後焼け跡から叩き上げてきた山花久(山茶花究)のキャバレーのシーン。修学旅行の引率者を、夜の街に案内するのは『駅前旅館』の伝統でもある。

 賑やかで華やか。豊田四郎の演出も軽快で、シリーズでは長尺の102分を飽きさせない。豊田四郎は次作『喜劇駅前開運』でもメガホンをとることになる。
 





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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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