『由起子』(1955年8月3日・松竹大船・今井正)
菊田一夫のラジオドラマを今井正が映画化した『由起子』(1955年・松竹)。
昭和8(1933)年の東京。あることで女学校を放校となった津島恵子が十和田湖に程近い、奥入瀬渓谷で自殺を試みる。しかし、それを観ていた画家・宇野重吉が声をかけようとして松葉杖を流してしまい、彼女はそれを拾って命拾い。なぜ彼女=由起子は自死しようとしたのか?
その夜、宿でこれまでのこと、お互い話をする二人。宇野重吉は三十歳のとき小児麻痺となり手足が不自由となり、長年連れ添った妻は若い弟子と出奔。侘しい日々を過ごしていた。
私生児の由起子は、叔父夫婦に育てられ女学校にも通わせてもらっていたが、叔母・村瀬幸子は「ふしだらな母の娘」という偏見もあり、何かと冷たくあたる。村瀬の次女は、なんと幼き日の吉行和子! 宿屋の女将は賀原夏子。由起子の家のお手伝いさんは奈良岡朋子。とにかくどの場面にも、ちょっとした脇役が知った顔ばかりなので、オールスター映画の印象(笑)他にも武智豊子、戸田春子、織田政雄などなど、まるでカメオ出演のような印象(現在の目で見ると!)
メロドラマの映画化なので、ヒロインの不遇、次々とアクシデントが襲い掛かりなど、パターンの連続なのだけど、今井正は懸命に面白くしようと工夫している(笑)
由起子が放校となったのは…
女学校の親友で家庭の事情で退学した同級生・関千恵子から「相談がある」と手紙が届き、理解のある教師・原保美同伴で浅草へ。この頃、浅草は、女学生が一人では行ってはならない「危ない場所」だった。で、関千恵子が働いているのは、浅草公園にあった「浅草水族館」2階の余興場の軽演劇団「カジノフォーリー」つまりエノケンが立ち上げた一座である。
なので楽屋番のおじさんで中村是好が出てくるだけで嬉しくなってしまう。ちなみにエノケンは昭和6年12月には「浅草オペラ館」でエノケン一座「ピエル・ブリヤント」を結成、本作に出演の武智豊子も在籍していた。
ペラゴロだった菊田一夫は「新カジノフォーリー」からエノケンの座付き作者の一人となり生涯の盟友となる(時には絶縁したことも)。踊り子・関千恵子は「あたし結婚するの」。相手は駆け出しの作家、進行係の木村功。おお、津島恵子と木村功!『足摺岬』いや『七人の侍』のコンビだったと改めて。
で、関千恵子が「ここで待ってて」と指定したのが、浅草芸人御用達のミルクホール(劇中きっちゃてんと発音・笑)「ハトヤ」おお! さすが菊田一夫だね。昭和8年の浅草の再現はロケーションでは無理なので、全て大船撮影所のセットとマット合成で描いているが、今井正もこのあたりの空気を把握しているので、浅草風俗描写がなかなかいい。
ところが関千恵子は、横恋慕した「カジノフォーリー」の指揮者・小沢栄に乱暴されて、愛人にさせられる。それが許せない木村功は、ヤクザと盃をかわしている小沢栄に挑むも、ボコボコにされてしまう。この辺り妙に生々しいのは菊田一夫の体験もあるのだろう。
で、木村功は、先輩で売り出し中の作家・浜田義夫(永井智雄)の口利きで玉木座「プペ・ダンサント」へ移籍することになるが、小沢栄の差金でそれもオジャンとなる。永井智雄の役は東北出身の売り出し中の劇作家、つまりエノケンの盟友・菊谷栄がモデル!
面白いねぇ。永井智雄は、小沢栄に猛烈な抗議をするも、逆にボコボコにされてしまう。これも菊田一夫と菊谷栄の折り合いが良くなかったことを知っていると、嗚呼!と思ってしまう描写である。
そこで木村功は、ナイフで小沢栄を刺してしまう。自分のしでかしたことに慄き、木村功は、女学校の正門前で津島恵子を待ち伏せして、ことの次第を相談する。迷惑な男だなぁ。まあ、木村功だし。ウジウジしているのはキャラクターだからなぁと。
で「僕は故郷の因島しか行くところがない」と告げて木村功は逃亡。で津島恵子は浅草・象潟署の刑事の取り調べを受け、それが学校で大問題になり、退学させられ、叔母の家を出て、十和田湖へ・・・
という前半は、ほぼ回想シーン。なぜ彼女は青森へ来たのか? 自分を産んだときに亡くなった母が、叔母のいう通りに本当に「ふしだら」だったのかを確かめたくて、母の足跡を訪ねる旅に出たのである。
それから三年、昭和11(1936)年、津島恵子は宇野重吉の秘書となり2.26事件の当日は、京都の老舗ホテルで過ごしていた… というわけで、ここからさらなる展開もあるのだけど、ラジオドラマ的なパターンの連続で、果たしてヒロインに幸せは訪れるのでしょうか?(笑)であります。
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