『幽霊繁盛記』(1960年・佐伯幸三)
フランキー堺。戦後のジャズコンサート・ブームに颯爽と登場した名ドラマー。「冗談音楽」の祖スパイク・ジョーンズを目指した伝説のビッグバンド、フランキー堺とシティー・スリッカーズには、後のクレイジーキャッツの植木等、谷啓、桜井センリが在籍していた。フランキーは音楽で培った抜群のセンスと運動神経で、映画界でも活躍。川島雄三が落語の世界を映画化した傑作『幕末太陽伝』(1957年日活)では、その軽みとしなやかな体の動きで、映画史に残る名演技を見せてくれた。
そのフランキーが日活から東宝に移ったのは、師と仰ぐ川島雄三を追ってのこと。昭和30年代から40年代にかけてフランキーは東宝傍系の東京映画で「駅前シリーズ」をはじめ、おびただしい数の喜劇映画に主演。特に「駅前シリーズ」のメイン監督だった佐伯幸三とのコンビ作は多い。この『幽霊繁盛記』は、会社お仕着せのプログラムピクチャーが多かったなかで、佐伯幸三監督のブラックユーモアのセンスとフランキー堺の喜劇センスが十二分に活かされたスリラーコメディとなっている。
舞台は江戸。落語の世界を意識しているのは、フランキーの主人公の名前が八五郎ということからもわかる。でもこの映画の八五郎は大工ではなく葬儀屋の職人。江戸っ子の八五郎が、首をくくっている可哀想な人を助けると、その傍らに貧乏臭い老人が立っている。演ずるは有島一郎。「若大将シリーズ」の父親役や『キングコング対ゴジラ』(1962年)の多胡部長など、日本映画屈指のコメディリリーフである。「お前誰なんだい?」「へへ死神よ」 死神は寿命が来たからダメだとにべもなくいう。それでも八五郎は医者・杉田玄庵(柳家金語楼)のところへくだんの首くくり男をつれていくが、案の定、男は死んでいる。
八五郎は玄庵の娘・おせつ(香川京子)と恋仲で、それも玄庵は面白くない。親が決めた婚礼が嫌で、おせつは八五郎の長屋に逃げてきたが、将来対する不安から二人は心中をはかるが、死にきれるものではない。そこへ、死神がふらりと現れて「寿命のある人間を殺すわけにはいかない」と自殺を思いとどまらせる。
八五郎の商売は葬儀屋。二人が暮らしていく為には、商売第一ということで。八五郎は死神と結託すれば万々歳。死神の後をついていけば商売繁盛間違いなしとなる。やがて、おせつが妊娠。「うんと稼がなくちゃ」と張り切る八五郎。死者が生者を食べさせるという図式のおかしさ。
ある日、横丁のご隠居(森川信)の側に死神が立つ。喜びいさんで早桶を作って届ける。ところが、死神のとんだ見立て違い。このままでは死神の沽券にかかわると、番茶でも飲ませて生き返らせてくれと八五郎に頼む。仰々しくご隠居に番茶を飲ませる八五郎。すると死人は見事に蘇る。それが評判となって八五郎は、名医の評判が立ち、死にそうもない病人をどんどん直していく。
死神が病人の枕元に座っていれば、そのものは死ぬ。足下に座っていれば、まだ寿命がある。というのだ。
八五郎の名医の評判があがればあがるほど、おせつの父・玄庵のメンツが立たなくなる。おせつは苦しむ。香川京子とフランキー堺のコンビといえば、『モスラ』(1961年)という印象があるが、『フランキーの僕は三人前』(1958年)など共演作が多い。
死神とコンビを組んでしたたかに金儲けをしようとするフランキーのピカロぶりがいい。なるほど『ニッポン無責任時代』(1962年)はフランキーをあてて描かれたプロットというのも納得ができる。サラリーマン的な死神は、水木しげるの「死神」キャラに通じるとぼけた味があっていい。ぬぼーっと幽霊のように歩く有島の後を、フットワーク良く歩くフランキー。死人が出れば儲かるという皮肉。
有島一郎の死神のディティールが良い。線香の匂いで眠くなるしぐさ。寄り合いでつるし上げを食って来た後のボディメイク。ただでさえガリガリの有島の肋骨にシャドウを塗って、やつれた感じを出しているのだ。フランキー堺、森川信、そして柳家金語楼というアチャラカ映画ではおなじみのメンバーたちのアンサンブルに、もとはフランス小咄の「死神」話のモダンな感覚。死をテーマにしながらの軽快さは、落語の世界の味であり、フランキー堺のセンスと見事にマッチしている。
死神との名コンビですべてが順調だった八五郎に最大のピンチが訪れる。おせつが難産で死ぬというのだ。おせつの枕元に座る死神。「寿命だよ。あきらめな」 死神の目を盗んで、おせつの布団の位置を変えてしまう八五郎。当然、おせつの命は助かり無事赤ん坊も生まれるが、人の寿命を替えてしまったために、八五郎の寿命が切れることになる。これから人生を楽しむのに! なんとかしようとする八五郎。はてさて・・・
この映画のテーマは「寿命」。生きていて欲しくない人間が長生きし、これからという若者が亡くなってしまう矛盾。それには八五郎はどうすることもできない。
佐伯演出はリズミカルで、芸達者たちの個性をうまく引き出している。アドリブ主体だった「駅前シリーズ」は演出不在というイメージがあるが、この映画は明らかに監督主導で笑いが生まれている。この『幽霊繁盛記』を見ていると、監督がノッているのがよくわかる。シナリオは出雲直のオリジナルだが、落語やフランス小咄、フランク・キャプラのヒューマンコメディなど、さまざまなエッセンスが品良くまとめられている。歯切れの良い江戸言葉がポンポンと飛び出す気持ち良さ。人間の生と死。運命の皮肉。アイロニカルななかに生まれる笑い。職人監督としての評価が強い佐伯幸三の喜劇作家としての資質を知るには格好の一本。
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