『一等社員 三等重役兄弟篇』(1953年1月13日・東宝・佐伯幸三)
東宝サラリーマン映画というジャンルが本格的に始動した『三等重役』正続篇に続いて作られた、源氏鶏太原作『一等社員 三等重役兄弟篇』(1953年1月13日・東宝・佐伯幸三)。『續三等重役』(1952年9月4日・鈴木英夫)で、戦後派社長・河村黎吉と如才のない老獪な人事課長・森繁久彌の抜群の呼吸、小林桂樹に加えて伊豆肇の若手サラリーマンも加わり、サラリーマン喜劇のさまざまな「手」が確立、大好評だった。松竹蒲田出身のバイプレイヤー、河村黎吉にとっても代表シリーズとなったが、クランクアップ後、河村は胃癌で入院。闘病生活を続けていた。
しかし映画館主や観客からは『三等重役 第三篇』をという声が高まり、正月第二弾として企画されたが、河村の病状が芳しくなく、プロデューサーの藤本真澄は『三等重役』のキャストである、森繁久彌、小林桂樹、伊豆肇、島秋子を揃えて『三等重役 兄弟篇』としてスピンオフ的(役名こそ違うが設定はそのまま)を製作することに。なので、出演者クレジットでは、トップに森繁久彌、八千草薫-宝塚-、河村黎吉-不在出演- と、三人の名前が出る。ここで藤本が考えたのは、病床の河村黎吉の肖像写真を、森繁が支店長を務める会社の支店長室に掲示すること。前二部作で先代社長の小川虎之助の肖像写真を、社長室に掲示する「手」を使ったのである。藤本はこの「不在出演」のギャランティを河村の家族に支払うことにした。
さて、今回は源氏鶏太の「一等サラリーマン」をベースに「社員食堂開設」を、「三等重役」のバリエーションとして、松浦健郎が脚色。丸の内にある「南海産業」ならぬ「浪花産業東京支店」が舞台となる。なので河村社長は大阪の本社にいるという設定。その健在を印象付けるために、『ラッキーさん』『三等重役』二部作で、河村社長夫人を演じた沢村貞子が、社長夫人として出演。そして、自由奔放な社長令嬢・八千草薫が上京してきて、森繁氏社長、小林桂樹、伊豆肇の若手サラリーマンが振り回されるという展開。
のちに、笠智衆没後、山田洋次監督は御前様が健在という設定にして、第46作『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(1993年・松竹)で、御前様のお嬢さん・光本幸子を出演させて、その健在をセリフで表現したが、作り手の出演俳優へのリスペクトを感じさせてくれる。また、大阪から会長や大社長の令嬢が、上京してきて森繁社長の家に寄寓するというパターンは、この後『へそくり社長』(1956年・東宝・千葉泰樹)で、同じ八千草薫によってリフレインされる。『社長三代記』(1958年・松林宗恵)での雪村いづみの役回りも大阪の会長の令嬢だった。
なぜ大阪なのかは、東宝グループの総帥・小林一三が大阪を拠点にしていて、藤本真澄にとって、東宝社員にとっては自然だった、ということもあるだろう。
タイトルバック、新橋方向からの東海道線の車窓カメラで、東京駅までの風景が楽しめる。東京宝塚劇場は、敗戦後、進駐軍によって接収され「アニー・パイル劇場」となっていたが、“ARNIE PILE”の文字が見える。有楽座、日比谷映画、三信ビル、日活国際会館(現在のペニンシュラホテル)、有楽町駅のホームには省線が停車していて、続いて東京都庁の建物群を過ぎると中央郵便局、丸ビルが見えたところで、東京駅舎となる。このタイトルバック、オンタイムで、新橋を過ぎて有楽町、東京駅までの東海道線からの1953年(撮影は1952年暮れ)の車窓風景が楽しめる。時層探検者にとっては何よりの眼福である。
というわけで、この特急列車に乗っていたのが、浪花産業の足利社長(河村黎吉)の令嬢・たか子(八千草薫)。そのまま丸の内にある東京支店を訪ねてくる。たか子は「人生勉強」の目的で、フラッと上京してきた気ままな大阪娘。小林桂樹は「一等サラリーマン」を気取ったチャッカリ・サラリーマン林。のちの植木等の無責任男とまでは行かないが、これまでの勤勉実直タイプではないのがいい。その親友・伊東(伊豆肇)の方が石橋を叩いて渡るタイプ。その上司である、森繁久彌が演じているのが、支店長・天栗太郎(!)。『三等重役』での浦島人事課長を輪にかけたテキトーぶりがおかしい。執務中に水着グラビアをニヤニヤ眺めて、うとうと居眠りをしたり、亭主関白のようでいて妻・善子(坪内美子)に頭が上がらない、というのはのちの「社長シリーズ」の原型となっている。
さて、奔放娘のたか子は、不意打ちで上京して、天栗太郎の家に寄寓することになる。その母で社長夫人の万里子夫人(沢村貞子)もワンシーン出演。小林桂樹の林くんの同僚で恋人・品子(島秋子)も、前作同様のキャラクターなので、観客は『三等重役』シリーズを見ている気分となる。
というわけで、天栗太郎と善子夫人、林くんと伊東くんが、わがままなたか子に振り回される姿を、天栗家と浪花産業東京支店でのさまざまなエピソードを通して、ユーモラスに描いていく。佐伯幸三の演出は、可もなく不可もなく、アベレージをキープ。云うなれば「エピソード集」という印象。特筆すべきは、料亭での宴会シーンにかなり力を割いてること。登場する芸者は、コロムビアの鶯芸者・神楽坂玉枝、神楽坂路子、同・八千代、同・みや子、三味線・豊文(コロムビア)、同・豊藤(同)の本物がお座敷を盛り上げる。
このシーンで、森繁久彌と小林桂樹、そして重役・十朱久雄が、なんと「金色夜叉」の珍芸を披露する。「社長シリーズ」の宴会芸は『へそくり社長』での森繁と三木のり平の「安木節」が原点と思っていたが、すでに本作で展開して、しかもかなり長いシーンである。白塗りの森繁が貫一、女装の小林桂樹がお宮。十朱久雄が月や、タバコでのスモーク効果係、藤間紫の仲居・お春が、テープレコーダー担当で、珍妙な宴会芸が繰り広げられる。この辺り、のちに「駅前シリーズ」で森繁と組む、佐伯幸三の喜劇的センスが炸裂。おそらく当時は大爆笑だったろう。この成功体験が、のちの「社長シリーズ」に繋がるのだ。だから映画は見ないとわからない。
さて、ここで登場した藤間紫がトラブルメーカー。浮気相手となるかと思ったら、天栗太郎は貞操堅固、妻を愛しているので鼻の下は伸ばすものの、据え膳は食わない。それが面白くない藤間紫のお春は、仲居を辞めて「まともな職業に就く」と言いながら、なんと天栗家の女中として住み込むことに。これには驚いた。度重なるお春のモーションにも屈しない天栗太郎の悶々としたリアクションが、後半の笑いとなる。いくらお春の純情とはいえ、いささかアンモラルに感じるのは、のちの「社長シリーズ」の浮気シーンの「寸止めの美学」とは違うベクトルだからだろう。とはいえ、ここで天栗夫妻のクライシスが訪れるが、それを乗り越える夫婦の愛情がテーマでもあるので、ラストの着地はそれなりに納得。
映画時層探検的には、中盤、昼休みにたか子のショッピングに林くんが付き合わされるシーンがいい。日本橋川にかかる西河岸橋を大きな荷物を持って、お嬢さんの後を歩く林くん。次のカットでは、銀座五丁目にあった森永エンゼルショップの喫茶ルームでケーキにお茶。これはロケーションで、店内から銀座通りの向こうにあるレストラン・コックドールや、都電、行き交う車が見える。昭和27年の空気を体感することができる。
というわけで、「社長シリーズ」全作を観てから『一等社員』を観ると、成功体験、失敗事例などが見えてきて、藤本真澄が東宝サラリーマン映画を築いていくプロセスが見えてくる。キャストでいうと、ほんのわずかの出演場面だが、伊東くんの恋人・千代子を田代百合子が演じている。たか子と伊東くんが郊外へのサイクリングで休憩する農家の娘で、その清純さが際立っている。
かつて小林桂樹さんに伺ったのだが、東宝撮影所でのセット撮影は年末まで続いて、支店長室での撮影準備中、河村黎吉社長の写真がガタンという音を立てて傾き、キャスト全員でその肖像写真に目が行った。その時に、助監督がスタジオに入ってきて「今、河村さんが亡くなったそうです」と訃報を伝えてきたという。それが1952年12月22日のこと。その日、河村黎吉は築地の癌研(現在のがんセンター)で逝去。55歳の若さだった。
藤本真澄は、「社長シリーズ」がスタートした時に、河村黎吉の「不在出演」を決めて、社長室にはシリーズ最終作まで、河村社長の肖像写真を掲げ、遺族にはギャランティーを支払い続けたという。これも小林桂樹さんが伺ったエピソードである。