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『舞姫』(1951年8月17日・東宝・成瀬巳喜男)

成瀬巳喜男監督研究。8月31日は川端康成原作『舞姫』(1951年8月17日・東宝)をスクリーン投影。製作は児井英生プロデューサー。川端康成が朝日新聞に連載した新聞小説を新藤兼人が脚色。のちの水木洋子や田中澄江の脚色とは違い、いかにも新藤兼人らしい構成、セリフの応酬は、昭和20年代の邦画の典型であるが、ぼくらがイメージする成瀬映画とはテイストが少し違う。

オリジナルポスター

意に沿わぬ大学教授・八木(山村聰)と結婚したバレエリーナ・波子(高峰三枝子)。結婚20年、大学生の息子・高男(片山明彦)、バレリーナとなった娘・品子(岡田茉莉子)、二人の子供はすでに大人になっている。

波子は、娘時代から心を寄せ、相思相愛だった竹原(二本柳寛)と、20年間、密かに交際を続けている。もちろん当時のモラルなので肉体関係はなく、あくまでも精神的な支柱となっている。

最初からバラバラだった家族だったが、戦時中の苦しい時だけは、身を寄せ合って「家族らしく」生きていた。長男の片山明彦はそれが「よすが」となっている。

といった川端文学らしい「精神的なつながり」と「現実の齟齬」を「家庭の崩壊」を通して描いていく。なのだけど、昭和26年のモラルのなかで、それを描くには、なかなか難しい。どうしてもメロドラマの方向に行ってしまうので、一見、通俗メロドラマに見えるが、テーマとしてはのちの成瀬映画に通じるものが多い。

東京「時層」探検的には、帝劇でのバレエの舞台(谷桃子バレエ団)シーンが都合3回ある。最初は、高峰三枝子さんと二本柳寛さんがランデブー。夫・山村聰さんは京都へ出張、娘・岡田茉莉子さんは仙台公演で不在、息子・片山明彦さんはバレエ嫌い。なので二人で出かけたのだが、高峰さんは心穏やかではない。帝劇かから出た二人は、皇居前広場へ。

二本柳寛さんは、銀座並木通りにあるカメラ店主。カメラマンとして、岡田茉莉子さんの写真がグラフ誌に掲載されたり「さくらフィルム」のポスターに採用されたりしている。この「さくらフィルム」のショップは、のちに石原裕次郎さんの『あした晴れるか』(1960年・日活・中平康)にも登場する。

一家が住んでいるのは、鎌倉に住んでいる。離れには波子のバレエ研究所があり、波子の実家でもある。夫である八木はこの家に婿入り、それゆえコンプレックスがある。最寄りの駅は、江ノ電・和田塚駅。八木が散歩をしたり、波子への想い立ちきれぬ竹原がやってくるのは材木座の海岸。

一家は、東京にも家があったが、東京大空襲で全焼。今は焼け跡のまま。波子はここにバレエ研究所を建てたいと考えているが、その資金のあてもない。戦時中からずっと、親が残した家財や着物を切り売りして暮らしているからだ。そんな波子のバレエ教師としてのマネージメントや一家の面倒を見ている沼田(見明凡太朗)がアクセントになっている。沼田はいかにも戦後のやり手という感じで、それゆえスマートな竹原とは対称的に描かれている。登場シーンもスノッブで厚かましい性格を印象付ける。

竹原とのランデブーに罪悪感を感じ、彼とはそのまま別れた波子は、銀座の高級レストランで品子と待ち合わせ、夕食を共にする。そこに沼田が現れて、二人が食事をしているのにも関わらず、隣の席の椅子を持ち出して、波子のそばにどっかり座って大きな声で用件を話し始める。ナントモハヤである。その沼田は波子に岡惚れしていて、いつかはモノにしたいと考えている。とにかく下衆な男で、息子や娘たちにも嫌われているが、八木は妻と竹原の不倫関係を彼に調べさせている。

やはり成瀬映画の男たちは「下衆」なのが多い。クライマックスは、久しぶりに一家四人揃って食事をするシーンで、夫と妻、それぞれの怒りが爆発。波子は家を出る決意をするが…

当時18歳、これがデビュー作の岡田茉莉子さんがとにかく可愛く、美しい。バレリーナとしてのスタイルも説得力がある。そのパートナーに若き木村功さん。中性的な言葉遣いに、繊細さと育ちの良さを感じさせてくれる。その岡田茉莉子さんが心の底から慕っている恩師で一世を風靡したバレエダンサーに、香山(大川平八郎)。PCL映画第1作『ほろよひ人生』(1933年)の主演でもある。その香山は、足を怪我して引退。伊東でバス運転手をしていた。

帝劇での「パガニーニ」公演の客席に香山がいることを知った品子は、香山を探すが、すでに劇場を出た後だった。品子は香山を追って東海道線で熱海へ、そこで伊東線に乗り換えて伊東へ。当時の鉄道風景も楽しめる。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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