もっと移動する生活へ|#727C

毎日投稿727日目。noteのメンバーシップを開設して1週間もすぎた。1日1本以上、メンシプ内にも500〜1000字くらいは書いている気がする。やっぱりこの形式は心地よくて、3日坊主で終わるかもなーとも思ったが今のところ気持ちよく続いている。

投稿は全て掲示板にポストするスタイルでやっているが、しかしできれば1つ1つを記事にしたいものだ。メンシプの機能で「通常のクリエイターページからは見えない記事」というものを設定することができれば、もっとやる気が出るのになあと思う。

これについて私とまったく同じように考えている方もいらして、やっぱそうだよね!と。ニーズあるし、noteに熱烈な要望書を送らねばなるまい。

そんな今日は、なんとなく今ぼんやり感じていることを目的もなく書き出していく。→毎月5000km移動生活の話になった。このことを書く気はまったくなかったのだけど。これがnoteマジック(ちがう)


多様すぎる世界で

一般的な社会人の方は、普段どのくらい多様な人と関わりあっているのか全然実感が持てないニート気質の私だが、私なりに色んなところで暮らすいろんな属性や状況の人たちと日々やりとりをしていて、最近特に感じることがある。

ほんとうにこの世界は多様というか万華鏡のような感じで、見方を変えるだけで全然違う世界として映るなあと。そしてこのところ、それが激しくなっていると。

人の幸せはもう、その人にしか定義できない世界になっている(昔は"一億総中流"だったからな。でかい家と高い車とブランドバッグがありゃ幸せだったんだよ(んなわけ))

物流倉庫に派遣で通い日銭を稼ぎ、仕事終わりのビールと週末に趣味の山登りで毎日が幸せな人もいれば、もう数億持ってるのにチャートとずっとにらめっこして精神をすり減らしている人もいれば、企業で出世競争にあけくれているような人、、ああこれは私の周りにはいない

なんだか生活に希望が持てないとちょっと鬱々と過ごしている会社員、朝ドラ観て家事して寝るの繰り返しが幸せな主婦だったり、戦争があるかもと世界情勢を気にして生活している国外に住む人、お菓子を食い酒を飲みながら健康という言葉を嫌い猫を溺愛して過ごしているヤツ、重篤な病いにかかりながら気負わずしかし1日を大切に生きていらっしゃる方など

などなどなど

そうしたリアルな関係者だけでなく、今はSNSも普及しきっており、本当にいろんな人の生活、意見、状況、目にすることができる。

右を見れば平和なお花畑だが左を見れば地獄のようなスラム街で、上を見れば金は溢れ返っているのに下を見ると枯渇して晩飯を盗んでいるような人もいる。

やれリスキリングだのんびり生きている余裕はない、と叫んで全力疾走しているサラリーマンの隣にはギターを弾いて楽しんでいるフリーランス

まったくこの世は「何にフォーカスを当てるのか」で360度景色が違う。


全方位を見るのが好きなのよ

それぞれにえげつないほど状況が違って、幸せの形もそれぞれあって、好みや感性によって何を望むかも分かれて、しかしそういう感性自体がメディアからコントロールを受けたりもしている中、明日の支払いに困る人も、子どもにどう資産を継がせようか悩む人もいて、何がどうなって、一体どうしたら正解で、いかにすれば正気を保てるのか!みたいな繊細な人も生まれて当然で

私はそういう全ての状況が、まるまる全部「人間」であり「生きている」ことの醍醐味だなあと感じる。

今この瞬間に、あらゆるシチュエーションの人が、それぞれの人生を懸命に生きているところを想像すると、めちゃくちゃいい気持ちになる。

ドラマであるようなたとえば「雪が降ってきた」時に、それぞれの人が生活をしているところでそれぞれに雪に気付く、みたいな感じの、ああいう各自が生きているそれを同時に見る(想像する)のが好きだ。

さっきまで食糧問題について真剣に考えながら、次はグルメをいかに味わうかについて考える。AI反対派の人と意見を交わした翌日にAI賛成派の人と一緒に施策する。一神教の人の話を聞いて、多神教の人の話を聞いて。

こういったことが脳みそに心地よく、もう全てが最高だーーーみたいな幸せ。これらに全部、優劣はないのだ。存在がただ煌めいている。みんないつか消えるが、それまではここに確かにあって動いていて、そんなことを感じられると心があふれる。

というような時は幸せであり、しかしなにからしらの価値観が優先されて、そこに囚われてしまっている時には苦しくなる。

特に、自分の生きてきた過程で体験した痛みやなかなか手放せない思い込みなどは自分を攻撃してくるが、今は幸い、そういったこともずいぶん少なくなった。


移動し続けられるように

先日、仕事関係のミーティングで「毎月5000km以上移動することにしました」という話を聞いた。めっちゃいいですねそれ、と前のめりになる。

私は移動することが好きだが、これは先に書いた「全方位を見る」ことと同じようなものだ。どんどんいろんな景色を見ること、感じることが最高に楽しい。

それが物理でなくてもいい、というのは私の特徴かもしれない。脳内での情報や価値観の移動なども好きなのだ。

しかし物理はやっぱりわかりやすく体に効く。今のところ身体を持っている現代人、アプローチとしてやっぱり物理移動は強烈だ。

この話題、毎月5000km移動することで何を狙っているのか、というと「現状の変化」だ。その方は好奇心からの実行だったが、逆に「なんかつまらない」「やりたいことない」といった人は、毎月5000km動いてみればなんか見つかるよ、というような話から始まったそうだ。

いずれにせよ、これはいい指標になるなと。いやがおうにも脳みそは活性化する。すでに毎日楽しく、やりたいこともある、という人であっても絶対にプラスになるだろう。旅は人を変化させる。

ということで、私もこれに向かっていくことに決めた。

「全方位を見る」というのも、今は「情報」上でのことが多い。これを身体化する。物理で動いて、体を伴った「全方位」の比率を高めたい。

直感的にこれが私には必要なことのように感じて、ちょっとやってみるか〜〜となった。

同時にこの話から「いつでも移動できるようでありたい」ということも思う。

やっぱり、そこにとどまって動けない、というのはつらい。これは住むところも仕事もそう。立場などなども。よく言われる「土の時代」「風の時代」と言う区分で言えば、とどまって守りをするのは前時代の土的な生き方で、今後そういう人は望む望まぬに関わらず減っていきそうだ。

これは物理的にはもちろん、思想もそうだ。何かにこだわって手放せない考えなどが、生活の上にあればあるほど重くなる。そういうのを全部ふっとばしてカラッとかろやかに、楽しんでありたい。

そのためにも毎月5000km生活。ここは理屈じゃない。

jさんと遊びにドイツに行けば一撃9000km。ベルリンの世界一うまいと言われるケバブが食べたい。毎月東京に行く生活を復活できれば2000kmくらいはチャージできるだろう(それでも2000か)

今現時点では無理な話だが、目指す生活の1つとして。移動生活の復活に向けて動いていこう。あゝテンションが上がってきた。

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