1年11ヶ月目|700台は負荷をかけるチャレンジ|#700C
毎日投稿700日目にして、noteを始めて1年11ヶ月目。2023年2月18日から書き始めた。
たまに大幅に書き直したくなって、下書きに戻したまま放置された記事がいくつかあるが、これまで700回、毎日きっちり投稿してきている。
昨日は毎年に年に1回遊ぶ地元の友人とドライブに出かけて色々な話をした。「お前の継続する力はすごい」みたいなことを言ってくれたが、このnoteのことや、ふりかえる会を私がやっていることなんて知らないはずで、何を見て彼は「継続力」を褒めてくれたのか謎である。
私は昔から継続する力なんてまるでなかったし、普通の人がきっと普通にできることでできないことが多くて生きにくかった。なのでそんな自分でもなんとか生きていくには?ということで、健康意識からトレーニング習慣がつき、仕事で最低限の信用をという点から「始めたことを続ける」ということを身に着けていった。
しかしそんなことができるようになったのもたかが4年前に自分の行動を24時間把握できるツール(TCC)に出会えたから可能になったわけで、私はまだ継続に関しても歴史が短い。「継続力4年生」だ。
理屈を抜きにすれば、何かしらをぶん殴れるくらいは破壊力のある数字としての「毎日継続700日」を手に入れたが、その中身はいぜんとして大したことがないままだ。好き勝手に書き散らしているだけなのだから当然だ。
成果を出すとか能力を伸ばすためにほぼ必須の要素は「継続と工夫と負荷」の掛け算だ。この中で継続のパラメーターだけ回していても大した成長はない。
このnoteは成長したくてやっている面もあるのだから、そうであれば700日もやってきてもっと何かハッキリした成果が出ていない方がおかしいというものだ。そんな意味でもほんとただの趣味noteである。
note700番台は「負荷(プレッシャー)」の値を調整していきたいなー。私は負荷に弱いのでもう少し厳しい環境に慣れていきたいなと。快適さを好み日々快適に過ごすことのデメリットは、不快な状況への耐久力が落ちることだ。これはニートは社会人と交流するだけでしんどいみたいなものだな。
あー閃いた。ちょーど700日目だし、この700番台は「負荷」にトライアルする100日として、その観測、報告をあげてみるのもいいな。
うんうん、というか今後noteの連続投稿は100日事になんかテーマもってやろうか。おもしろいかも。
というわけで700日目。今日の心の負荷は、夜に主催する某豊かな人たちとの飲み会だ。はたして参加するみんなが楽しめるだろうか?参加してよかったと思えるものになるだろうか?といった気がかり。これが心にズシンと来ている。
そのズシンをただ耐えたり見ないようにするだけでは意味がない。この気持ちを「活用」すること、そして取り組みを実際に「発展させること」が重要だ。
活用という面では、この負荷のかかった気持ちをネガティブに受け取らずに、ポジティブに変換する。自分はいいものを作りたいと思っているからこうして心が重くなるのだから、いい反応だ、みたいな感じ。緊張してきた、でなく興奮してきた、とみたいな。
発展という面では、だから何ができるかを集中して短くても考えてみる。で、やってみる。それが実際のよい結果には届かなくても、なんらかの具体的な行動にまでは還元して試してみること、そこまでやれば100点だ。
note700番台は、自分に適度な負荷をかけていく100日チャンレンジ。報告を残していく。
p.s.
先日100日チャレンジ10期のチャレンジでテーブルの量を把握する100日間にする、と書いていた&チャレンジは1つずつにしろと書いていたので、お前さっそく大丈夫か、というツッコミが入るかもしれない。
私の感覚としては「TCAの100日チャレンジで取り組むものはテーブルの把握1つ(+先送りゼロ)」であり、700番台チャレンジはまた別枠という認識だ。
ただ、それにしても増えることには変わりないので、多すぎるようなら躊躇なくやめる用意もありますわよと書き残しておく。
必要ないなら、状況が変わったなら、躊躇なくやめること、捨てること。それも継続と同じだけ大切なことだ。
いや正確には「意味のある継続」と「適切な終了」には同じくらいの価値があるが、「むやみやたらな継続」と「放り投げたような仕方での終了」は同じくらい価値が低いというかなんというか。あーこの辺もちゃんと整理して書きたい。また。